実話怪談として語られた五つの話を、一つの短編集としてまとめた。団地の差し入れ、十四階のエレベーター、つながらない番号、墓をめぐる村の言い伝え、存在しない同窓会。怖い話、心霊体験談、都市伝説を探している人に向けた読み物です。
収録話:おすそわけ / 十四階 / つながらない番号 / 連れていく / 同窓会
第一話 おすそわけ
これは私が怪談の取材を続ける中である男性から直接聞かせてもらった話だ。
仮にKさんと呼んでおく。声をかけたのはこちらからだった。Kさんの体験を以前に人づてに耳にしていた。連絡を取ると少し迷ったあとで会ってくれることになった。
話を聞いたのは去年の冬だった。待ち合わせた駅前の喫茶店の窓の外では細かい雨が朝からずっと降り続いていた。Kさんは運ばれてきたコーヒーになかなか口をつけなかった。
Kさんは数年前に大きな交通事故にあった。命は助かったがそれからしばらくのあいだ車椅子での生活を余儀なくされていたという。
当時の住まいは都内にある古い都営団地だった。一階の数室だけが車椅子でも暮らせるように手すりやスロープを備えていたそうだ。玄関にもトイレにも手すりがついていて家の中はどこも段差がないように作られていた。
退院したばかりの体で近所のスーパーまで買い物に出るのはひと苦労だった。外との行き来はめっきり減っていった。
誰かと言葉を交わさない日が何日も続いた。団地の一室で一日が静かに過ぎていくのがいつのまにか当たり前になっていた。
そんなKさんを最初に気にかけてくれたのが同じ団地の上の階に住む年配の女性だった。
世話好きで通っている人だったらしい。団地じゅうの住人から頼られていた。廊下で会えば必ず誰かと立ち話をしているような人だった。一番若くて一人で暮らすKさんのことがその人にはよほど放っておけなかったのだろう。
はじめて訪ねてきたとき女性は玄関先に立ったまま長いこと身の上を聞いていった。事故のことや退院したばかりの体のことや家族がそばにいないことまで。それからまた来るからねとだけ言って帰っていった。
その翌日からほとんど毎日のように手作りのおかずが届くようになった。
煮物や和え物をタッパーに詰めてインターホンを鳴らしてから手渡してくれる。若いんだからしっかり食べな。それが口ぐせだった。容器の蓋はいつも決まって淡いピンク色だった。横から中身がうっすら透けて見える。どこの家庭の戸棚にもありそうなありふれた品だった。
肉じゃがにきんぴらに卵焼き。日によって中身は違ったがどれも店で出てきても通用するほどの味だった。買い物に自由に出られない体には湯気の立つ家庭の味が何よりありがたかったと、Kさんは何度も同じ言葉を繰り返した。
空になった容器を洗って次の朝まで玄関のドアの前に出しておくと、翌朝にはまた中身が詰まって戻っている。それがいつのまにか二人のあいだのささやかなやりとりになっていた。
声をかけ合うわけでもない。ただ容器が黙って行き来するだけだった。けれどそこには確かに人の気配があった。一人きりの部屋でその気配だけがKさんと外の世界をつないでいた。
ある冬の日を境にしてその女性がぴたりと顔を見せなくなった。
「風邪でもひいたのかなぐらいに思ってたんですよ」とKさんは言う。
歳も歳だから寒さで体調を崩したのだろう。そのときは深く考えもしなかったそうだ。
それでも差し入れだけは途切れなかった。
それまでと違うところが二つあった。一つはインターホンが鳴らなくなったこと。もう一つは味がはっきりと落ちたことだ。
気づくとドアの前にいつのまにかビニール袋が置かれている。手渡されることはなくなり声をかけられることもなくなった。
中身は塩気ばかりがやたらと強かったり醤油の味しかしなかったりして、以前の煮物とはまるで別物に変わっていた。容器も蓋も同じピンクのままだった。それなのに中身だけが少しずつ知らないものに変わっていく。
それでも善意でもらっているものだから文句など言えるはずもない。まずくなったからもう要らないなどと伝えられるわけもなかった。
Kさんは黙って受け取った。容器を洗ってまた外に出しておくよりほかになかった。
その頃Kさんは退屈しのぎに部屋でゲームの配信を始めていた。声を出して笑う夜もあった。おかずの味が落ちはじめたのはちょうどその頃でもあった。配信がうるさかったのかもしれないと一度は考えた。無言の苦情のつもりで味を変えているのではないか。そんなふうに思おうとした。今になってみればずいぶん都合のいい考えだったとKさんは苦笑いした。
味は日を追うごとに崩れていった。
塩辛いだけだった煮物がやがて何の味もしない濁った煮汁の塊に変わり、見た目もどんどんひどくなっていく。それでも誰かが自分のためにわざわざ台所に立ってくれているのだと思うと、捨てるたびにわずかな後ろめたさが胸に残ったという。
夜になるとときどき玄関のほうで物音がした。何かを置くようなことりという小さな音だ。
扉を開けて確かめる気にはなれなかった。朝になればいつもどおり袋がある。それで十分だと自分に言い聞かせていた。
年が明けてしばらく経った朝のことだった。
いつものように蓋を開けると煮物の上に虫が一匹のっていた。
さすがにこれはおかしいと感じたKさんは意を決して上の階へ向かった。
あの女性に礼を言いながらそれとなく様子を確かめるつもりだったらしい。古いエレベーターに乗ってはじめて上の階の廊下に出た。番号をたよりにようやく目当ての部屋の前に立った。
ところが部屋を訪ねて出てきたのは見覚えのない別の住人だった。
その人の口からKさんは思いもしなかった話を聞かされる。あの世話好きだった女性は年末に急に体調を崩して救急車で運ばれていき、そのまま帰らぬ人になっていたというのだ。
「もう一月以上になるかねえ」とその住人は気の毒そうに言った。
Kさんはその場ですぐには言葉を返せなかった。喉の奥が詰まったようになって礼を口にするのもやっとだった。
頭に浮かんでいたのはつい昨日の朝にも玄関先へ置かれていたあのピンク色の蓋のタッパーのことだ。一月以上も前に亡くなった人から自分は毎日おかずを受け取り続けていたことになる。
ふらつく手で車椅子を回してKさんは自分の部屋へ戻った。
エレベーターを降りてからしばらくはどこをどう進んだのか覚えていないと言う。気づけば台所の流しの前に座っていた。
洗って伏せてあるはずの空の容器がいつもの場所にきちんと並んでいた。何の気なしにその数を指の先でなぞりながら一つずつ数えてみると、自分が洗って出したはずのぶんよりちょうど一つだけ多かった。
その晩からKさんは差し入れを外に出すのをやめた。それでも翌朝になると玄関のドアの前にはあのビニール袋がきちんと置かれていたそうだ。何日かそれが続いてやがてぱたりと途絶えた。
真相を知ったあとの数日は夜になっても眠れなかった。Kさんは台所の棚の奥にしまった容器を何度も出しては元に戻した。捨てれば終わる。それは分かっていた。それでも手が動かなかった。美味しかった頃の記憶のほうがそのあとの数週間よりもはるかに長く濃く残っていたからだ。
最後に残った容器をKさんは今でも捨てられずにいるという。台所の棚の奥に洗ったまましまってあるそうだ。
「あれは結局どこの誰が届けてくれてたんでしょうね」
そう言ってKさんはほんの少しだけ口の端を持ち上げた。笑おうとしてうまく笑えなかった人の顔だった。
私はその表情の作り方を取材を終えて雨の中を帰ってからもしばらく頭から追い出せずにいた。
先日その団地の前を通りかかると棟はすでに取り壊しが決まっていた。窓という窓に板が打ちつけられていた。Kさんが暮らした一階の部屋にももう誰の気配もない。
淡いピンクの蓋。横から透けて見える容器。
いまでもスーパーの惣菜売り場でそれによく似た品を見かけるたびに、私はつい指先で数を数えてしまう。
一つ多いということはいったいいつから始まっていたのか。
亡くなったあとからなのかそれとももっとずっと前からのことだったのか。Kさんはそこには触れなかったし私もあえて聞かなかった。
たぶん聞いてはいけなかったのだと思う。
第二話 十四階
これはある女性から聞かせてもらった話だ。
仮にMさんとしておく。前の話で書いたKさんとは何のつながりもない。たまたま別の取材で知り合った人だ。エレベーターにまつわる体験があると聞いて改めて時間を作ってもらった。
Mさんは数年前まで都心の高層オフィスビルで働いていた。受付や案内を任される仕事で勤め先は同じ建物の十四階にあった。
その建物のエレベーターは古くもなく新しくもない普通の箱だった。乗る人の数もしれていて朝と夕方をのぞけばたいてい一人で乗っていたという。
おかしなことに気づいたのは秋のはじめだった。
その日Mさんは残業を終えてから一人で十四階の事務所を出て箱に乗り込んだ。一階のボタンを押して扉が閉まるのを待った。
箱がゆっくりと下りはじめてしばらくしてからふと階数の表示を見上げると、一番上の十四階のボタンがぼんやりと明かりを灯していた。
自分が今しがた離れたばかりの階だった。誰かがそこで呼んだのだろうと最初は思った。
ところが箱はその階で止まらなかった。十四階を呼ぶ明かりを灯したまま下へ下へと進んでいく。一階に着いて扉が開いたときにはその明かりはいつのまにか消えていた。
その日は気のせいだろうと自分に言い聞かせて帰った。
同じことが翌週にも起きた。やはり夜の遅い時間に一人で乗ったときだった。下りている最中に出発したはずの十四階のボタンがひとりでに灯る。けれど箱はそこで止まらない。
三度目に同じことが続いたときMさんはさすがにこれは普通ではないと感じはじめた。
それからは乗るたびに小さな手帳へ日付と起きたことを書きとめるようになった。あとで読み返したときに自分の思い違いではないと確かめたかったからだ。手帳には十四階点灯という四文字が何度も並んでいった。
同僚にそれとなく話してみても誰一人として同じ経験をした人はいなかった。気のせいだとかこの建物は古いからとか当たりさわりのない返事ばかりが返ってきた。
ただ一人だけ妙な反応をした先輩がいた。Mさんが十四階のボタンの話をしかけたところでその先輩は顔色を変えて話をさえぎった。あのエレベーターのことはあまり気にしないほうがいいとだけ言ってそそくさと席を立っていった。
それからしばらくは何ごともない日が続いた。
異変がはっきりとした形をとりはじめたのは冬に入ってからのことだ。
その夜もMさんは一人で十四階から乗った。下りはじめてすぐにあの十四階のボタンが灯った。もう見慣れた光景だったから今度はさほど気にもとめなかった。
ところがその日は途中の七階で箱がゆっくりと速度を落として止まった。
七階には誰も用のない時間帯だ。フロアはとうに明かりが落ちていてどの会社も人は残っていない。
扉が開いた先には暗い廊下だけが伸びていた。誰の姿もなかった。それでも扉はずいぶん長いあいだ開いたままだった。
Mさんは閉のボタンを何度も押した。ようやく扉が閉まって箱がまた下りはじめた。
そのときだった。すぐ後ろで誰かが小さく息を吐く音がした。
振り返っても箱の中には自分のほかに誰もいない。鏡張りの壁に映っているのも自分一人だけだった。
それでもその音は確かに耳のすぐそばで聞こえた。生き物が浅く息をするときのあの湿った音だった。
一階に着くまでの数十秒が永遠のように感じられたとMさんは言う。扉が開くと同時に転がるように外へ出た。
その夜から箱に乗るのがつらくなった。それでも仕事である以上は使わないわけにいかない。階段で十四階まで上り下りするのは現実的ではなかった。
何度か非常階段を使ってみたこともあったらしい。けれどどの踊り場も薄暗くて自分の足音がやけに大きく響いた。途中の踊り場のあたりで誰かが立ち止まっているような気配を感じてからは、階段のほうがかえって足が向かなくなった。
Mさんは一つの習慣を身につけた。箱に乗るたびに鏡に映る自分の姿をじっと見るようにしたのだ。映っているのが自分一人だけなら大丈夫。そう思うことで何とか乗り続けていた。
灯る階は少しずつ増えていった。はじめは十四階だけだったのが十二階や九階のボタンも下りる途中でひとりでに灯るようになった。止まりはしない。ただ明かりだけが順に灯っては消えていく。まるで誰かが上の階から一階ずつ追いかけて下りてくるかのようだった。
年が明けてすぐの夜だった。
いつものように一人で乗り込んで鏡を見た。映っているのは自分だけだった。そのはずだった。
下りはじめて十四階のボタンが灯る。そこまではいつもと同じだった。
ところがその夜は箱が止まった階で扉が開いたあと足もとのほうで小さくかつんと音がした。
固い靴の底が箱の床を打つような音だった。けれど目の前には誰もいない。鏡の中にも自分しか映っていない。
Mさんはその音を聞いた瞬間に思わず足もとを見た。
自分の靴のすぐ横に薄く湿った足あとがひとつだけついていた。爪先がまっすぐ自分のほうを向いていた。
それきりMさんはそのエレベーターに乗れなくなった。ほどなくして仕事も辞めた。
辞めてからしばらくのあいだは夜になると決まって同じ夢を見たという。暗い箱の中で階数の表示だけがゆっくりと下りていく。自分はそれを見上げているのだがどうしても足もとを見ることができない。横で誰かが静かに息をしている。そこで決まって目が覚めた。
一度だけ気になって当時の同僚に連絡を取ったこともある。あの建物のエレベーターで何か変わったことはないかと尋ねてみた。
返ってきたのは思いがけない話だった。ずいぶん昔にあの箱の中で人が一人亡くなっているらしいというのだ。詳しいことは誰も知らない。ただそういう噂だけが社内に細く長く残っていた。
あのとき話をさえぎった先輩のことをMさんはそこで思い出したそうだ。あの人はきっと何かを知っていた。けれどもう連絡の取りようもなかった。
「亡くなったのが何階で乗った人なのか。それだけはどうしても気になっちゃって」とMさんは言う。
十四階だったのではないか。自分がいつも乗り込んでいたあの階だったのではないか。確かめるすべはもうない。建物はその後に持ち主が変わって中もすっかり改装されたと聞いた。
私はMさんに一つだけ尋ねてみた。あの息の音や靴の音はいつも一回きりだったのかと。
Mさんは少し考えてからこう答えた。
数えたわけではない。けれど思い返してみると箱に自分しかいないときでも気配はいつも一つぶんだけ余分にあった気がする。一人で乗っているのに二人ぶんの何かがそこにあった。そういう感覚だったと。
「乗っている人数と箱の中にいる気配の数がどうしても合わないんです」
そう言ってMさんは自分の言葉に自分で黙り込んでしまった。
私はそれ以上は聞かなかった。
取材の帰りに私は駅のホームから例の建物が見えることに気づいた。窓の明かりが上からいくつか灯っていた。十四階のあたりだけがなぜか暗く沈んで見えた。
高い建物に入ってエレベーターを待つとき私はいつのまにか自分のうしろを振り返る癖がついてしまった。
箱に乗り込むのが自分一人だと分かっていても扉が閉まる間際にもう一度だけ後ろを確かめてしまう。
そこに誰もいないことを確かめてほっとする。
けれど本当に確かめるべきなのは箱の外ではなく箱の中の数のほうなのかもしれない。
第三話 つながらない番号
これは私自身が体験した話だ。
もう十年以上も前になる。当時の私は地方の小さな町に一人で暮らしていた。夜になると人通りもまばらになるような静かな町だった。駅前の通りでさえ十時を過ぎればほとんどの店が灯りを落とした。
その頃の私には夜中にあてもなく歩く癖があった。眠れない晩には決まって家を出て川沿いの道をぶらぶらと歩いた。一時間でも二時間でも当てもなく歩いているうちに頭の芯がだんだんと冷えてきて、ほんの少しだけ眠れるようになる。そういう晩をいくつも重ねていた。
その道の途中に古い電話ボックスが一つだけ残っていた。携帯電話がとうに当たり前になっていた時代だったから使っている人を見たことは一度もなかった。
ガラスはくすんでいて中の蛍光灯は半分ほど切れかけていた。それでもなぜかいつも弱い明かりだけは灯っていた。私は夜歩きのたびにその前を通り過ぎていた。たいていは目もくれずに歩いていたのにその晩にかぎってなぜか足が止まった。
私はふと魔がさしたようにそのボックスの扉を開けて中に入った。
別に誰かにかけたかったわけではない。ただ古い受話器の感触を確かめてみたくなっただけだった。受話器を持ち上げると冷たい金属の重みが手のひらにずしりと伝わってきた。
受話器を耳に当てると低い発信音が聞こえた。それだけでも少しおかしかった。とうに使われていないはずの電話だったからだ。
私は何の気なしに自分の携帯の番号を押してみた。硬貨は一枚も入れていなかった。つながるはずがなかった。
ところが数秒の沈黙のあとで回線がつながる気配がした。
ポケットの中の携帯は鳴らなかった。代わりに受話器の向こうから細く高い女の声が聞こえてきた。
「ただいま おかけになった でんわばんごうは」
たどたどしい読み方だった。一語ずつ区切るような不自然な間があった。機械の自動音声にしては明らかに人の声だ。それも幼い少女のように舌足らずな喋り方をしていた。
「げんざい つかわれて おりません」
その一文を言い終えると声はぷつりと途切れた。私は受話器を握ったまましばらく動けなかった。
我に返って受話器を架台に戻そうとしたとき手の中でそれがやけに重く感じられた。受話器のほうから何かに引っぱられているような妙な手ごたえがあった。
私は受話器をほとんど投げつけるようにして架台に戻すとボックスを飛び出した。家までどう走って帰ったのかよく覚えていない。鍵をかけて布団にもぐり込んでも心臓がしばらく速いままだった。
翌朝になると昨夜のことが自分でも信じられなくなっていた。きっと疲れていて聞き間違えたのだろう。寝不足の頭が作り出した幻だったに違いない。そう思うことにした。
その日の昼に私は古い友人から一本の電話を受けた。
何げない世間話のついでに友人がこんなことを言った。ゆうべ私の携帯から友人のところへ着信があったというのだ。
身に覚えはまるでなかった。電話帳を開いて履歴をたどっても私の側にはそんな発信の記録は一つも残っていなかった。
友人は不思議そうに言った。夜中の三時すぎにかかってきて出てみたら何も言わずにすぐ切れたのだと。声も息づかいも何もなくただ回線がつながっているだけの数秒間だったらしい。
私は背筋が冷たくなった。三時すぎといえばちょうどあのボックスで受話器を握っていた時刻だった。
私は思いきって友人にその着信の番号を読み上げてもらった。市外局番から始まる固定電話の番号で私にはまるで聞き覚えがなかった。
ひとつ気になったのは局番がこの町のものだったことだ。私はその数字を手帳に書きとめた。書きとめながら指先がかすかに震えていたのを今でも覚えている。
数日たってから私は思いきってその番号にかけ直してみることにしたのだが、呼び出し音が鳴りはじめた直後に異変は起きた。一人では心細かったので昼間の明るい時間を選んで部屋の電気を全部つけてからゆっくりと押したのだった。
呼び出し音が鳴りはじめてすぐのことだった。私の部屋のすぐ外の廊下のほうで微かに電話の鳴る音が聞こえた。
固定電話の古い呼び出し音だった。私の家に固定電話など引いていない。
呼び出し音は私の携帯のものと完全に重なって鳴っていた。私が耳に当てている受話器の音と廊下から聞こえてくる音がぴたりと同じ拍子で響いていた。
私は携帯を耳から離した。携帯のほうの呼び出し音は消えた。けれど廊下の向こうの音だけはなお数回鳴り続けてからゆっくりと止んだ。
玄関の扉を開けて廊下を確かめる気にはどうしてもなれなかった。その日は日が暮れるまで部屋から一歩も出なかった。
私はそれきりその番号にかけるのをやめた。手帳のそのページも破って捨てた。
電話ボックスはその後しばらくして撤去された。今ではもうその場所に何があったのかも分からないほどきれいに舗装され直している。撤去されたと聞いたとき私はなぜか少しだけ肩の力が抜けた。
ずっとあとになってから私はあの町の古い住宅地図を調べてみたことがあるのだが、あの番号の家はどこにも見当たらなかった。電話会社にも問い合わせてみたもののその番号はこれまで一度も誰にも割り当てられていないという答えだった。
使われていない番号。あの声が言ったとおりだった。
それなら友人の電話に残っていたあの着信はいったい何だったのか。誰が私の携帯を使って真夜中に電話をかけたのか。
私はときどき考える。あの夜のボックスで受話器を取ったのは本当に私一人だったのだろうか。
狭いボックスの中に立っていたのは確かに私だけだった。けれどあとから思い返すと受話器を戻すときに感じたあの引っぱられる手ごたえだけがどうしても腑に落ちない。
握っていたのは私の手だけではなかったのかもしれない。
そう思いはじめると私はもう古い電話ボックスの前を平気で通り過ぎることができなくなった。
第四話 連れていく
これはある男性から聞いた話だ。
仮にTさんとしておく。仕事の関係で知り合った人だ。あるとき酒の席でぽつりぽつりと故郷の話をしてくれた。Tさんの生まれ育った村は山あいの小さな集落だったという。
その村には古くからひとつの言い伝えがあった。墓を大きくしてはいけない。先祖の墓はあるがままにしておく。新しく立派に建て替えたりはしない。それが代々の決まりだった。
子どもの頃のTさんはその決まりの意味をまるで分かっていなかった。ただ祖父母がやけに真剣な顔でそれを口にするのだけは覚えていた。
村の墓地はどれも古びていて小さかった。苔むした石が並ぶばかりで新しく磨かれた墓石はひとつもない。よその土地から来た者はそれを見て貧しい村だと思ったかもしれない。けれど村の人々にとってそれは何があっても守るべき作法だった。
盆や彼岸に墓参りに行くたびに祖母はいつもTさんの手をしっかり引いて、古い墓のあいだを縫うようにゆっくりと歩いた。ここはむやみに広げてはいけない場所なのだと祖母は幼いTさんに何度も言い聞かせた。当時はその言葉の重みなど分かるはずもなかった。
Tさんが家を出て都会で暮らすようになって何年も経った頃のことだった。村に残っていた父親が一念発起して先祖の墓を建て替えると言い出した。
古い墓があまりに見すぼらしいというのが理由だった。年老いて足腰が弱る前にきちんとした墓を残しておきたい。父親はそう言って聞かなかった。
親戚の年寄りたちは口をそろえて止めたという。あれだけはやめておけ。昔から決まっていることだ。理由を問うても誰もはっきりとは答えなかった。ただ連れていかれるとだけ繰り返した。
それでも父親は工事を進めた。古い小さな墓はすっかり取り払われてその跡地に倍ほどの大きさの新しい墓石が据えられた。御影石の真新しい墓だった。村の墓地の中でそこだけが浮いて見えた。
完成した墓の前で一族が集まって写真を撮った。父親は満足そうだった。Tさんもそのときは久しぶりの帰省をのんびりと楽しんでいた。
異変が始まったのはそれからだった。
まず父親が体調を崩した。これといった病名もつかないまま日に日に痩せていった。医者にかかっても原因が分からない。秋の終わりに父親は息を引き取った。
葬式のあとで親戚の一人がぽつりと言った。やっぱり連れていかれた。Tさんはその言葉の意味を測りかねた。
四十九日の法要のために一族がまた村に集まった。新しい墓の前で皆が手を合わせた。そのときもまた集合写真を撮った。
家に帰ってその写真を見返したTさんはあることに気づいた。
写っている人数が一人多かった。
その場にいた者の顔と数を何度も数え直した。けれどどうしても一人ぶん多い。父親の隣に誰だか分からない人影がうっすらと立っていた。輪郭はぼやけていて顔は判然としない。喪服を着た背の高い人のようだった。
Tさんは親戚に確かめた。誰もそんな人物に心当たりはなかった。村の者でも親戚でもない。
その冬に今度は父方の伯父が亡くなった。やはり原因のはっきりしない衰弱だった。
伯父の葬式でもまた写真を撮った。Tさんは半ば確かめるような気持ちでその写真を見た。
やはり一人多い。喪服の人影は前よりも父親たちのほうへ近づいて立っていた。顔はあいかわらず分からない。けれどその輪郭は確実にこちらへ寄ってきていた。
Tさんはようやく言い伝えの意味を理解しはじめた。墓を大きくするということはそのぶん新しい場所を空けるということで、空いた場所にはいずれ誰かが入る。連れていくというのはそういう意味だったのではないか。
Tさんは村のいちばん年長の親戚を訪ねて事情を聞いた。
老人は長いあいだ黙っていた。やがて重い口を開いてこう語った。あの墓地にはもともと墓に入れてもらえなかった者たちが眠っている。村の作法を破った者や流れ者や名も知れぬ行き倒れだ。古い墓を小さいままにしておくのはその者たちと場所を分け合うためなのだと。
墓を大きくすればそのぶん地の下に眠る者たちの居場所が削られる。削られた者は新しい墓に入る権利を欲しがる。そうして一人ずつ家の者を引き込んでいく。連れていかれた者の数だけ墓の中の顔は増えていく。
老人は最後にこう言った。写真に余分に写る者が一族の輪のいちばん端まで来たときが終わりだと。
Tさんは都会へ戻ってからも法事のたびに村へ帰った。そのたびに写真を撮った。確かめずにはいられなかったからだ。それを見ないことには夜も落ち着いて眠れなかった。
喪服の人影は写真を撮るたびに少しずつその立ち位置を変えていて、ある年は母方の叔母のすぐ隣に立っていた。別の年は従兄弟のすぐ後ろに立っていた。一族の輪をゆっくりと巡るようにして移動していた。
そして家の者がまた一人また一人と数を減らしていった。叔母が逝き従兄弟が逝った。そのたびに人影は次の誰かのそばへと寄り添う位置を変えた。
Tさんが私にこの話をしてくれたとき最後に一枚の写真を見せようとして携帯を取り出した。けれど画面を開いてしばらく探したあとでTさんは手を止めた。
その写真だけがどうしても見つからないのだと言った。何度も見返していたはずの一枚がいつのまにかどこにもなくなっていた。
「この前まで確かにあったんですよ。あいつがもう端まで来てる写真が」
Tさんはそう言って黙り込んだ。
私はそれ以上は何も聞けなかった。
村の墓地が今どうなっているのかは私も知らない。Tさんもあれきり一度も帰っていないという。
ただ一つだけ気になっていることがある。Tさんとの別れぎわに何の気なしに撮っておいたあの一枚の写真を、私は今でもときどき開いては数えてしまう。
そこに写っているのは私とTさんの二人だけのはずだった。
第五話 同窓会
これはある女性から聞いた話だ。
仮にNさんとしておく。三十代の半ばで都内の会社に勤めている人だった。ある集まりで知り合って怪談を集めていると話すと自分にも一つだけ忘れられない出来事があると言って聞かせてくれた。
その年の秋にNさんのもとへ一本の電話がかかってきた。
平日の夜だった。表示された番号には見覚えがなかった。出てみると相手は明るい男の声でこう言った。久しぶり。元気にしてた。
Nさんは戸惑った。声に聞き覚えがなかったからだ。相手は構わずに続けた。今度みんなで集まろうって話になってさ。ヨッシーも来るって。
ヨッシーという名前にNさんは引っかかった。同級生にそんなあだ名の者がいただろうか。いくら記憶をたどっても思い当たらない。
電話をかけてきた相手は自分のことを中学の同級生だと繰り返し名乗ったのだが、その声にはやはりどうしても聞き覚えがなかった。卒業して二十年になるから同窓会をやろうという話で連絡を回しているのだという。Nさんは曖昧に相づちを打った。卒業アルバムを引っぱり出して確かめればいい。そのときはそう思って電話を切った。
その晩のうちにNさんはアルバムを開いてみた。
自分のクラスの集合写真を端から順に指の先でたどっていったのだが、ヨッシーと呼べそうな顔も名前もどこにもなかった。電話をかけてきた相手の名前も卒業生の名簿には載っていなかった。
気味が悪くなったNさんは当時いちばん仲のよかった友人に連絡を取った。同窓会の話を知っているかと尋ねた。
友人はそんな話は聞いていないと言った。そもそも自分たちの代で同窓会をやろうという動きなどないという。ヨッシーという同級生に心当たりがあるかとも聞いてみた。友人はしばらく考えてからそんな子はいなかったと答えた。
Nさんはいよいよ落ち着かなくなった。
数日後にまた同じ番号から電話がかかってきた。Nさんは思いきって出た。前と同じ明るい男の声だった。日取りが決まったよ。今週の土曜の夜。場所はいつものとこ。ヨッシーも楽しみにしてるってさ。
Nさんは相手が誰なのかを問いただした。けれど相手はそれには答えず一方的に話を続けた。みんな久しぶりに会えるのを楽しみにしてる。Nちゃんが来ないとヨッシーが残念がるよ。
Nちゃん。その呼び方にNさんはぞくりとした。中学の頃に自分がそう呼ばれていたのは事実だった。それを知っているのはあの頃の同級生だけのはずだった。
電話を切ったあとでNさんは着信履歴に残ったその番号をじっと見つめた。かけ直してみる勇気はなかなか出なかった。それでも確かめずにはいられなかった。
意を決して番号を呼び出して発信ボタンを押した。
呼び出し音が鳴りはじめた。
そのときだった。Nさんの部屋の玄関のすぐ外で携帯電話の着信音が鳴りはじめた。
Nさんが今まさに耳に当てている携帯の呼び出し音と扉の向こうの着信音が完全に同じ拍子で重なっていた。
Nさんは携帯を耳から離した。すると扉の外の着信音も止まった。もう一度耳に当てると外でもまた鳴りだす。
誰かが玄関のすぐ前に立っている。その誰かの携帯にNさんは電話をかけている。理屈の上ではそういうことになる。
けれどNさんの部屋は集合住宅の三階だった。玄関の前は内廊下になっていてオートロックの内側だ。住人でなければそこには立てない。
玄関のすぐ外でいつまでも鳴り続けるその着信音を聞いているうちに、Nさんは自分の指が震えて携帯をうまく持てなくなっているのに気づいた。どうしても扉を開けることができなかった。電源を切って携帯を放り出すとそのまま布団をかぶって朝まで動けずにいた。
朝になって恐る恐る玄関の扉を開けてみると廊下には誰の姿もなかった。何かが落ちているわけでもない。いつもどおりの何の変哲もない内廊下だった。
土曜の夜が近づくにつれてNさんは気が気でなくなっていったのだが、結局その日は朝から一歩も外に出ないと心に決めた。電話は二度とかかってこなかった。
それきりその一件は終わったはずだった。
ところが何年も経ってからNさんはまた卒業アルバムを開く機会があった。引っ越しの片づけの最中に出てきたのだ。懐かしさからクラスの集合写真をしばらく眺めていた。
そのときふと気づいた。
写真の下にはクラス全員の名前が並んで印刷されている。その名前の数と写真に写っている顔の数が合わない。顔のほうが一つ多かった。
何度数えても一人ぶん多い。けれどどの顔が余分なのかは分からない。みんな見覚えのある同級生の顔だった。それなのに数だけが一つ多い。
Nさんはその一人が誰なのかをどうしても特定できないまま今に至っているという。
「ずっと一緒に写ってたんですよね。ずっと前から。私が気づかなかっただけで」
Nさんはそう言って口をつぐんだ。
私はその話を聞いてから自分の古いアルバムを開く気になれずにいる。
押し入れの奥にしまったままの卒業写真。あそこに並んでいる顔の数を私はまだ一度も数えていない。
数えてしまえばきっと一つ多い。そんな気がしてならないからだ。


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