帰ってきた娘を誰も知らない
娘は受付係へ食い下がり、医師や馬車の御者を捜す。医師は往診を否定し、宿帳には母娘の名がない。母が寝ていた部屋は、壁紙を張り替えたように色が違い、ベッドも位置を変えている。ほんの数時間でできるはずがないのに、以前の部屋を証明できる物は一つも残っていない。
警察までホテル側の話を信じ、疲れた娘の妄想だと扱う。結末では、年老いた警官や医師が密かに真相を教える。母親はペストや黄熱病で亡くなった。感染症が出たと知れれば万国博覧会は混乱し、旅行者が逃げる。ホテルは遺体と荷物を運び出し、宿帳を書き換え、部屋を一晩で作り直した。

語りの移り変わり
- 1897年11月14日『Philadelphia Inquirer』に『A Mystery of the Paris Exposition』が掲載される。
- 1898年『Detroit Free Press』に母親の失踪を扱う類話が載る。
- 1929~34年アレクサンダー・ウールコットが『The Vanishing Lady』として紹介し、随筆集へ収録する。
- 20世紀ラジオ、舞台、映画で、同行者とホテルの部屋が消える筋が繰り返し使われる。
1897年の『パリ博覧会の謎』
確認できる早い活字例は、ナンシー・ヴィンセント・マクレランドが1897年11月14日付『フィラデルフィア・インクワイアラー』へ書いた『A Mystery of the Paris Exposition』である。ここでは娘がフランス警官から母の死と隠蔽を知らされる。翌1898年にはデトロイトの新聞にも似た話が載った。
舞台は1889年または1900年のパリ万博とされるが、1897年の記事は次の大博覧会より前に出ている。作者は実話として紹介したものの、ホテル名、母娘の氏名、警察記録は示していない。新聞記事が口伝えを記録したのか、記事から口伝えが始まったのかも判然としない。

疫病より怖い隠蔽
十九世紀末の旅行者にとって、外国で病気になることは現実の危険だった。身分証、宿帳、電報をホテルと役所が握り、言葉の通じない娘には母の存在を証明する手段がない。話は病死そのものより、全員が同じ嘘をつく状況を長く描く。
ホテルが短時間で壁紙まで替える場面は現実離れしている。それでも、国の威信と観光収入を守るためなら一人の旅行者を消す、という理由が付く。娘が正しいと分かった時には、母の遺体も部屋も戻らない。

小説、ラジオ、映画へ
アレクサンダー・ウールコットは1929年、『ニューヨーカー』にこの話を載せ、1934年の随筆集『While Rome Burns』へ収録した。ラジオドラマや映画は、母娘を姉妹や友人に替え、万博の群衆の中で行方を追う物語へ広げた。
1950年の英国映画『So Long at the Fair』も、パリのホテルで兄が消え、宿泊を否定される筋を使う。電話や監視カメラのある現代へ移すと証拠を消す手間が増えるため、多くの再話は今も十九世紀のホテルを選ぶ。紙の宿帳から名前を一行消せば、一人の旅行者をいなかったことにできる時代である。





