倉橋山に現れた人面牛身
天保七年十二月、丹後国与謝郡の倉橋山に「件」が現れたという刷り物が作られた。絵の獣は牛の四本脚と胴を持ち、首から上は人の男に近い。本文では、天保の初めから豊作が続いたのは、この件が現れたためだと説明された。
刷り物は、件の絵を一度見れば家内安全となり、疫病を避けられるとも宣伝した。珍獣出現の知らせであると同時に、絵そのものを護符のように広める仕掛けだった。実物を見られない遠方の人も、刷られた姿を家へ持ち帰ることができた。

語りの移り変わり
- 1827年ごろ人面獣「件」に関する初期の記録が現れる。
- 1836年丹後国倉橋山に人面牛身の件が現れたという瓦版が刷られる。
- 明治期牛から生まれ、戦争や疫病を予言して死ぬという話が広がる。
- 1909年『名古屋新聞』が五島列島の件と日露戦争予言の噂を報じる。
予言を残して死ぬ牛の子
明治以降、件は農家の牛から生まれると語られるようになった。生まれた子牛には人間の顔があり、すぐに人の言葉を話す。これから戦争が起こる、疫病が広がる、何年は豊作になると告げ、予言を終えるとほどなく息を引き取る。
明治四十二年(一九〇九)の新聞には、長崎県五島列島で人面の子牛が生まれ、日露戦争を予言して死んだという十年ほど前の噂が載った。予言が出来事より先に記録されたかは確かめられない。大事件の後で、そういえば件が知らせていたという話が掘り起こされることも多かった。

「件の如し」と結ばれた妖怪
証文や書状は、前に書いた内容に相違がないという意味で「仍って件の如し」と結ぶことがある。件の予言が必ず当たるので、この言い回しができたという話が広まった。しかし文書の「件」は前述の事柄を指す普通の語で、妖怪よりはるか以前から使われている。
それでも、同じ一字を使う偶然は件の性質によく合った。一度口にしたことは違わず、その証明として命まで終える。幕末の予言獣は、戦争や災害の噂が新聞で広がる近代に入り、未来を一度だけ告げる牛の子へ姿を整えていった。






