マスクを外した女
よく知られた話では、口裂け女は子どもの帰り道に現れます。マスクをしたまま「私、きれい?」と聞き、相手が「きれい」と答えると、耳まで裂けた口を見せて「これでも?」と迫ります。逃げ出した子どもを鎌や包丁で追う話もあれば、返答を誤ると同じ傷をつけられるという話もありました。
問いかけは二度だけで、話すのに長い時間はかかりません。聞いた子どもは、その日のうちに学校の友達やきょうだいへ伝えられます。誰もが知っている通学路や空き地を舞台にできたため、「隣の町まで来た」「近くの学校で見た子がいる」と場所を移しながら広がりました。

語りの移り変わり
- 1978年末岐阜県内で、口の裂けた女を見たという噂が目立ち始める。
- 1979年1月26日岐阜日日新聞朝刊の「編集余記」が口裂け女を取り上げる。
- 1979年春から夏口コミと全国メディアで各地へ広がり、集団下校や見回りが行われる。夏休みごろに騒ぎは沈静化する。
- 1980年代以降学校怪談、漫画、映画、ネット投稿へ移り、海外にも翻案される。
岐阜で記録された最初期の騒ぎ
噂が目立ち始めたのは1978年の暮れです。発祥地には八百津町、美濃加茂市、岐阜市など複数の説が残り、農家の女性が庭先で口の裂けた女を見たという話も伝わっています。発祥者を一人に絞れる記録はありません。
国立国会図書館が岐阜日日新聞の紙面を調べたレファレンス記録では、1979年1月26日朝刊1面のコラム「編集余記」に口裂け女の記事が確認されています。同年6月15日の夕刊には「岐阜で生まれた口裂け女 騒ぎやっと下火へ」という記事と想像図が載りました。半年足らずの間に、地元の噂が全国的な騒ぎへ変わったことが紙面の日付から分かります。

塾帰りの子どもが噂を運んだ
民俗学者の飯倉義之によると、岐阜で語られた噂は半年ほどで青森から鹿児島まで届きました。大きな通り道になったのが、複数の学区から子どもが集まる学習塾です。別の学校で聞いた話を塾で交換し、家へ戻ってから自分の学校の友達に話す。遠方の親戚には電話で伝わりました。
新聞や週刊誌、テレビが取り上げると、まだ噂を知らなかった地域にも名前と姿が届きます。記事を読んだ子どもが地元の道へ話を置き換え、その話が次の取材で紹介されることもありました。学校では集団下校が行われ、保護者や教師が夜道を見回った地域もあります。

土地ごとに増えた逃げ方
口裂け女の服は赤いコートとも白い服ともいわれ、手にする物も鎌、包丁、鋏と一定しません。百メートルを六秒で走る、車に追いつくといった速さの話が加わる一方、べっこう飴を渡せば見逃される、ポマードと三回唱えれば逃げられるという対処法も生まれました。
返事を曖昧にする、逆に質問を返す、犬を意味する言葉を叫ぶなど、助かる方法は地域によって違います。恐ろしい相手の話を聞くだけで終わらず、「出会ったらどうするか」まで子どもたちが考え、次の語り手が新しい答えを足していきました。整形手術の失敗や交通事故を発端とする話も、流行の途中や後年に加わった由来です。

夏休みとともに消えた騒ぎ
1979年の夏休みが始まるころ、学校を中心に回っていた噂は急速に静まりました。それでも、マスク、二度の質問、裂けた口という組み合わせは残り、学校怪談や漫画、映画の登場人物として繰り返し使われました。
現在は海外でも日本生まれの怪異として知られています。英語圏や韓国などの再話では、使う凶器や答え方が置き換えられることがあります。1979年に日本各地で起きた変化と同じように、口裂け女は語られる土地の道具や言葉を取り込みながら今も姿を変えています。




