山を運び、湖で顔を洗う
ダイダラボッチの体は、富士山を腰掛けにできるほど大きい。埼玉県狭山市の伝説では、富士山へ座り、琵琶湖の水を手ですくって顔を洗った。歩幅は国をまたぎ、一歩ごとに巨大な足跡を残す。
山を背負って運ぶ途中、もっこから土がこぼれて丘になったという話も多い。筑波山と富士山を天秤棒で量ろうとして、筑波山が二つに割れたという茨城の再話もある。各地の山の形へ合わせ、巨人の仕事は変わった。

語りの移り変わり
- 8世紀初め『常陸国風土記』に、大櫛岡の巨人が食べた貝殻で丘ができた話が記される。
- 近世山や湖を作る巨人の話が、地誌、随筆、土地の口承に現れる。
- 近代民俗学者がダイダラボッチ系の多様な呼び名と地形伝説を採集する。
- 現在自治体の民話集や地名解説で、地域の山・池の由来として語られる。
足跡が池や田になる
地面へ足を踏み込めば、跡には水がたまる。長野の大座法師池、東京の代田、各地の足跡沼など、巨人の名と結びつけられた地名や池がある。手をついた跡、尻餅をついた窪地とする場所もある。
大きな地形がどうしてできたかを、一人の動作へ置き換えれば話しやすい。離れた二つの山が似ていれば運び比べ、平地に小山が一つあれば土を落としたと語る。同じ筋を土地の景色に合わせて作り直せた。

古代の巨人と後の名前
八世紀初めの『常陸国風土記』には、那賀郡の大櫛岡に巨人が住み、海辺で貝を食べ、その殻が大きな丘になったという記事がある。巨大な人の地形伝説として古いが、本文にダイダラボッチという名はない。
ダイダラ系の名が文献や民俗採集に現れるのは後の時代で、呼び方も一定しない。古代の巨人記事を直接の起源と断定することはできないが、土地の大きさを人の体で測る発想が長く続いたことは分かる。






