天守に住む城の主
長壁姫が住むのは、姫路城の最も高い場所だという。人前へはほとんど出ず、城主だけが年に一度会うことを許される。姿は美しい姫、気品のある老女、巨大な女など、話によって違う。
城を守る一方、無礼な者や近づく者を許さない。城主より古くから姫山にいた主であり、新しい権力者が天守を建てても、その奥だけは自分の場所として残したのである。

語りの移り変わり
- 1601~1609年池田輝政が姫路城を大改修し、地主神をめぐる祟りの噂が生まれる。
- 1677年『諸国百物語』に姫路城の化物を退ける武士の話が載る。
- 1779年鳥山石燕『今昔画図続百鬼』が長壁を城の主として描く。
- 江戸後期以降読本、芝居、絵画で長壁姫の姿と宮本武蔵の逸話が広がる。
移された地主神の祟り
池田輝政は慶長六年(一六〇一)から姫路城を大改修した。そのころ城内で怪異が続き、輝政の病も、姫山の地主神である長壁神の祟りだという噂が立った。社が城の外へ移されたことへの怒りとされた。
城内には長壁神を祀る場所が設けられ、信仰は続いた。長壁姫を特定の歴史上の女性とする説もあるが、一つに決まらない。土地の神、城を守る神、天守の妖怪が同じ名へ重なった。

宮本武蔵と天守の女
延宝五年(一六七七)の『諸国百物語』には、姫路城の怪物を退治する若い武士の話がある。後世、その武士は宮本武蔵とされ、夜ごと天守で灯をともして怪異を待つ。女が現れ、城に潜む狐を退けた礼として名刀を与える型も広まった。
鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』に長壁を描き、城の主として紹介した。読本や歌舞伎ではさらに人物像が加わり、天守の奥から国の出来事まで知る、強い女妖怪になっていった。






