古典怪異図鑑CLASSICAL YOKAI ARCHIVE
奇怪千万古典怪異図鑑河童
FILE 02 / 水辺・水難

河童

かっぱ

全国で名前も姿も変わる水の怪

夕方、川へ水を飲ませに来た馬の脚へ、何かがしがみついた。驚いた馬が陸へ駆け戻ると、子どもほどの生き物が引きずられてくる。村人に捕まったそれは、二度と馬を襲わないと詫び、傷に効く薬の作り方を教えて川へ帰った。河童の話には、水辺の危険と、捕らえられた後の奇妙な約束が一緒に残る。

葦の茂る川辺に立つ、甲羅と頭の皿を持つ河童
葦の茂る川辺に立つ、甲羅と頭の皿を持つ河童

馬を川へ引くもの

河童の古い型として各地に残るのが「河童駒引」である。水辺へ来た馬の脚や手綱をつかみ、淵へ引き込もうとする。力負けして陸へ引きずり出された河童は、村人に命乞いをし、今後は害をしないという証文を残す。骨接ぎや傷薬の製法を教えたと結ぶ土地もある。

人が泳いでいると足を引く、相撲を挑む、尻から「尻子玉」を抜くという話も広まった。子どもには、日暮れ後に川へ近づくなと教えるとき河童の名が使われた。流れの速い淵、急に深くなる場所、増水した川は、見た目だけでは危険が分かりにくい。河童が出るとされた場所には、実際の水難への警戒も重なっていた。

川岸に残された小さな相撲の土俵と濡れた手形、葦の奥に河童の影が見える場面
川岸に残された小さな相撲の土俵と濡れた手形、葦の奥に河童の影が見える場面

語りの移り変わり

  1. 中世以前水神や水辺の異類が、馬を引く話や人を水へ誘う話として各地に残る。
  2. 江戸時代本草書、随筆、妖怪画が各地の水怪を河童の名で紹介し、姿を描く。
  3. 1910年柳田國男『遠野物語』が遠野の赤い河童と土地の家々の話を収録する。
  4. 近現代甲羅、皿、キュウリを好む共通像が漫画や商品を通じて定着する。

遠野の赤い河童

柳田國男の『遠野物語』五十五話から五十九話には、岩手県遠野周辺の河童が続けて記される。猿ヶ石川の河童は顔が赤く、口が大きく、声は鳥に似ていた。ある家の女が河童の子を産み、切り刻んで埋めたという厳しい話もある。別の家では、河童とのつながりが家の呼び名として残った。

ここに出る河童は、緑色で亀の甲羅を背負った今日の姿とは違う。遠野の淵や家の記憶に結び付いた、水に住む赤い異類である。『遠野物語』は一九一〇年、遠野出身の佐々木喜善から聞いた話を柳田がまとめて刊行した。全国の河童を一つに説明した本ではなく、遠野で名指された川や家の話を収めている。

二人の農夫が川へ引き込まれそうな馬を河童から引き戻す場面
水辺の怪異から、農夫たちが馬を引き戻す

皿と甲羅はいつ定着したか

水の怪異は地域によって、河太郎、ガタロ、猿猴、メドチなどと呼ばれた。毛深い猿に近い姿、亀に似た姿、三、四歳の子どものような姿があり、性質も同じではない。江戸時代の本草書や妖怪画は、各地から集まった話を「河童」の項目へ並べ、くちばし、甲羅、水かき、頭頂部のくぼみを持つ姿を描いた。

頭の皿には水が入っており、こぼれると力を失うという話がよく知られる。礼をして相手にも頭を下げさせる、皿が乾く前に陸から逃げる、といった退治法も後世に増えた。好物はキュウリとされ、巻き寿司の「かっぱ巻き」に名が残る。全国で見た目がそろった後も、古い採録を開けば、赤い顔の河童や毛深い猿猴がそれぞれの川にいる。

川辺で農夫が猿にも見える小さな水の異形を見つける場面
土地ごとに名と姿が違う、水辺の小さな異形
二人の農夫と河童が用水路の石を運び直す場面
害をなす話だけでなく、水仕事を助ける異説も残る
川辺の小さな土俵で河童と農夫が相撲の構えを取る
川辺の小さな土俵で河童と農夫が相撲の構えを取る
SOURCES

主な参考資料