黒雲へ放った一本の矢
『平家物語』巻第四「鵺」では、丑の刻になると御所の上へ黒雲が現れ、帝を悩ませた。頼政は先祖の源頼光が怪異を退けた例にならい、弓と二本の矢を携えて待つ。雲の間で何かが動いた瞬間、「南無八幡大菩薩」と念じて矢を放った。
鳴き声とともに怪物が二条城の北へ落ち、猪早太が九度刺した。姿は頭が猿、胴が狸、尾が蛇、手足が虎。鳴き声だけが「ぬえ」に似ていた。頼政は褒美に御剣を受け、宮中で名を上げる。後の版では、矢を射た場所、落ちた場所、褒美の品に違いがある。

語りの移り変わり
- 古代ぬえの鳴き声が『万葉集』などで夜の寂しさとともに詠まれる。
- 1153年ごろ(物語)近衛天皇を悩ませた怪物を源頼政が御所で射落とす。
- 鎌倉期『平家物語』が頼政の鵺退治を収録する。
- 近世以降能、歌舞伎、浮世絵と各地の鵺塚が怪物の後日を描き足す。
怪物になる前の『ぬえ』
古歌に出る「ぬえ」は、現在のトラツグミと考えられている。夕方から夜に、細く伸びる声で鳴く鳥である。『万葉集』や『古事記』では、ぬえの鳴き声を寂しい夜や人目を避ける恋に重ねた。猿と狸を合わせた怪物の名ではなかった。
『平家物語』も、頼政が射た怪物そのものを最初から鵺と名付けてはいない。姿の説明に続き、鳴く声が鵺に似ていたと記す。後世の絵、能、歌舞伎がこの異形を「鵺」と呼び、鳥の名が合成獣の名へ移った。

流された死骸と土地の伝承
退治された鵺の死骸は、空舟に乗せて川から海へ流したという。大阪湾へ着いた死骸を村人が葬ったとする鵺塚が大阪市にあり、芦屋や浜松などにも漂着地を名乗る伝承が残る。同じ体が複数の場所へ流れ着くことはできないが、各地が水路と海を通じて頼政の物語を受け取った。
京都には、頼政が矢尻の血を洗ったとされる鵺池跡の碑がある。実際の御所と池の位置は時代によって変わり、現在の碑は物語を記憶する場所である。浮世絵では、黒雲を割って落ちる巨大な鵺と、弓を構える頼政が好んで描かれた。夜の鳥声から始まった怪異は、四種の獣を持つ姿と複数の墓を得た。






