川島河で人を襲う
『日本書紀』によれば、吉備中国の川島河の分かれ目に大虬が住み、毒を吐いて通行人を苦しめていた。現在の岡山県を流れる高梁川水系のどこかに当たると考えられるが、地点は確定していない。
大虬には「みつち」と訓が付され、後に「みずち」と読まれるようになった。大蛇、角のない龍、水中の霊物などと説明される。川の深みや流れの危険を、一体の生き物として語った名でもあった。

語りの移り変わり
- 720年成立した『日本書紀』に、吉備の川島河で県守が大虬を退治する記事が載る。
- 平安時代辞書『和名類聚抄』などで蛟に「美都知」の読みが記される。
- 江戸時代『和漢三才図会』に龍に似たみずちの姿が描かれる。
- 近代以降古代の水神・大蛇・龍の性質を持つ妖怪として事典や創作に登場する。
沈まない三つの瓢箪
県守は川へ行き、三つの瓢箪を投げ入れた。蛟へ向かって、瓢箪を沈められたら自分が逃げ、できなければ斬ると宣言する。水を支配する怪物なら、軽い瓢箪も沈められるはずだという勝負だった。
蛟は鹿の姿になり、瓢箪を水中へ押し込もうとした。しかし瓢箪は何度でも浮かぶ。県守は怪物を斬り、さらに水中の仲間も斬った。川の水が血に染まったため、その場所を県守淵と呼んだという。

龍、大蛇、水神の間で
中国で蛟は、水に住み成長すれば龍になるもの、角のない龍などと説明された。日本の「みつち」という水の霊を表す語へ、漢字の蛟や虬が当てられたため、両方の像が重なっている。
江戸時代の『和漢三才図会』には、龍に近い四本足の姿でみずちが描かれた。地方によっては河童をメドチ、ミッツドンなどと呼ぶ例もあり、古い名は別の水の怪異にも残った。






