茂作を凍らせた白い女
翌冬、巳之吉は道でお雪という美しい女に出会う。身寄りがないというお雪を家へ連れて帰り、やがて二人は夫婦になった。子どもは十人。年月がたっても、お雪だけは出会った日の若さを失わなかった。
ある晩、行灯のそばで裁縫する妻の横顔を見て、巳之吉は昔の記憶を口にする。若いころ、雪の小屋でお前によく似た女を見た、と。お雪は針仕事を放り出して立ち上がった。あの夜、決して話すなと言ったはずだ。子どもたちがいなければ、その場で巳之吉を殺していただろう。子どもをよく育てなければ許さないと言い残し、白い霧になって煙出しから去った。二度と戻らなかった。

語りの移り変わり
- 近世随筆や地誌に、雪の日に現れる女や雪女郎の記録が載る。
- 1890年代以前小泉八雲が西多摩郡調布村に縁のある人物から雪女の話を聞く。
- 1904年八雲が『Kwaidan』に「Yuki-Onna」を発表する。
- 近現代映画、舞台、絵本を通じ、白い着物で冷気を操る姿が広く定着する。
小泉八雲が聞いた武蔵の話
この筋は、小泉八雲が一九〇四年に英語で刊行した『Kwaidan』所収の「Yuki-Onna」で広く知られた。冒頭には、武蔵国西多摩郡調布村の百姓から聞いた話だとある。当時の調布村は現在の東京都青梅市にあたり、青梅出身で小泉家に勤めた親子から八雲が話を聞いた可能性が研究されている。
八雲以前にも雪の女を記した本はあるが、茂作、巳之吉、お雪の家族をめぐるこの展開が、全国すべての雪女伝承の原型だったわけではない。八雲は聞いた土地を明記し、一人の若い木こりが秘密を抱えたまま家庭を持つまでを短編に仕立てた。映画やテレビで繰り返し映像化され、雪女の代表作になった。

土地ごとに違う雪の来訪者
雪の多い地域には、雪女、雪女郎、雪娘、雪婆などの名が残る。吹雪の夜に宿を求める女を家へ入れると姿を消す話、子どもを抱いてくれと頼み、受け取った者を雪の中へ沈める話、正月十五日や小正月に訪れるという話がある。人を凍らせる息も、夫婦になる結末も、すべての土地に共通するわけではない。
雪の上に足跡を残さない、白い衣を着る、月明かりの中に立つといった姿は、近世の随筆や絵でも語られた。吹雪の中では人影までの距離が分かりにくく、道も家も消えて見える。春になれば何も残さず姿を消す女は、土地ごとの雪の日と年中行事の中で、別々の名を持っていた。






