現代怪異資料館MODERN KAIKI ARCHIVE
奇怪千万現代怪異資料館こっくりさん
FILE 31 / 学校・占い

こっくりさん

こっくりさん

文字盤を動く硬貨に答えを求める

紙に鳥居と五十音、数字、『はい』『いいえ』を書き、中央へ硬貨を置く。数人が人差し指を軽く重ねて『こっくりさん』を呼ぶと、硬貨が文字の上を移動して答えを作る。誰も動かしていないと言うのに、帰ってよいかと尋ねるまで指を離せない。昭和の学校で何度も流行したこの遊びには、明治初期までさかのぼる記録がある。

放課後の教室で抽象図形の紙と古い硬貨だけが机に残るこっくりさん
放課後の教室で抽象図形の紙と古い硬貨だけが机に残るこっくりさん

下田の港で動いた台

明治十年代、伊豆の下田に外国船が寄港した。船員たちは小さな台へ手を置き、問いかけに合わせて台が傾く遊びを見せたという。欧米で流行していたテーブル・ターニングで、台がうなずくように動くことから、日本では『こっくり』と呼ばれた。

同じ道具が手に入りにくかったため、土地の人々は三本の竹を脚にし、その上へ盆や飯櫃の蓋を載せた。参加者が縁へ手を添えると、台は片方へ傾いたり、床の上を移動したりする。やがて狐、犬、狸の名を当てた『狐狗狸』の字が広まり、動かすものも台から硬貨へ変わった。

夕暮れの無人教室で椅子がずれ、教卓の展示箱に硬貨だけが残る場面
夕暮れの無人教室で椅子がずれ、教卓の展示箱に硬貨だけが残る場面

語りの移り変わり

  1. 明治初期外国船の船員が伊豆の下田でテーブル・ターニングを見せたとされる。
  2. 1887年井上円了が『妖怪玄談』を刊行し、こっくりの動きを実験的に調べる。
  3. 1974年以降子どもや若者の間で経験者が再び増え、学校での流行が報じられる。
  4. 1992年全国2,000人を対象とした経験調査が行われ、1,636人から回答を得る。

井上円了が調べた流行

こっくりさんは港から各地へ広まり、明治十年代後半には新聞や知識人の話題になった。哲学者の井上円了は各地の実演を調べ、1887年に『妖怪玄談』を刊行している。人が意識せずに加える小さな力が重なり、台が動く仕組みを実験で説明した。

それでも、動き始めた台を前にすると、参加者は狐や霊が答えていると受け取りやすい。質問の内容も、失せ物の場所、結婚相手、試験の結果などへ広がった。占いとして行う人がいる一方、祈祷師や霊能者の仕事と結びつける例も現れた。

放課後の教室で児童たちが手書きの文字盤へ硬貨を置き、全員の指を載せてこっくりさんを呼ぶ
放課後の教室で児童たちが手書きの文字盤へ硬貨を置き、全員の指を載せてこっくりさんを呼ぶ

教室へ入ったこっくりさん

紙と硬貨だけでできる形になると、こっくりさんは子ども同士でも始められた。休み時間や放課後、机を囲んで好きな人の名や翌日の出来事を尋ねる。途中で指を離すと祟られる、最後に鳥居へ硬貨を戻さなければならない、使った硬貨はその日のうちに使う、といった決まりも地域ごとに加わった。

全国の成人を対象にした1992年の調査では、こっくりさんを知ったり実際に行ったりした年齢は、おおむね7歳から18歳に集中していた。場所は学校だけでなく、友人宅や地域の子ども集団にも及ぶ。1930年代から終戦までは一定の経験者がいたが、戦後に減り、1974年以降に再び増えたという。

児童たちの指を載せた硬貨が誰も押していないのに文字盤の上を動き、質問へ答える
児童たちの指を載せた硬貨が誰も押していないのに文字盤の上を動き、質問へ答える

動かしたのは誰か

参加者は全員、自分は押していないと感じることがある。指先のごく小さな動きは本人にも分かりにくく、複数人の力が一方向へそろえば硬貨は滑る。答えを予想した時に起こる無意識の運動は、現在では観念運動として説明される。

ところが、動いた硬貨が偶然名前や言葉を作ると、遊びは急に切実なものになる。答えを信じて不安になったり、やめる手順をめぐって集団が混乱したりするため、学校が禁止した時期もあった。昭和の流行では、海外由来の実験遊び、占い、学校の怪談が一枚の文字盤の上で重なっていた。

全員が指を離した後も硬貨だけが文字盤を動き続け、教室の児童たちが恐怖で後ずさる
全員が指を離した後も硬貨だけが文字盤を動き続け、教室の児童たちが恐怖で後ずさる
帰ることを拒んだこっくりさんのため教室の扉と窓が激しく鳴り、参加者の一人が取り憑かれたように硬貨を押さえる
帰ることを拒んだこっくりさんのため教室の扉と窓が激しく鳴り、参加者の一人が取り憑かれたように硬貨を押さえる
SOURCES

主な参考資料