七条河原で出会った老人
延宝五年(一六七七)の『諸国百物語』には、京都の七条河原を夜更けに通った男の話が載る。男の前へ、年老いた盲人のような者が現れた。顔には目がないのに、杖をつく両手のひらには一つずつ目が開き、男を見据えていた。
男は近くの寺へ駆け込み、僧に頼んで長持の中へ隠してもらう。老人は寺まで追ってきたが、しばらくすると帰っていった。僧が蓋を開けると、男の体は皮ばかりになっていた。骨は一本残らず抜き取られ、長持の底には血がたまっていたという。

語りの移り変わり
- 1677年『諸国百物語』に、手のひらに目を持ち、人の骨を抜く老人の話が載る。
- 江戸前期妖怪絵巻に、掌に目を持つ人物の図像が描かれる。
- 1776年鳥山石燕『画図百鬼夜行』が座頭姿の「手の目」を収録する。
- 近現代亡霊の由来や、人を探す能力を加えた物語が妖怪本に広まる。
手のひらで見る座頭
鳥山石燕は『画図百鬼夜行』に、両手を胸の前へ広げた座頭を描いた。眼球は手のひらにあり、顔の目は描かれていない。背には琵琶を負い、傍らには杖が立てかけられている。名は「手の目」。詞書がないため、石燕が七条河原の話を直接描いたかどうかは断定できない。
目の見えない者が、手探りをする手で見るという反転は、一目で意味が伝わる。両手を前へ出せば、どちらを向いていても掌の目が相手を捉える。後世の妖怪本では、殺された盲人が犯人を探すため、手に目を得てさまようという由来も語られたが、これは古典の画集にはない説明である。

一枚の絵から歩き出した妖怪
石燕以前の妖怪絵巻にも、掌に目を持つ者の図があったとされる。石燕の絵はその姿を整理し、杖と琵琶を持つ座頭として印刷物へ載せた。写本だけで伝わる絵巻と違い、版本は広い地域で読まれ、手の目の名と姿も繰り返し写された。
古い資料から確かに分かるのは、顔に目がなく手に目がある姿までである。夜道で人を追うのか、骨を抜くのか、亡霊なのかは、別の怪談や後世の解釈によって補われた。説明の空白が大きかったため、手の目は絵を見る者の想像を取り込みながら、物語を増やしていった。






