山に住み、人を食う猫胯
藤原定家の日記『明月記』には、天福元年(一二三三)、奈良の南都で「猫胯」という獣が一晩に七、八人を食い殺したとの噂が記されている。目は猫のようで、体は犬ほどもあったという。定家が現場を見たわけではなく、都まで届いた風聞を書き留めた記事である。
吉田兼好の『徒然草』第八十九段にも、「奥山に猫またというものがいて、人を食う」と人々が話す場面がある。山猫や別の猛獣を見誤った可能性もあるが、当時の猫又は、まず人里離れた山に潜む危険な獣として知られていた。

語りの移り変わり
- 1233年『明月記』に、南都で人を食ったと噂された「猫胯」が記録される。
- 14世紀前半『徒然草』第八十九段に、山の猫又と年老いた飼い猫の噂が載る。
- 江戸時代人語、猫踊り、死体を奪う猫など、飼い猫が化ける話が増える。
- 1776年鳥山石燕が二本の尾で踊る「猫また」を描く。
僧の首へ飛びついたもの
『徒然草』の僧は、連歌会を終えて夜更けに一人で帰る途中、猫又に襲われるのではないかと不安になる。すると川のそばで何者かが足元へ走り寄り、いきなり首へ飛びついた。僧は声も出せず、抱えていた連歌の賞品まで落として川へ転げ込む。
近所の者が灯を持って駆けつけると、飛びついたのは僧が飼っていた犬だった。犬は主人を見つけて喜んだだけである。噂を聞いて怖がっていた僧は、暗闇の犬を猫又だと思い込んだ。この一段では怪物そのものより、恐怖に取りつかれた人間の慌てぶりが笑い話になっている。

飼い猫が化けるまで
『徒然草』には同時に、「飼い猫も年を取れば猫又になり、人を取る」との噂が紹介される。近世になると、長く生きた猫が人の言葉を話す、頭に手拭いをかぶって踊る、主人に化けるといった話が数多く書かれた。葬列から死体を奪う猫又や、仲間を猫踊りへ誘う猫も現れる。
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、二本の尾を持つ猫が後ろ脚で立ち、手拭いをかぶって踊っている。尾が二つに裂けることは、長寿の猫が化けた印として定着した。山中の人食い獣だった猫又は、囲炉裏のそばで暮らす飼い猫が、主人の知らぬ間に力を得た妖怪へ変わっていった。






