木の中にいる神
十世紀に編まれた『和名類聚抄』は、木の神を「古多万」と記している。大木や奇妙な形の木には、注連縄を張り、神の依り代としてまつる習慣があった。一本の木そのものを神聖な存在とし、枝を折ることさえ避ける場所もある。
伐採を始めた途端に作業者がけがをする、切った家に病人が出る、夜ごと木の泣く音がする。こうした出来事が重なると、その木には木霊がいると語られた。必要があって切る時は、酒や塩を供え、山の神へ断りを入れる。

語りの移り変わり
- 10世紀『和名類聚抄』が樹神の和名を「古多万」と記す。
- 中世以前古木を神の依り代とし、伐採を避ける信仰が各地に広がる。
- 1776年鳥山石燕『画図百鬼夜行』が老木と老男女の「木魅」を描く。
- 現在山の反響を指す普通名詞としても「こだま」が使われる。
百年の木が人になる
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、「木魅」と題して大きな古木が描かれる。その根元には、木の幹から抜け出したような老いた男女が立つ。詞書は、百年を経た木には神霊が宿り、形を現すと説明する。
若い木ではなく、何世代もの人を見てきた木が老人の姿になる。木の寿命は人より長く、村ができる前からそこに立つものもある。長い時間を人の年齢へ置き換えれば、白髪の翁と媼になるのは自然だった。

山から返る声
山で大声を出すと、同じ言葉が向こうの峰から戻ってくる。現在は音の反射と分かっているが、かつては山や木にいるものが返事をすると考えられた。この反響も「こだま」と呼ばれ、木霊と山彦の名は重なることがある。
木霊の声は、姿を見せずに木の中から聞こえる。呼びかけをそのまま返すだけなら害はない。しかし、返事に誘われて道を外れれば、山深くへ迷い込む。木を切る時と同じように、山で聞こえる声にも相手がいるつもりで接した。






