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根岸共同墓地

神奈川県
根岸共同墓地 表紙

1. 導入

1. 導入 現地写真
1. 導入 現地写真

横浜市中区大芝台の根岸共同墓地は、開港後の地域の歴史を伝える墓地だ。ネットでは心霊スポットとしても紹介されている。周囲を囲む旧米軍住宅のフェンスや、近隣にある根岸外国人墓地との混同が、その印象に関わっているのではないかと考えた。

墓地の噂を扱うなら、眠っている人と、墓を守る人への配慮が欠かせない。私は土地の歴史を調べ、現地の様子と噂を照らし合わせることにした。

ここでは墓地の歩み、夜間に訪れたときの記録、地域を取材した記事で紹介される声を順に見ていく。資料から読めることと、私が現地で感じたことは分けて記す。

怖いという評判だけでは、その場所のことは分からない。歴史や日々の墓参にも目を向けながら読んでほしい。※本記事は肝試し等の行為を助長するものではない。

心霊スポットとされる場所の多くは私有地や立入制限区域を含む場合がある。必ずルールとマナーを守り、近隣住民への配慮を忘れずに。

2. 史料と歴史

2. 史料と歴史 現地写真
2. 史料と歴史 現地写真
2. 史料と歴史 現地写真

墓地周辺は、かつて久良岐郡根岸村の「字相沢」と呼ばれた地域だった。墓地も「相沢墓地」「相沢共葬墓地」の名で知られていた。

明治三十九年頃には「塚越」「大芝」といった地名があり、後の区画整理で現在の中区大芝台になった。さらに時代を遡ると、安政六年の開港を境に、百戸余りの半農半漁の村だった横浜は、貿易都市へと変わっていく。

人口が増えるにつれて墓地の確保も課題になった。明治七年には久保山墓地が設けられ、明治十年には根岸村に二万九千二百六十四平方メートル余りの相沢共葬墓地が造成された。

明治八年には東漸寺が北方天沼から移転した。その後も明治末期までに大円寺、西有寺、円大院などの寺院が集まり、丘陵に寺町の景観が形作られた。

明治二十二年十二月、相沢墓地の管理は根岸村から横浜市へ移された。墓地の日々の手入れには、明治初期に釜利谷から移り住み、花茶屋の青木茶屋を営んできた青木一家も関わってきた。

約四千基の墓がある共同墓地は、増徳院、圓大院、大圓寺、西有寺、蓮光寺などの関係者が管理を分担していると紹介されている。百貨店「松屋」の前身、鶴屋呉服店の創業者・古屋満寿の墓もある。

近隣には、明治六年に在留清国人の一時的な埋葬地として設けられた地蔵王廟(中華義荘)もある。この地域の景観は、開港後の墓地整備に加え、戦中・戦後の土地接収によっても変わった。

根岸競馬場では昭和十七年に競馬が中止され、翌年に海軍、終戦後の昭和二十年九月には米軍が接収した。根岸共同墓地の周りにも米軍根岸住宅が広がり、立入りを制限するフェンスが設けられた。

その後、土地は段階的に接収を解除され、返還運動も続いた。根岸森林公園や馬の博物館として使われるようになった場所もある。墓地の周囲には、こうした開港後から戦後にかけての変化が重なっている。

3. 歴史や土地と噂の因果関係

3. 歴史や土地と噂の因果関係 現地写真
3. 歴史や土地と噂の因果関係 現地写真

心霊スポットとしての印象を考えるとき、まず目に留まるのは高いフェンスだ。墓地の周囲を大きく囲み、その先へ自由に進めないという感覚を生む。

日本式の墓石の向こうに、芝生や洋風の建物が見える。夜にはフェンスが黒い壁のようになり、昼とは違う距離感になるだろう。その見え方が怖さにつながることは考えられる。

「赤ん坊の泣き声」の噂では、根岸外国人墓地との区別が必要だ。外国人墓地は山手外国人墓地が手狭になったため明治時代に開設され、戦後には幼い子どもたちの埋葬に関わる歴史を持っている。

戦後の横浜では、米兵と日本人女性の間に生まれた子どもたちの遺棄や死があった。山手外国人墓地の管理人だった安藤寅三氏は、遺棄された嬰児の遺体を墓地の空き地に埋葬していたと伝えられている。

その後、埋葬場所は接収下の根岸外国人墓地へ移ったとされる。元教師の田村泰治氏は昭和五十九年からこの歴史を調べ、約八百から九百体の嬰児が葬られたと報告したと紹介されている。この人数と経緯は、根岸共同墓地そのものの記録とは区別しなければならない。

この歴史は、山崎洋子氏の著作などでも取り上げられている。ネットで話を読むときには、同じ「根岸」という名を持つ共同墓地と外国人墓地の、どちらを指しているのか確認する必要がある。

「赤ちゃんの泣き声」や「白い十字架」の話が共同墓地へ混ざった可能性はある。ただ、具体的にどの投稿から移ったのかは、ここでは示せていない。手入れの途絶えた墓があることも、怪異の裏付けにはならない。

4. 現地検証

4. 現地検証 現地写真
4. 現地検証 現地写真
4. 現地検証 現地写真

夜、スーパーカブ110で根岸共同墓地へ向かった。起伏のある坂道を登った先、大芝台の墓地入口付近でカブを停めた。

街灯の届かない場所では、フェンスが黒い壁のように見えた。その向こうには旧米軍住宅の建物が沈み、遠くにはランドマークタワーの光が見える。墓地の暗さとの対照が印象に残った。

機材を準備し、まず音を記録した。使ったのは電磁波遮蔽マイクと超音波マイクを接続したハンディレコーダー、それに32ビットフロートバイノーラルマイク。

電磁場を見るトリフィールドメーター、温度を見る赤外線サーモグラフィー、フルスペクトルカメラも設置した。気圧や湿度のデータロガー、LiDARスキャナー、自作の骨格検知アルゴリズムも使った。

通路や古い墓の多い区画にREMポッドを七機置き、反応を見た。約二時間の間、不審な高周波ノイズ、機器の異常動作、急なバッテリー消耗はなかった。

騒音計は二十八デシベル以下を示していた。録音には風や動物によるものと思われる音が入ったが、それ以外に異常と判断する音は記録されなかった。トリフィールドメーターにも、突発的な大きな変化はなし。

サーモグラフィーでは、周りと比べて急に冷えた場所は見つからなかった。骨格検知やLiDARにも、正体の分からない人型や動く物体は現れなかった。

静けさや風の反響に緊張する場面はあった。それでも、この訪問で明確な異常は確認できなかった。これは今回の観察の範囲での結果だ。

私には怖さよりも、ここが地域の人たちに守られてきた墓地なのだという印象が残った。

YouTube動画

5. 心霊スポットの噂一覧

5. 心霊スポットの噂一覧 現地写真
5. 心霊スポットの噂一覧 現地写真
5. 心霊スポットの噂一覧 現地写真

根岸共同墓地について語られる噂と、地域を取材した記事に出てくる声を挙げる。怪談と、地元の人の受け止め方を同じものとして扱わないようにする。

  • 夜の墓地やフェンスの近くから、赤ん坊が泣く声が聞こえるという話だ。GIベビーの歴史と結びつけられるが、前述のとおり外国人墓地との区別が必要だ。
  • 古い無縁墓の陰から、白い服の女性や白い霧のようなものが現れ、すぐ消えるという目撃談がある。
  • 階段や砂利道を一人で歩いていると、後ろから誰かがついてくるような足音が聞こえる、という話もある。
  • 墓地や古い石碑を撮ると、赤や緑の光の筋、人の顔に見える影が写るという噂だ。撮影条件や原画像が分からなければ、写ったものの正体は判断できない。
  • 墓地に入るとカメラや携帯電話の電池が急に切れ、電源が落ちるという機材トラブルの話もある。
  • 旧米軍住宅との境界付近で、誰もいないはずのフェンスの向こうから見られているように感じる、という噂だ。
  • 古い墓や旧火葬場跡とされる場所に近づくと、冷気や耳鳴りを感じて引き返した、という話もある。旧火葬場跡という場所の説明自体も、資料との照合が必要だ。
  • 一方、地域メディアの取材では、石材店を営む臼井芳明氏の「ここで幽霊が出たという話は全く聞いたことがない」という声が紹介されている。夜間にも犬の散歩をするという話で、ネットの怖い場所という印象とは隔たりがある。

6. 噂や怪異、都市伝説の出どころ考察

6. 噂や怪異、都市伝説の出どころ考察 現地写真
6. 噂や怪異、都市伝説の出どころ考察 現地写真

噂を考えるうえで、田村泰治氏が一九八四年から始めた根岸外国人墓地の調査は、区別して読むべき資料だ。子どもたちの埋葬の歴史が知られたことと、根岸共同墓地の怪談が始まったことは、そのまま同じ出来事にはできない。

八百から九百体ともされる嬰児の埋葬は、戦後の差別や貧困に関わる重い話だ。書籍や映像で知った内容も、何を根拠とする記述なのか、どちらの墓地の話なのかを確かめて受け止める必要がある。

一九九〇年代後半から二〇〇〇年代初頭には、個人の心霊サイトや掲示板が増えた。同じ地名を持つ二つの墓地が混同された可能性はあるが、投稿の時期や内容を示さずに、その頃の利用者が混同の原因だったとは決められない。

赤ん坊の泣き声や白い十字架の話についても、どのページが何を参照したかを追う必要がある。似た話があるだけで、コピーや無検証の転載が行われたと断定することは避けたい。

二〇一〇年代以降は動画やSNSでも現地の様子が紹介されるようになった。墓石と高いフェンスが並ぶ景観は映像でも印象に残るが、その見た目と、動画が伝える体験の確かさは別に考えるべきだ。

土地の歴史、夜の景観、ネットで読んだ話は、訪問前の印象に影響する。ただ、それらがどう結びついて個々の噂になったのかは、元の投稿に戻って確かめる必要がある。

7. 総合分析

7. 総合分析 現地写真
7. 総合分析 現地写真

根岸共同墓地は、明治十年の設置以来、横浜に暮らした多くの人が眠る場所だ。怪談を読む際にも、その墓地としての歩みを外して考えることはできない。

この記事で挙げた資料には、噂を裏付ける具体的な事件記録は示されていない。しかし、それをもって過去に事件や事故が一切なかったとまでは言えない。

約一・二キロメートル離れた根岸外国人墓地の歴史と、この共同墓地の歴史を混ぜないことが大切だ。私の訪問では異常は確認できなかったが、一度の観察で心霊現象全般を証明したり否定したりすることもできない。

遺族の声として、「自分たちの大切な先祖が眠る神聖な菩提寺や共同墓地を、不気味だという形で面白おかしく紹介されたり、肝試しの対象にされたりするのは、非常に辛く苦しい」という言葉も挙げられている。ただ、発言者や聞き取りの経緯を確認できないため、直接取材した証言としては扱わない。

訪問者の好奇心と、墓参する人の日常は同じではない。根拠の確かでない噂を断定したり、怖い映像を撮るために騒いだりすれば、墓地を大切にする人の妨げになる。

訪れるときは静かに歩き、墓参者の通行を優先してください。横浜の歴史に関わる場所として、墓と周囲の人に敬意を払いたい。

8. 注意事項・アクセス・基本情報

8. 注意事項・アクセス・基本情報 現地写真
8. 注意事項・アクセス・基本情報 現地写真

所在地とアクセス、訪問時の注意点をまとめる。

  • 所在地情報:神奈川県横浜市中区大芝台4ー2(一部の墓地管理を行う大圓寺の所在地は中区大平町94となっている)
  • 鉄道によるアクセス:JR根岸線「山手駅」より徒歩で約十三分から十九分、またはJR根岸線「石川町駅」より徒歩約三十分の距離にある。
  • バスによるアクセス:JR石川町駅南口の元町バス停より、横浜市営バス21系統(根岸駅前行き)に乗車し、「山元町1丁目」または「山元町2丁目」バス停で下車後、徒歩約五分から七分。
  • 自動車によるアクセス:首都高速神奈川3号狩場線「狩場インターチェンジ」より車で約五分から二十三分(ただし墓地周辺の道路は極めて狭隘であり、一般車の進入や駐車は厳禁だ)。
  • 法的な厳重注意事項:墓地の半分以上を取り囲んでいるフェンスは、かつての米軍根岸住宅(米軍接収地)の境界線であり、フェンスを越える行為は日米地位協定等に基づき厳しく処罰される。
  • 近隣住民への配慮:墓地の周囲は、閑静な一戸建てが立ち並ぶ地域住民の生活圏であり、夜間の訪問、大声での会話、ライトの乱用、路上駐車、及びゴミのポイ捨てなどは絶対に行わないでください。
  • 墓参者への礼儀とマナー:ここは故人が眠り、現在もご遺族が日々お墓参りに訪れる神聖な公共の場所であるため、肝試しや冷やかし、許可のない動画撮影などの迷惑行為は厳に謹んでください。

9. 引用文献及び引用サイト

9. 引用文献及び引用サイト 現地写真

本文に関係する資料とサイトを以下に挙げる。

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