大江山へ向かった六人
頼光の一行は、石清水八幡、住吉、熊野の神々へ祈り、途中で三人の老人に会う。老人たちは鬼を眠らせる酒と、身を守る兜を授けた。山奥では、鬼にさらされながら逃げ延びた女に出会う。彼女から館への道と、捕らえられた人々がどのように扱われているかを聞き、一行はさらに奥へ進む。
館で酒呑童子は見知らぬ山伏を疑った。頼光たちは旅の途中で道に迷ったので一夜の宿を借りたいと答え、自分たちの酒を差し出す。鬼が飲めば力を失い、人が飲めば勇気を得る「神便鬼毒酒」だった。鬼たちは酒宴を開き、さらった人の肉まで客へ勧める。正体を悟られないよう、頼光たちも同じものを口へ運ぶふりをした。

語りの移り変わり
- 平安時代(作中)源頼光と四天王が大江山へ入り、酒呑童子と配下の鬼を討つ。
- 南北朝時代ごろ大江山を舞台とする古い絵巻『大江山絵詞』が作られる。
- 室町~江戸初期御伽草子の刊本が流通し、酒宴と鬼退治の筋が広く読まれる。
- 近世以降能『大江山』、浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵が鬼の姿と戦いを描き直す。
首を斬られても噛みつく
酔った酒呑童子は、自分の寝所で本来の姿に戻った。赤い体にいくつもの角と目を持つ巨大な鬼で、手足は鎖で押さえられた。頼光が太刀を振り下ろすと、斬られた首は空へ飛び、なおも頼光へ噛みつこうとする。神から授かった兜を重ねてかぶっていたため、牙は頭まで届かなかった。
渡辺綱らは残る鬼を討ち、館の地下や檻にいた人々を助けた。一行は酒呑童子の首を都へ運ぶ。大江山の入口では、鬼の首は穢れているため都へ入れるなと地蔵に止められ、その地へ埋めたとする話もある。首塚の場所や帰路は、後世の社寺縁起と土地の伝承によって異なる。

大江山系と伊吹山系
現在確認される早い作品の一つが、南北朝時代ごろの『大江山絵詞』である。ここでは酒呑童子の住まいを丹波の大江山とする。別の系統では近江の伊吹山を根城にし、酒呑童子の生い立ちや、鬼となって山を移る経緯も違う。後の御伽草子は話を読みやすく整え、頼光四天王の武勇譚として広く流通した。
酒呑童子の誕生にも、越後の稚児が鬼になった、伊吹山の大蛇の子だったなど複数の話がある。退治の場面では、正面から力で勝ったのではなく、神の助力、変装、毒酒、捕らわれた女の案内を重ねてようやく首を取る。絵巻は豪華な館と酒宴、寝所で姿を変えた鬼、飛びかかる首を連続する画面に描き、能や歌舞伎もその場面を受け継いだ。






