歩き遍路、夜の宿で
野宿の夜、戸を閉めるなと言われた。閉めれば、返事をされる。
カクヨム掲載作品の紹介ページです。脚色を含む実話・モデルのある作品として扱い、全文転載はせず、概要と第1話冒頭のみ掲載しています。
連載状態: 完結済 / ジャンル: ホラー / 収録話数: 8話
概要
二〇一三年五月、十九になったばかりの春に、四国八十八ヶ所霊場を歩き遍路で回った。
順打ち通し打ち、四十日少し。
宿は途中から、無料宿に切り替えた。
善根宿、通夜堂、遍路小屋。
形はばらばらで、共通点は雨と風がしのげるという一点だけだった。
夜にだけ、起きることがあった。
戸が勝手に開く小屋。
歩く音だけが部屋の周りを巡る通夜堂。
顔の見えない先客がいる、海辺の小屋。
家主のいない家で、握り飯がひとりでに増える宿。
これは、その夜の記録です。
土地と寺の名前は、いまも泊まる人がいるので、出さないことにしました。
全八話。僕がガチで体験した実話です。
目次
- 第1話 閉めるな
- 第2話 ザ、ザ、ザ
- 第3話 同行二人
- 第4話 お接待
- 第5話 納め札
- 第6話 雨夜の客
- 第7話 鈴の音
- 最終話 結願
第1話 閉めるな
二〇一三年、五月の半ばだった。
十九になったばかりの僕は、徳島の一番、霊山寺の山門で笠と杖と納め札と地図と納経帳を求めた。住職に通し打ちと歩き遍路を伝えると、達成感はあるとだけ言って、軽く合掌を返された。本堂の畳は冷たく、線香の煙が天井で薄く層になっていた。
最初の十七、八ヶ寺は確かに軽かった。札所と札所の距離が短く、舗装路が大半で、納経の作法にも慣れた。山門で一礼、手水、鐘、本堂、大師堂、納経所。納め札を箱に投じ、般若心経を一座あげる。それを一日に四つも五つもこなし、宿は民宿で済ませた。布団の上で目を閉じれば、足の裏の熱が引いていくのが分かった。
問題は、十七番を越えてからだった。
地図を畳んで広げ直すたび、宿のしるしが減る。電話が通じない区間が出てくる。土地の宿は当日では取れず、夕方に飛び込んでも玄関で頭を下げるだけになる。日没までに次の街までは届かない。歩く速さは舗装に削られ、里の一日は短い。
無料宿の存在を、地元の遍路宿の主人に教えられた。湯飲みの茶を注ぎながら、主人は手元を見たまま話した。
「ありがたく使わせてもらうのが筋やけど、人を選ぶ宿もあるけんね」
人を選ぶ、の意味を訊き返さなかった。訊けば泊まる気が失せる、と直感した。
善根宿、通夜堂、遍路小屋。寺の境内に建つもの、村の共同墓地の脇に建つもの、農家の納屋を貸してもらえるもの。形はばらばらで、共通点は雨と風がしのげるという一点だけだった。寝具はないか、あっても黒く湿っていた。電気が来ていない宿も多かった。
地図には印があるのに、現地に行けば板で塞がれた小屋もあった。閉鎖の理由は、聞けば、たいてい同じだった。住み着く者がいる。荒らす者がいる。だから閉める。土地の人の顔は、その話のとき少しだけ硬くなった。硬くなる手前で言葉を切る人と、最後まで言わずに頷く人がいた。後者の方が多かった。
その夜の宿は、十八番の手前にあった。
詳しい場所は書かない。今も看板の出ている小屋は、後から泊まる誰かのものだ。線を引きたくない。
集落の外れ、舗装路から外れて杉の中に入る細道の奥。木造の、ひと部屋だけの小屋だった。屋根は波板で…
