馬を川へ引くもの
河童の古い型として各地に残るのが「河童駒引」である。水辺へ来た馬の脚や手綱をつかみ、淵へ引き込もうとする。力負けして陸へ引きずり出された河童は、村人に命乞いをし、今後は害をしないという証文を残す。骨接ぎや傷薬の製法を教えたと結ぶ土地もある。
人が泳いでいると足を引く、相撲を挑む、尻から「尻子玉」を抜くという話も広まった。子どもには、日暮れ後に川へ近づくなと教えるとき河童の名が使われた。流れの速い淵、急に深くなる場所、増水した川は、見た目だけでは危険が分かりにくい。河童が出るとされた場所には、実際の水難への警戒も重なっていた。

語りの移り変わり
- 中世以前水神や水辺の異類が、馬を引く話や人を水へ誘う話として各地に残る。
- 江戸時代本草書、随筆、妖怪画が各地の水怪を河童の名で紹介し、姿を描く。
- 1910年柳田國男『遠野物語』が遠野の赤い河童と土地の家々の話を収録する。
- 近現代甲羅、皿、キュウリを好む共通像が漫画や商品を通じて定着する。
遠野の赤い河童
柳田國男の『遠野物語』五十五話から五十九話には、岩手県遠野周辺の河童が続けて記される。猿ヶ石川の河童は顔が赤く、口が大きく、声は鳥に似ていた。ある家の女が河童の子を産み、切り刻んで埋めたという厳しい話もある。別の家では、河童とのつながりが家の呼び名として残った。
ここに出る河童は、緑色で亀の甲羅を背負った今日の姿とは違う。遠野の淵や家の記憶に結び付いた、水に住む赤い異類である。『遠野物語』は一九一〇年、遠野出身の佐々木喜善から聞いた話を柳田がまとめて刊行した。全国の河童を一つに説明した本ではなく、遠野で名指された川や家の話を収めている。

皿と甲羅はいつ定着したか
水の怪異は地域によって、河太郎、ガタロ、猿猴、メドチなどと呼ばれた。毛深い猿に近い姿、亀に似た姿、三、四歳の子どものような姿があり、性質も同じではない。江戸時代の本草書や妖怪画は、各地から集まった話を「河童」の項目へ並べ、くちばし、甲羅、水かき、頭頂部のくぼみを持つ姿を描いた。
頭の皿には水が入っており、こぼれると力を失うという話がよく知られる。礼をして相手にも頭を下げさせる、皿が乾く前に陸から逃げる、といった退治法も後世に増えた。好物はキュウリとされ、巻き寿司の「かっぱ巻き」に名が残る。全国で見た目がそろった後も、古い採録を開けば、赤い顔の河童や毛深い猿猴がそれぞれの川にいる。






