草隅越で返ってきた声
草隅越は、天草市栖本町河内と下浦町の境にある峠である。あるとき、祖母と孫がそこを通った。祖母は道すがら、以前はこの場所に油すましが出たと孫へ教えた。すると、辺りから「今も出るぞ」と声が返り、油すましが現れたという。
何をした妖怪なのか、なぜ油の名が付くのか、採集された話には説明がない。恐ろしさは、昔のものとして話していた相手が、すぐそばで会話を聞いていたことにある。過去形にされた妖怪が、自分でそれを訂正したのである。

語りの移り変わり
- 伝承期天草の草隅越で、祖母の昔話に油すまし本人が答える話が語られる。
- 1932年浜田隆一『天草島民俗誌』に油すましの話が収録される。
- 1930年代後半柳田國男が「妖怪名彙」で紹介する。
- 20世紀後半水木しげるが蓑姿の老人として描き、全国的に知られる。
『天草島民俗誌』に残った話
天草の民俗を調べた浜田隆一は、昭和七年(一九三二)刊の『天草島民俗誌』にこの話を記録した。柳田國男も後に「妖怪名彙」で紹介し、土地の外でも名が知られるようになった。
地元で油すましの墓と呼ばれる石像は、河内地区の雑木林に残る。頭部を欠いた地蔵のような石像で、周辺には江戸時代の年号を刻んだ墓もある。ただし、その石像が伝承の発生時から油すましと結びついていたかどうかは明らかではない。

石頭の老人になった経緯
伝承には油すましの容姿が書かれていない。蓑をまとい、油壺のように丸く硬い頭をした老人の姿は、水木しげるが描いた妖怪像である。漫画や映画で知恵のある古参妖怪として登場し、その姿が広く共有された。
河内地区では椿やサザンカの実から「かたし油」を搾っていた。油の名を土地の生業と結びつける説もあるが、確定した由来ではない。現在は地域の石像と短い峠の話、そして漫画で育った姿が並んで伝えられている。






