破れ障子が見返してくる
鳥山石燕の絵では、紙の破れた障子が部屋の正面に立っている。紙が残っている場所は少なく、四角い桟がむき出しになっている。その一つ一つの升目に眼球が浮かび、同じ部屋にいる者を四方から見つめる。妖怪の体はなく、家の建具そのものが目を持っている。
人のいないはずの廃屋でも、障子の向こうに誰かがいるように感じることがある。破れ穴は暗く、外の光が動けば目のようにも見える。石燕は、のぞかれている感覚を、障子いっぱいの眼球として目に見える形へ変えた。

語りの移り変わり
- 1780年鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に目目連が描かれる。
- 江戸時代碁盤の目、障子の桟、眼球を掛けた絵として版本で広まる。
- 近現代廃屋の旅人が目を集める話など、新しい逸話が加わる。
- 現在古い障子に無数の目が浮かぶ妖怪として広く知られる。
碁盤の目から生まれた名
『今昔百鬼拾遺』の詞書には、昔、碁打ちが住んでいた家に目目連が住んだとある。碁盤は縦横の線で区切られ、その交点を「目」と呼ぶ。障子の桟も碁盤に似ており、升目へ本物の目を置けば「目が連なる」目目連になる。
碁打ちが盤面へ注いだ視線や執念が家に残った、と受け取ることもできるが、石燕は詳しい事件を書いていない。碁盤、障子、眼球を「目」という一語でつないだ洒落が絵の中心にある。怖い場面でありながら、仕掛けに気づくと可笑しさも残る。

絵の外で付け加えられた物語
後世には、荒れ屋敷へ泊まった男が障子の目を一つずつ集め、眼科医へ売って金持ちになる話が紹介された。また、手入れされない家に目目連が現れるため、家を清潔にせよという説明もある。どちらも石燕の詞書には見当たらない。
原典で目目連がするのは、見ることだけである。追いかけも襲いもせず、障子の向こうから黙って見返す。行動が少ないため、読む者はなぜ目が現れたのか、見られた後に何が起きるのかを自分で補う。一枚絵だけで成立しながら、続きを考えさせる妖怪になった。






