都の外から来るもの
『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』には、夜の京で鬼に会う話が数多く載る。羅城門は都の南端にあり、荒れた楼上には捨てられた死体があった。そこで女をさらう鬼、死体の髪を抜く老婆、腕を斬られる鬼の話が重なり、都と外界の境にある恐ろしい場所になった。
鬼は山にも住む。大江山の酒呑童子は都から人をさらい、配下と酒宴を開く。鈴鹿山の鬼や、渡辺綱と戦う茨木童子には名前と住まいがある。一方、寝所へ入って一口で人を食べる「鬼一口」の話では、姿を見る間もなく人が消える。

語りの移り変わり
- 古代死者や目に見えない存在を指す文字として「鬼」が文献へ現れる。
- 平安~鎌倉期説話集が羅城門、山、屋敷に現れる人食いの鬼を描く。
- 中世酒呑童子など名を持つ鬼の討伐譚と、地獄絵の獄卒像が広まる。
- 近世以降節分の豆まきと、角・虎皮・金棒を持つ赤鬼青鬼の姿が定着する。
地獄で罪人を待つ獄卒
仏教の地獄絵では、鬼が亡者を釜へ入れ、刃の山へ追い、舌を抜く。彼らは地獄を治める閻魔王の配下であり、人間界を勝手に歩く山鬼とは立場が違う。寺で地獄絵の絵解きを聞いた人々は、角と牙を持つ獄卒の姿と、生前の悪行の行き先を一緒に覚えた。
青鬼、赤鬼という色分けも地獄絵や仏教行事に現れる。金棒を持つ姿は怪力を一目で表し、「鬼に金棒」という言葉になった。鬼が必ず金棒を持っていたわけではなく、絵や芝居で武器が選ばれ、見慣れた装いへまとまっていった。

節分で追われる鬼
宮中では大晦日に「追儺」が行われ、方相氏が疫病や災いを象徴する鬼を外へ追った。後に寺社や町家の節分へ広がり、「鬼は外、福は内」と豆をまく形が定着する。鬼は家へ災いを持ち込む側に置かれ、門の外へ追い出された。
角を丑、虎皮の腰巻を寅に結び付け、鬼門である北東の丑寅から鬼の姿が作られたという説明は広く知られる。ただし、古い鬼の姿を一つの方角だけで説明することはできない。死者の霊、山の異人、仏教の獄卒、疫病を運ぶものが、それぞれの場で鬼と呼ばれた。追い払うだけでなく、寺社の門前では強い鬼を守護者として置き、昔話では人と約束を交わす鬼もいる。






