本堂の奥にあった木箱
木箱を見つけた日のうちに、管理業者は寺の元住職へ連絡を取った。元住職は「絶対に開けるな」と念を押し、自分が引き取ると答えた。ところが現場へ戻ると、夜中に忍び込んだアルバイト二人が釘を抜いていた。二人はプレハブの前に座り込み、呼びかけても返事をしなかった。
箱の中には、乾燥した人間のようなものが横たわっていた。頭は左右に二つ、腕は左右二本ずつ。足だけは二本で、四本の腕を胸の前に構えている。作業員たちは奇形の遺体か、精巧な作り物ではないかと考え、警察へ知らせるかどうかを相談した。

語りの移り変わり
- 720年完成した『日本書紀』に、飛騨国の異形の人物・宿儺が記される。
- 2005年9月21日〜22日岩手の廃寺から異形のミイラが出たという長編が、2ちゃんねるのオカルト板へ投稿される。
- 2010年代以降まとめサイト、朗読動画、ゲームなどで物部天獄と呪物の筋が再話される。
元住職が持ち去ったもの
八十歳を越えた元住職は、息子の車で現場へ駆けつけた。開けた者を確かめると、「開けたらしまいじゃ」と怒鳴り、息子には、京都の寺へ送る約束だったはずだと詰め寄った。作業員たちは三十分ほど経を聞かされ、経本のような物で肩や背中を強く叩かれた。
元住職は箱を車へ積み、「リョウメンスクナ様」と呼んだ。その後、箱を開けた一人が亡くなり、もう一人は入院したと投稿者は続ける。解体に関わった者にも事故や病気が相次ぎ、投稿者は木箱の来歴を調べ始めた。

物部天獄という教祖
話の後半では、大正期に「物部天獄」と名乗った教祖が登場する。教祖は見世物小屋などから身体の異なる人々を集め、閉じ込めた者同士を争わせた末、生き残った二人をつなぎ合わせて即身仏にしたという。掲示板の中で語られる来歴であり、この人物や教団を裏づける同時代史料は示されていない。
教祖は完成したミイラを各地へ運び、最後に自ら命を絶った。箱が置かれた土地では大きな災害が起きたともいう。ただし、投稿には大正期の新聞や教団資料は示されず、物部天獄という人物も同時代の記録から確認されていない。

古代の両面宿儺とは別の話
両面宿儺の名そのものは、2005年に作られたものではない。『日本書紀』の仁徳天皇六十五年条には、飛騨国に一つの胴へ二つの顔、四本ずつの手足を持つ宿儺がいたと記される。朝廷に従わず、難波根子武振熊に討たれたというのが中央側の記録である。
飛騨では宿儺の姿が大きく変わる。高山市丹生川町の千光寺では開祖として祀られ、農耕を教え、地域を守った人物として伝えられてきた。円空が彫った両面宿儺坐像も残る。廃寺の木箱と物部天獄は、この古い名と異様な身体像を借りて組み立てられた、2005年のネット怪談の登場人物である。

2005年9月の連続投稿
保存されたログでは、最初の書き込みは2005年9月21日16時10分。投稿番号452から始まり、質問への返答を挟みながら翌日まで続いた。投稿者はまず解体現場で見た物を書き、元住職の言葉、後から調べた教団の来歴を順に付け加えている。
後年の再録では、物部天獄の教団名や呪物の保管先が補われることがある。原投稿で確認できるのは、岩手の廃寺、二つの頭と四本の腕を持つミイラ、京都へ送るはずだったという元住職の言葉、そして投稿者が聞き集めた大正期の来歴までである。




