牡丹灯籠を持つ女
寛文六年(一六六六)に刊行された浅井了意の怪談集『伽婢子』に、「牡丹灯籠」が収められている。荻原新之丞という若者は、夜道で美しい女と侍女に出会う。侍女が持つ灯籠には牡丹の花が描かれていた。女は弥子と名乗り、新之丞と親しくなって、毎夜彼の家を訪れるようになる。
二人は夜が明けるまで語り合い、やがて夫婦のように暮らした。しかし近所の者には、夜ごと訪れる女たちの素性が分からない。不審に思った隣人が壁の穴から部屋をのぞくと、新之丞は白骨を抱き、その髑髏と話をしていた。女はすでに死んでおり、新之丞だけが生前の姿を見ていたのである。

語りの移り変わり
- 14世紀末瞿佑『剪灯新話』に「牡丹灯記」が収められる。
- 1666年浅井了意『伽婢子』が日本を舞台にした「牡丹灯籠」を刊行する。
- 1779年鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』に「骨女」を描く。
- 明治期三遊亭圓朝の『怪談牡丹燈籠』が速記本や歌舞伎を通じて広まる。
墓の中へ連れ去られた男
隣人から真相を聞いた新之丞は寺へ相談し、護符を家の戸口に貼って女を入れないようにした。女は戸の外で泣き、名前を呼び続ける。新之丞はしばらく耐えたものの、ついに外へ出てしまい、女に連れられて姿を消した。
人々が女の墓を開くと、棺の中には二体の遺骸があった。女の白骨に、新之丞の亡骸が抱きついていたという。美しい姿の下に白骨を隠す女は、男をだますためだけに化けたのではない。死んだ後も会いに来て、生きた恋人を墓の中まで連れていった。

中国の物語から江戸の妖怪へ
『伽婢子』の話は、中国明代の短編小説集『剪灯新話』にある「牡丹灯記」を日本の土地と人物へ置き換えたものだった。海を渡った物語は、江戸の読者になじみやすい怪談へ作り直され、広く読まれた。後に三遊亭圓朝が語った『怪談牡丹燈籠』も、登場人物や筋を大きく変えながら、この系譜を受け継いでいる。
鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』で、牡丹灯籠を持つ骸骨の女を「骨女」として描いた。詞書には『伽婢子』と『剪灯新話』の名も挙げられている。もともとは一篇の小説に登場する亡霊だったが、石燕が名前と姿を切り出したことで、骨女は独立した妖怪として図鑑に並ぶようになった。






