厠につながれた大男
頼光が源頼信の家へ行くと、厠の近くに力の強い大童が捕らえられていた。頼光はただ者ではないと感じ、縄ではなく鎖でつなぐよう言う。鬼童丸はその忠告を恨んだ。
夜になると鎖を引きちぎり、頼光の部屋をのぞく。頼光は眠ったふりをしたまま気配を察し、供の者へ、明日は鞍馬寺へ参詣すると聞こえるように話した。鬼童丸は待ち伏せの場所を得たと思い、先に屋敷を出る。

語りの移り変わり
- 1254年成立した『古今著聞集』に、鬼童丸が牛の腹から頼光を襲う話が載る。
- 中世後期頼光四天王の武勇譚と結びつき、絵巻や異本に描かれる。
- 江戸時代武者絵や読本で、牛の死体に潜む場面が視覚化される。
- 近代以降酒呑童子の子という出自が妖怪事典や創作で広まる。
牛の腹で息を潜める
市原野へ着いた鬼童丸は、放されていた牛を一頭殺した。腹を裂いて内臓を出し、自分がその中へ入る。頼光一行が通りかかれば、すぐ近くから飛び出して斬れる。
ところが頼光は、道端の牛を見ただけで罠を見抜いた。渡辺綱に命じて矢を射させると、牛の腹から鬼童丸が跳び出す。鬼童丸は頼光へ斬りかかったが、一刀で倒された。

酒呑童子の子になった後世
『古今著聞集』は鬼童丸の両親や生い立ちを語らない。どこから来たか分からない、大力の大童として話が始まる。頼光と四天王の鬼退治が人気を得ると、この空白へ新しい出自が加えられた。
後世には、酒呑童子にさらわれた女が産んだ子、あるいは酒呑童子自身の子とされる。父の仇である頼光を狙う話にすれば、待ち伏せの理由が分かりやすい。しかし鎌倉期の原話で鬼童丸が恨んだ直接のきっかけは、厳しく縛れと頼光が命じたことだった。






