転んだあとに残る鋭い傷
新潟県弥彦地方には、弥彦山から国上山へ越える黒坂で転ぶと、手足に必ず切り傷ができるという話が残る。傷口は鎌で切られたように鋭いのに、すぐには痛まず、出血も少ない。人々は風の中に潜む鼬が斬ったのだと考え、この現象を鎌鼬と呼んだ。
鎌鼬は越後七不思議の一つに数えられ、長野や岐阜などにもよく似た話がある。地方によっては悪神が乗るつむじ風、見えない鎌、風に乗った獣の爪と説明された。傷を受けたときに倒れた本人は何も見ていない。姿が見えないからこそ、風と傷の間に一匹の動物が置かれた。

語りの移り変わり
- 江戸時代信越地方などで、風の中で負う切り傷が鎌鼬と呼ばれる。
- 1776年鳥山石燕が『画図百鬼夜行』で「窮奇」に「かまいたち」と読ませる。
- 19世紀初頭『北越奇談』が越後の鎌鼬に関する話を記す。
- 近代真空説など科学的な説明が試みられ、議論を呼ぶ。
三匹で襲う鎌鼬
東海地方などでは、鎌鼬は三匹で動くともいわれる。一匹目が人の足を払って転ばせ、二匹目が鎌で皮膚を切る。三匹目は傷口へ薬を塗り、血と痛みを止める。突然倒れたこと、傷があること、思ったほど血が出ないことを、三匹が順番に働いた結果とした話である。
役割の分担には違いがあり、最初の一匹が殴り、次が斬り、最後が薬をつける土地もある。いたずら好きな小獣として語られる一方、顔や首を深く斬られる恐ろしい話もあった。山仕事や冬の往来で負う原因不明の傷は、土地ごとに異なる鎌鼬を生んだ。

窮奇から鎌を持つ鼬へ
江戸時代の鳥山石燕は『画図百鬼夜行』に、中国の怪獣「窮奇」を描き、その名に「かまいたち」と仮名を振った。絵の獣には翼があり、空を飛びながら鎌のような前脚を振り上げている。日本の風の怪異と中国の古典に出る獣を、一枚の絵で重ねたのである。
明治以降には、局地的な真空が皮膚を切るという説明が広まったが、物理学者の寺田寅彦はそのような真空では説明できないと論じた。現在は、寒さで感覚が鈍った皮膚を小石や枝で切った場合など、複数の原因が考えられている。原因が一つではない現象だったからこそ、鎌鼬の姿も土地と時代によって変わり続けた。






