古典怪異図鑑CLASSICAL YOKAI ARCHIVE
奇怪千万古典怪異図鑑磯撫
FILE 61 / 海・巨大魚

磯撫

いそなで

海面を割らず、尾だけで人をさらう大魚

肥前国松浦の沖では、北風が強く吹くころ、海から巨大な魚が現れるといわれた。船乗りが目にするのは背中の一部だけで、頭も尾も海面下に隠れている。ところが船のそばを通るとき、尾についた鉤が人を引っ掛け、そのまま海へさらってしまう。波が磯を撫でるように静かに近づくため、磯撫でと呼ばれた。

曇天の熊野灘で小舟の横へ巨大な鮫の尾だけが近づく場面
曇天の熊野灘で小舟の横へ巨大な鮫の尾だけが近づく場面

松浦沖で船に近づく

磯撫では、天保十二年(一八四一)刊の『絵本百物語』に登場する。場所は肥前国松浦、現在の長崎県北部から佐賀県北西部にかけての海域である。北風が激しく吹く時期になると沖へ現れ、船の近くを通った。

大きすぎるため、海上からは背中しか見えない。船乗りがその姿に気を取られていると、尾が伸びてくる。尾には鉤のような突起が幾つもあり、衣服や体を引っ掛けた者を海中へ落とした。海が荒れていても、近づく動きは気づきにくかったという。

船べりの漁師へ長い尾びれが届き、仲間が腕をつかむ場面
船べりの漁師へ長い尾びれが届き、仲間が腕をつかむ場面

語りの移り変わり

  1. 江戸後期肥前松浦の海に、尾で人をさらう怪魚の奇談が伝えられる。
  2. 1841年桃山人・竹原春泉斎『絵本百物語』に磯撫でが収録される。
  3. 近代妖怪関係の事典が『絵本百物語』の記事を紹介する。
  4. 現代尾に鉤を持つ巨大なサメに似た姿で、漫画やゲームにも登場する。

尾だけが届く怖さ

『絵本百物語』の挿絵では、大きな魚の尾が船へ迫り、鉤にかかった人が海へ引きずられている。怪物の全身は描かれず、船の外から届く尾だけが危険を伝える。海中の相手がどれほど大きいのか、乗組員には確かめようがない。

名の由来について、本文は磯辺を撫でるように尾を動かすためと記す。いきなり船を砕くのではなく、波間からそっと触れて人だけを奪う。外洋へ出た船で一人が消えても、海へ落ちた瞬間を見ていなければ何が起きたか分からない。

波の穏やかな磯で漁具を片づける人の背後に大きな影が通る場面
波の穏やかな磯で漁具を片づける人の背後に大きな影が通る場面

怪魚の姿が広まるまで

『絵本百物語』は桃山人の奇談に竹原春泉斎の絵を添えた本で、磯撫での名と姿を後世へ伝えた主要な資料である。ただし、松浦地方に同じ名の口承がどこまで広く存在したかは、刊本の記述だけでは分からない。

現代の図鑑では、尾に無数の棘を持つサメのような怪魚として描かれることが多い。これは春泉斎の挿絵を基に整えられた姿であり、原文に細かな体色や生態まで書かれているわけではない。

古い木版画を思わせる海で、船より大きな魚が水面下を横切る場面
古い木版画を思わせる海で、船より大きな魚が水面下を横切る場面
夜明けの浜に折れた櫂と縄が流れ着き、漁師たちが海を見ている場面
夜明けの浜に折れた櫂と縄が流れ着き、漁師たちが海を見ている場面
高い崖の上から見下ろした海に、細長い尾を持つ大魚の輪郭が見える場面
高い崖の上から見下ろした海に、細長い尾を持つ大魚の輪郭が見える場面
SOURCES

主な参考資料