翌日の優勝が書かれたページ
最初は父親か所属クラブが励ますために作ったのだと思った。だが父は否定し、記事に書かれたとおりアノーラが優勝する。その後も大会の前日にページを開くと、順位がすでに記載されていた。十五歳で地域大会を制するという記述も現実になり、両親は高額なコーチ、セルゲイを雇った。学校を離れて練習に専念し、オリンピックを狙う生活が始まる。
ところが、次の地区大会では元親友のブリーが優勝候補だった。焦ったアノーラはWikipediaのアカウントを作り、自分が勝者になるよう記事を編集する。更新後に表示されたのは順位ではない。『アノーラ・ペトロワは、自業自得の目に遭う身勝手な女だ』という一文だった。

語りの移り変わり
- 中学8年の冬(作中)アノーラが未来の優勝を記した自分のWikipedia記事を見つける。
- 数年後(作中)記事を編集しようとした後、事故と両親の死が文章どおり起きる。
- 18歳(作中)自分の死亡日を読んだアノーラがブリーへ最後のメールを送る。
- 2014年7月5日Creepypasta Wikiへ作者表記付きで掲載される。
折れたブレードと孤児の予告
翌日、ブリーの演技中にスケート靴のブレードが折れた。飛んだ金属片はアノーラの額を切り、事故の調査では、以前ブリーの靴を預かっていたアノーラへ疑いが向く。本人は細工を否定したが、競技会から追放され、セルゲイにも見放された。周囲の誰も口をきかなくなり、Wikipediaの記事は開くたびに彼女を罵った。
削除を依頼しても、Wikipedia側には該当ページが見つからない。ある金曜の夜、記事はアノーラを『哀れな孤児』と呼んだ。両親へ何度電話をかけても受話器から笑い声しか聞こえず、その夜、二人は事故で亡くなる。警察から返された両親の携帯電話には、アノーラがかけた履歴が一件も残っていなかった。

プラハ郊外からの最後のメール
十八歳になったアノーラは、事故の賠償金を受け取りスイスへ移る。競技会から離れた場所で滑り始め、やがてプラハ郊外のホテルからアイス・サーカスの選考を受けることになった。不安になった彼女は、長く避けていた自分の記事をもう一度開く。
ページには『アノーラ・ペトロワは友もなく一人で死んだ』とあり、死亡日はその日になっていた。彼女は疎遠になったブリーへ、これまでの経緯と画面の画像をメールで送る。ホテルの部屋へ鍵をかけ、日付が変わるのを待ちながら更新を繰り返す。残り数分になっても文章は消えない。メールは、疲れているのに画面から離れられないという言葉で途切れる。
作者名としてonepagewonder.comが記され、Creepypasta Wikiには二〇一四年七月五日に掲載された。本文は最初から最後までブリー宛てのメールであり、受信者からの返事も、午前零時以降の記録もない。






