信太の森で救われた白狐
和泉国信太の森を訪れた安倍保名は、狩人に追われていた白狐を逃がした。そのため狩人と争いになり、深い傷を負う。そこへ葛の葉と名乗る若い女が現れ、保名を家まで送り届けて看病した。二人は親しくなって夫婦となり、やがて童子丸という子が生まれた。
葛の葉は人として穏やかに暮らしていたが、正体は保名が助けた白狐だった。狐が恩人の妻になる筋は、日本各地の狐女房の昔話にも見られる。葛の葉伝説では、その子が優れた陰陽師として名高い安倍晴明へ成長するところが大きな特徴になっている。

語りの移り変わり
- 平安時代安倍晴明が陰陽師として活動する。母が狐だったという同時代史料はない。
- 中世以降信太の森の狐と晴明を結ぶ出生伝説が形づくられる。
- 1734年人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』が初演され、葛の葉の子別れが人気を得る。
- 現在信太森葛葉稲荷神社に井戸、白狐石、千枝の楠などの伝承地が残る。
障子に残した別れの歌
童子丸が五、六歳になったころ、庭の菊が美しく咲いた。花を眺めていた葛の葉は、気を緩めた拍子に狐の姿を水面へ映してしまう。別の伝えでは、眠っている母の狐の尾を子が見つける。人でないことを知られた葛の葉は、もう家に留まれないと覚悟した。
葛の葉は「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と障子に書き、夫と子のもとを去った。ここでいう「うらみ」には、葛の葉の葉裏を見せることと、別れを惜しむ心が重ねられている。保名と童子丸が歌を頼りに森を訪ねると、葛の葉は狐の姿で現れ、子に霊力を授けたともいう。

安倍晴明の母になった狐
平安時代の史料に、安倍晴明の母が狐だったという記録はない。葛の葉の話は後世に育った伝説で、江戸時代には浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』の「葛の葉子別れ」が人気を集め、歌舞伎でも演じられた。舞台では、葛の葉が童子丸を抱きながら、筆を口にくわえたり左右の手を使ったりして別れの歌を書く。
大阪府和泉市の信太森葛葉稲荷神社には、白狐が姿を映したという井戸や白狐石が残る。境内の「千枝の楠」は、葛の葉が姿を隠した木と伝えられている。森へ帰る母と、事情も分からず後を追う幼い子の別れは、妖術を操る晴明の出生譚であると同時に、狐女房の昔話として今も語り継がれている。






