山中から聞こえる赤子の声
四国山地の山城町では、谷が深く、集落と集落を結ぶ道も山腹を通る。夜、その道で赤子の泣き声がする。こんな場所に子どもがいるはずはない。それでも放っておけず、声の方へ足を向けると、さらに山へ誘われる。
民俗学者の武田明が昭和十三年(一九三八)に報告した児啼爺は、姿よりも声が中心だった。土地の古老から採集された短い記録で、必ず抱き上げる場面や、何百貫にも重くなる細部まで揃っていたわけではない。

語りの移り変わり
- 伝承期徳島県山城町の山中で、赤子のように泣く怪異が語られる。
- 1938年武田明が雑誌『民間伝承』に児啼爺の話を報告する。
- 20世紀後半水木しげるが老人姿の妖怪として描き、全国的な知名度を得る。
- 2001年三好市山城町上名の藤川谷に児啼爺の石像が建てられる。
抱くほど重くなる老人
後に定着した話では、道端で泣く赤子を旅人が抱く。すると体が次第に重くなり、腕から離れない。顔をのぞけば、しわだらけの老人である。最後には岩ほどの重さになり、旅人を地面へ押しつぶす。
この姿は水木しげるの漫画と妖怪画で広く知られた。『ゲゲゲの鬼太郎』では仲間の一人になり、自分から石のように重くなって敵を押さえる。人を襲う山の声が、頼れる老人の妖怪へ役割を変えた。

藤川谷に立つ石像
伝承地とされる三好市山城町上名の藤川谷には、二〇〇一年に児啼爺の石像が建てられた。山城町にはほかにも多くの妖怪伝承が残り、地域では「妖怪の里」として案内や催しが行われている。
石像は、赤子のように丸まった老人の姿をしている。これは古い目撃をそのまま再現したものではなく、民俗採集と水木作品を通じて共有された現在の子泣き爺を形にしたものだ。泣き声の伝承地は、後から生まれた姿も受け入れている。






