行灯へ降りた火の玉
油赤子は、安永八年(一七七九)刊の鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた。画面では赤子が行灯のそばに立ち、舌を伸ばして灯油をなめている。傍らには、外から飛び込んできたことを思わせる火の玉も描かれる。
当時の灯りには菜種油などが使われた。油は毎日の夜を照らす品であると同時に、ただで使えるものではない。家人の目を盗んで油を減らす赤子は、夜中に灯りが暗くなった理由を目に見える姿へ変えたようなお化けだった。

語りの移り変わり
- 近世以前近江大津で、地蔵の油を盗んだ油売りが死後に怪火となった話が伝わる。
- 1779年鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に油をなめる赤子として描かれる。
- 江戸後期石燕の妖怪画集が写本や版本を通じて読まれる。
- 現代火の玉と赤子を行き来する妖怪として図鑑や創作に登場する。
地蔵の油を盗んだ男
石燕の詞書には、近江国大津の八町を玉のような火が飛ぶとある。土地の人の話では、昔、志賀の里に油売りがいた。男は毎晩、大津の辻に立つ地蔵から油を盗んでいたため、死後に魂が炎となり、迷い火になったという。
石燕はその話に続けて、油をなめる赤子は、この盗人が生まれ直した姿だろうかと記した。断定ではなく、古い怪火の由来と自分が描いた赤子を戯れに結びつけている。油赤子の細かな習性は、後世の図鑑で肉付けされたものも多い。

油が貴重だった夜
寺社の灯明油を盗む話は各地に残り、盗んだ者が死後に怪火となる型も見られる。神仏へ供えた油を自分の利益に替える行為は、物を盗むだけでなく、信仰を汚すことでもあった。
赤子は本来、責任を問えない無垢な存在である。そこへ罰を受けた盗人の生まれ変わりを重ねたため、かわいらしい姿と卑しい行動が同居する。家の中へ火のまま入り、赤子になり、また火に戻る短い動きも、石燕の一枚絵から自然に想像できる。






