赤と青、どちらを選んでも逃げられない
よく知られた舞台は、人気のない学校のトイレです。紙が切れて困っていると、どこからともなく声がして「赤い紙と青い紙、どちらが欲しい」と尋ねます。赤と答えた者は背中や首を切られ、青と答えた者は血を抜かれる、あるいは首を絞められる。結果は土地によって違いますが、色に合わせた死に方が待っているところは共通しています。
質問を無視する、白や黄色など別の色を頼む、個室から走って逃げるという続きもあります。助かる学校もあれば、床が開いて落とされる、白と答えると血をすべて抜かれるという話もありました。友人から聞いた子どもが実際の個室で問いかけを再現するうちに、校舎の構造やその場の思いつきが新しい決まりとして加わっていきました。

語りの移り変わり
- 1930年代赤い外套姿で子どもをさらうとされた「赤マント」の噂が都市で語られる。
- 1939年『中央公論』4月号に大宅壮一「『赤マント』社会学」が掲載される。
- 昭和後期学校のトイレで赤と青の紙や衣服を選ばせる問答が各地で採録される。
- 1990年代以降学校怪談の児童書や映像作品に登場し、色と結末の異なる版が広く知られる。
紙ではなくマントを勧める声
怪異の呼び名にも揺れがあります。「赤いマントを着せましょうか」と尋ね、赤を望んだ者の背を裂いて皮膚をマントのように垂らす話もあれば、「赤いちゃんちゃんこを着せましょうか」という一問だけの版もあります。赤い紙と青い紙の二択では、怪異そのものに赤マントという名が付かない場合さえあります。
姿が現れる版では、赤い外套を着た男、赤い仮面の人物、天井や便器の中に潜む化け物など、学校ごとに見た目が変わります。声だけの版なら、扉の外に誰がいるのか最後まで分かりません。個室に閉じ込められたまま返事を迫られるため、姿を詳しく決めなくても話が成り立ちました。

昭和初期に騒がれた別の「赤マント」
赤マントという名は、戦前にも新聞や雑誌へ現れています。当時の噂で恐れられたのは学校の便所に出る声ではなく、赤い外套を着て子どもをさらうとされた男でした。大宅壮一は『中央公論』1939年4月号に「『赤マント』社会学」を寄稿しており、昭和館の雑誌目録でもその掲載を確認できます。
誘拐者の赤マントと、戦後に広まった色選びのトイレ怪談は筋が違います。名前が似ているため一つの話の起源として紹介されることがありますが、間を埋める記録は十分ではありません。現在知られる赤マントをたどるときは、戦前の流言と学校で採録された問答を分けて見たほうが経緯を追いやすくなります。

学校の便所で増えた色の問答
日本口承文芸学会の論文「学校の怪談におけるトイレの怪異」は、昭和から平成にかけて集められた事例を年代順に整理しています。そこには赤と青の紙を選ばせる話だけでなく、マントやちゃんちゃんこなど着る物を選ばせる話も並びます。答えに応じて体の色が変わる筋は、短い問答だけで結末まで運べるため、休み時間の会話や肝試しでも語りやすいものでした。
同じトイレ怪談である花子さんと結びつくこともあります。三番目の個室を叩くと赤マントが答える、花子さんを呼ぶ手順の途中で赤と青を問われる、といった組み合わせです。別々の噂を知る子ども同士が話すと、呼び出す場所や回数だけでなく、怪異の名前まで入れ替わりました。

色が増えるたびに結末も増えた
二択をかわすために「黄色」と答えると、便器へ頭を押し込まれるという版があります。白なら体が真っ白になる、紫なら助かる、色を答えず「紙はいらない」と言えば外へ出られる。助かり方を考えた子がいれば、その答えを封じる続きを考える子もいました。
児童書やテレビ番組、インターネットで紹介されるようになると、赤マントは学校の外にも出ます。公園や病院のトイレへ場所を移し、紙の代わりに服や扉の色を選ばせる話も作られました。それでも、狭い個室で見えない相手から返事を求められる場面は、古い採録と変わらず残っています。




