熊野へ向かう僧と真砂の娘
延長六年(九二八)のこととされる。奥州白河から熊野三山へ参る若い僧・安珍は、毎年のように真砂の庄司清次の家へ泊まっていた。庄司の娘・清姫は安珍に心を寄せ、夫婦になってほしいと迫る。修行中の安珍は困り、熊野参詣を終えたら必ず戻ると言ってその場を離れた。
ところが安珍は約束を守らなかった。帰り道では清姫の家を避け、先へ急いだ。清姫は旅人から安珍がすでに通り過ぎたと聞き、裸足で追いかける。上野の地で追いつかれた安珍は、別人だと言い張ったうえ、祈りの力で清姫の足をすくませ、その隙に逃げたという。

語りの移り変わり
- 928年道成寺が伝える安珍・清姫の事件の年。
- 11世紀『大日本国法華験記』と『今昔物語集』に、名のない僧と女の説話が収められる。
- 14世紀末ごろ『道成寺縁起』が作られ、大蛇と鐘の場面が絵巻に描かれる。
- 1753年歌舞伎舞踊『京鹿子娘道成寺』が初演される。
日高川を越えた大蛇
安珍は日高川の船頭に、後から来る女を渡さないよう頼んで対岸へ逃れた。川岸へ着いた清姫は舟を出してもらえない。怒りのまま水へ飛び込み、安珍を追って川を渡る。その体はいつしか大蛇に変わっていた。
道成寺へ駆け込んだ安珍は僧たちに助けを求めた。寺では釣鐘を下ろし、その中へ安珍を隠す。大蛇となった清姫は境内に入り、鐘を見つけると何重にも巻きついた。口から炎を吐き、尾で鐘を打つ。しばらくして大蛇が去り、僧たちが鐘を上げると、中には焼け死んだ安珍がいた。

仏教説話から道成寺物へ
この話の古い形は、十一世紀の『大日本国法華験記』と『今昔物語集』に収められている。そこでは男は熊野参詣の僧、女は宿の寡婦とされ、安珍・清姫という名はまだ出てこない。二人は死後、蛇の夫婦となって老僧の夢に現れる。老僧が法華経を書写して供養すると、二人は天人の姿で再び夢に現れ、礼を述べた。
室町時代の『道成寺縁起』では、絵巻の中に大蛇の追跡と鐘が焼ける場面が大きく描かれた。さらに能『道成寺』、人形浄瑠璃、歌舞伎舞踊『京鹿子娘道成寺』へ受け継がれる。後世の舞台では、鐘供養に現れた白拍子が蛇体の女の執念を見せる筋へ変わったが、桜の下に下がる大鐘は、今も道成寺物の中心に置かれている。






