宮中を照らした玉藻前
御伽草子『玉藻前』では、上皇が美女を集めた席へ、身元の分からない一人の女が現れる。十六、七歳ほどで、あらゆる学問と芸に通じていたため玉藻前の名を与えられた。上皇は寵愛するが、ほどなく重い病にかかる。医師にも僧にも原因が分からない。
陰陽師の安倍泰成は、玉藻前が変化したものだと見抜き、泰山府君の祭を行う。祭具を捧げる役を命じられた玉藻前は逃げることができず、ついに金色の狐の姿を現して宮中を飛び出した。那須野まで追われた狐は、三浦介と上総介の軍勢を相手に人馬を倒す。二人は犬追物の稽古を重ね、矢で狐を射止めた。

語りの移り変わり
- 平安末期(作中)玉藻前が鳥羽上皇へ仕え、正体を見破られて那須野へ逃げる。
- 1445年辞書『下学集』に玉藻前の名が現れる。
- 室町後期御伽草子絵巻と能『殺生石』が宮中、討伐、石の供養を描く。
- 江戸後期『絵本三国妖婦伝』が妲己から玉藻前へ続く三国の九尾狐を描く。
死んだ狐が殺生石になる
妖狐が死んだ後、那須野には近づく生き物を殺す石が残った。上を飛んだ鳥が落ち、そばを通る人や獣が毒気に当たる。石の近くに積もる死骸から、「殺生石」と呼ばれるようになった。
能『殺生石』では、諸国を旅する玄翁和尚が那須野を通り、女から危険な石へ近づかないよう止められる。女は、自分こそ玉藻前の霊だと明かして姿を消した。和尚が石へ供養を行うと石は割れ、狐の霊はこれから仏法へ帰依すると約束する。那須の殺生石は硫黄の臭いが立つ火山性の土地にあり、実在する岩と物語が同じ場所へ重なった。

九尾狐が三国を渡るまで
玉藻前の名が文献で確認されるのは室町時代で、『下学集』や御伽草子、能へ現れる。早い玉藻前の話では、狐の尾を二本とする絵巻もあり、初めから現在の「白面金毛九尾」の姿に統一されていたわけではない。
江戸時代、高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』は、中国の妲己、インドの華陽夫人、日本の玉藻前を同じ九尾狐の変身として結び付けた。一匹の狐が国を渡り、王のそばへ美女として入り、国を乱す長い来歴が完成する。中国で九尾狐は吉兆として記された時代もあるが、日本の玉藻前物では、上皇の命を吸い取る大妖怪として語られた。






