鬼の列に出会った貴族
『今昔物語集』には、藤原常行が女のもとへ通う途中、百人ほどの鬼と出会う話がある。鬼たちは東大宮大路の方から押し寄せてきた。常行は車を止め、尊勝陀羅尼を記した護符を身に付けていたため難を逃れる。鬼の側からは、強い光に遮られたように常行の姿が見えなかった。
別の説話では、藤原師輔が夜の一条大路で百鬼夜行に遭遇し、同じ陀羅尼を唱えて助かった。僧が鬼の宴へ紛れ込む話や、鬼の集団が火をともし、歌い踊る話もある。「百」は正確な頭数というより、数え切れないほど多くの異形が一度に現れた様子を表している。

語りの移り変わり
- 平安時代貴族の日記や説話に百鬼夜行の凶日と、夜道で鬼の列へ会う話が現れる。
- 鎌倉時代『宇治拾遺物語』などが、鬼の集団や夜の異形との遭遇を収録する。
- 室町時代真珠庵本『百鬼夜行図』が、器物と鬼獣の行列を絵巻に描く。
- 1776年鳥山石燕が妖怪図鑑『画図百鬼夜行』を刊行する。
外へ出てはいけない夜
平安貴族が用いた暦注には、百鬼夜行があるとされる日が記された。日取りは資料によって違うが、該当する夜は外出を避け、どうしても出るなら呪文や護符を身につける。方角を変える「方違え」と同じく、危険な時と道をあらかじめ知って避ける作法だった。
百鬼夜行は、決まった妖怪が毎年同じ道を巡る祭礼ではない。説話では鬼の群れ、死者、異形の僧など、その都度違うものが列を作る。行列の目的もほとんど語られず、人間は通り過ぎるまで隠れるしかない。

絵巻の中を走る古道具
京都・大徳寺真珠庵に伝わる重要文化財『百鬼夜行図』は、室町時代の作とされる。巻物を右から左へ開くと、鍋、釜、琵琶、琴、傘、履物などが目や手足を持ち、鬼や獣に交じって走る。詞書がないため、どこから来てどこへ行くのかは絵だけでは分からない。
行列の最後には、赤い太陽か火の玉のようなものが現れ、妖怪たちは追われるように逃げる。朝日を受けて夜の者が退く場面とも、仏法の光とも解釈されてきた。真珠庵本を手本に多くの写本が作られ、描かれる妖怪の順番や種類が変わった。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』は題名を受け継いだが、妖怪を一体ずつ見開きに載せる図鑑の形を取り、夜道の一列とは違う読み方を生んだ。






