五月姫が滝夜叉姫になる
天慶三年(九四〇)、平将門は討たれ、その首は都へ送られた。山東京伝の物語では、将門の娘・五月姫が生き延びる。父と一族の仇を討つため、貴船明神へ夜ごと参詣し、二十一日目に妖術を授かった。
五月姫は滝夜叉姫と名乗り、弟の良門とともに兵を集める。本拠にしたのは、父が相馬に建てた館の廃墟だった。華やかな御殿は崩れ、夜には妖怪が出入りするため、後に「相馬の古内裏」と呼ばれる。

語りの移り変わり
- 940年史実の平将門が討たれる。後世の物語はこの事件を滝夜叉姫の出発点にする。
- 1806年頃山東京伝『善知鳥安方忠義伝』に五月姫・滝夜叉姫と光国の戦いが描かれる。
- 1840年代歌川国芳が三枚続きの錦絵『相馬の古内裏』を制作する。
- 近代以降芝居、講談、漫画で、将門の遺志を継ぐ妖術使いとして描かれる。
光国が乗り込んだ古内裏
朝廷から派遣された大宅太郎光国は、滝夜叉姫の一味を探って古内裏へ入る。姫は美しい女の姿で近づき、味方へ誘うが、光国は断る。正体を見抜かれると、姫は妖術を使い、骸骨や化物を次々に呼び出した。
激しい戦いの末、光国は妖術を破る。滝夜叉姫は深手を負い、父のもとへ行けると語って息を引き取る。物語の結末や姫の扱いは、後の草双紙や芝居で書き換えられた。

国芳が一体にした巨大骸骨
歌川国芳は弘化年間の錦絵『相馬の古内裏』で、御簾を破って迫る巨大な骸骨を描いた。画面の左に滝夜叉姫、中央に光国、右には驚く荒井丸がいる。人間よりはるかに大きな頭蓋と手が、三枚続きの画面を埋める。
京伝の原作では、姫が出すのは多数の骸骨だった。国芳はそれらを一体へまとめ、古内裏そのものが起き上がったような場面を作った。この浮世絵が繰り返し紹介され、滝夜叉姫と巨大骸骨は切り離せない組み合わせになった。






