東洞院通を走る燃える車輪
延宝五年(一六七七)刊行の『諸国百物語』には、京都の東洞院通へ現れた「片輪車」の話がある。毎晩のように、火に包まれた車輪が通りを走るため、人々は日が暮れると表へ出なくなった。姿を見た者には災いが起こると恐れられていた。
近所に住む女は、見てはならないと言われるほど見たくなり、格子戸からそっと外をうかがった。車輪は家の前で止まり、中央の恐ろしい顔が女をにらむ。「我を見るより、汝の子を見よ」。家の中では子が泣いており、両脚が引きちぎられていた。車輪の怪は、のぞき見た代償を子に負わせたのである。

語りの移り変わり
- 1677年『諸国百物語』に、京都・東洞院通を走る片輪車の怪談が載る。
- 江戸中期『諸国里人談』に、近江国の片輪車と子を失った女の話が収められる。
- 1779年鳥山石燕『今昔画図続百鬼』が輪入道と片輪車を別々に描く。
- 近現代炎の車輪に男の顔を持つ妖怪として小説、漫画、ゲームへ登場する。
車輪にされた罪人の顔
鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』で、炎をまとった牛車の車輪に、剃髪した男の巨大な顔を描いた。名は「輪入道」。詞書には、悪行を重ねた者が車裂きの刑を受け、その魂が車輪の中に残って人々を脅かす、といった由来が添えられている。
牛車が都を行き交った時代、車輪は人の背丈ほどもある巨大な道具だった。暗い道をきしみながら進む輪に顔と炎を加えれば、それだけで逃げ場のない怪物になる。輪入道に遭った者は魂を抜かれたり、手足を奪われたりするとされ、ただ姿を見ることさえ禁じられた。

輪入道と片輪車
石燕の画集には、輪入道とは別に「片輪車」も載る。こちらは燃える車輪に裸の女が乗り、幼児の脚を手にしている。近江国甲賀郡の伝説では、女が禁を破って片輪車を見たため子をさらわれるが、後悔を歌に書いて戸口へ貼ると、怪物は子を返したという。
古い怪談では両者の名や姿がはっきり分かれていなかった。石燕が男の顔の車輪を輪入道、女を伴う車輪を片輪車として描き分けたことで、二体の妖怪として知られるようになる。夜道を走る車輪、のぞいてはならない禁、奪われる子という材料は、今も双方の話に残っている。






