黄帝に妖怪の名を教える
白沢の伝説は中国で生まれた。黄帝が海辺の桓山で出会った白沢は、人語を解し、天地の怪異をことごとく知っていた。黄帝が尋ねると、白沢は一万一千五百二十種の精怪について、現れる前触れ、起こす災い、避ける方法を答えた。
その内容を絵と文にしたものが『白沢図』と呼ばれた。怪異に名前を付け、特徴を知れば、出会った時に対処できる。白沢は敵を力で倒す獣ではなく、何者であるかを見分ける知識によって人を守った。

語りの移り変わり
- 古代中国黄帝が白沢から天下の精怪一万一千五百二十種を教わったと伝えられる。
- 古代から中世怪異の姿と対処法を記す『白沢図』が中国から日本へ伝わる。
- 1780年鳥山石燕が九つの目を持つ白沢を『今昔百鬼拾遺』に描く。
- 江戸時代白沢避怪図が旅の安全、魔除け、疫病除けの札として頒布される。
九つの目を持つ日本の白沢
中国の白沢像は時代によって姿が異なり、獣だけで描かれるものも、人の顔を持つものもある。日本では鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』が、白い獅子のような胴、人の顔、二本の角を持つ白沢を描いた。額と頭に三つ、胴の左右に三つずつ、合わせて九つの目がある。
多くの目は、あらゆる方角の怪異を見逃さない知恵に似合う。石燕の絵は後世の妖怪図鑑や寺社の絵に影響し、日本で白沢といえば九眼の人面獣を思い浮かべるようになった。

絵を持ち歩いて災いを避ける
江戸時代には、白沢の姿と怪異を避ける文言を刷った「白沢避怪図」が社寺で頒布された。旅人は折りたたんで懐へ入れ、枕元に置いた。図を持てば狐狸や邪気が近づかず、悪い夢や疫病も避けられるとされた。
岩手県立博物館の掛幅には、白沢図を携帯すれば狐狸や邪気の類が近寄らないとの説明が残る。戸隠山でも守り札として出され、旅の安全を願う人々が求めた。怪異の知識を集めた古代中国の書物が失われた後も、すべてを知る獣の姿だけは護符となって各地へ運ばれた。






