髑髏が飛び込んだ荒れ屋敷
絵巻『土蜘蛛草紙』で、頼光と綱は髑髏を追って門をくぐる。最初の部屋には美しい女がいた。女は頼光へ近づくと、たちまち異形に変わる。奥では無数の化け物が宴を開き、牛頭や馬頭に似た鬼、器物の姿を残す妖怪まで現れた。
頼光が太刀を抜くと、化け物は傷を負って逃げる。二人は床に残った血を追い、山中の洞穴へ入った。中にいたのは、長さが六十尺もある土蜘蛛である。激しい戦いの末に首を落とすと、腹の中から人の髑髏が千九百九十個、小さな蜘蛛が無数に出てきたと詞書は記す。

語りの移り変わり
- 古代記紀と風土記が、朝廷に従わない土地の人々を土蜘蛛と記す。
- 鎌倉末~南北朝期『土蜘蛛草紙』が頼光と綱の荒れ屋敷探索、巨大蜘蛛退治を描く。
- 中世『平家物語』剣巻などに、病床の頼光と蜘蛛切の話が整う。
- 室町以降能『土蜘蛛』が白い蜘蛛糸を投げる舞台演出を定着させる。
病床へ投げられる蜘蛛の糸
『平家物語』剣巻や能『土蜘蛛』では、話の始まりが違う。頼光は病に伏しており、夜になると背の高い僧が見舞いに現れる。僧が白い糸を投げかけたため、頼光は枕元の太刀で斬りつけた。僧は血を流して逃げ、四天王が跡を追う。
古塚を崩すと大きな蜘蛛が現れ、武者たちは糸を浴びながら退治する。頼光が使った太刀「膝丸」は、この戦いの後に「蜘蛛切」と呼ばれたという。能の舞台では、土蜘蛛の精が細く切った紙の糸を何度も投げ、武者の周囲を白く覆う場面が見せ場になった。

人の呼び名から蜘蛛の妖怪へ
『古事記』『日本書紀』や各地の風土記に出る「土蜘蛛」は、洞窟や土の穴に住み、朝廷へ従わなかった土地の人々を指す蔑称として使われた。手足が長い、尾があるなど人間離れした書き方もされるが、八本脚の大蜘蛛ではない。
中世の頼光物では、その名が地中の塚に潜む蜘蛛の怪物へ移った。朝廷の武将が異形を退治する筋は共通しても、古代の抵抗者と絵巻の巨大蜘蛛を同じ生き物として扱うことはできない。『土蜘蛛草紙』は、髑髏、荒れ屋敷、器物の妖怪、洞窟という場面を重ね、最後にすべての怪異を蜘蛛の腹へ集めた。






