
~横浜市戸塚区に眠る「スイス人の森」は、なぜ心霊スポットになったのか?史料と現地検証で徹底解剖~

どうも、奇怪千万です。
今回訪れた場所は、神奈川県横浜市戸塚区に存在する
心霊スポット『ウィトリッヒの森』。
横浜って聞くと、みなとみらいとか中華街とか、おしゃれなイメージが先行するじゃないですか。
赤レンガ倉庫でデートとかさ。
でもね、この街の南西部に、昼間は市民がのんびり散歩して、夜になると「あそこだけは行くな」と囁かれる森がある。
面積約3.2ヘクタール。
野毛山動物園とほぼ同じ広さ。
横浜市が管理する「市民の森」のひとつなんだけど、この森だけがカタカナの名前を冠している。
ウィトリッヒ。
スイス人の名前だ。
なぜスイス人の名前が横浜の森についているのか。
なぜこの穏やかな市民の森が心霊スポットと呼ばれるのか。
そして、なぜ僕は深夜にスーパーカブを走らせてここに来てしまったのか。
順を追って話そう。

第一章:スイス人が愛した丘 アーノルド・ウイトリッヒという男
この森の歴史を語るには、まず一人のスイス人の人生を辿る必要がある。
アーノルド・ウイトリッヒ(Arnold Wüthrich)。
1930年(昭和5年)頃にスイスから来日した建築技術者だ。
スイス発祥の商社「シーベル・ヘグナー」の社員として日本に渡り、高級カメラ「ライカ」の日本総代理店だった同社で昭和26年から定年退職する昭和40年まで勤めた人物である。
ウイトリッヒは来日後、戸塚区矢部町の丘の上に居を構えた。昭和8年(1933年)頃に建てた洋館は、青い壁に赤い屋根が映える2階建ての木造建築で、現在も「旧ウィトリッヒ邸」として横浜市認定歴史的建造物に指定されている。
ただし非公開だ。地元の人に聞いても「知らない」と言われるレベルでひっそりとしているらしい。
はまれぽ.comの調査でも、旧ウィトリッヒ邸の近隣住民に聞き込みをしたが、住所のすぐ近くに住んでいる人でさえ存在を知らなかったという。
地元民スルーの歴史的建造物、なかなかのレアキャラである。
さて、ウイトリッヒは周辺が都会化していくのを嫌い、同じ戸塚区の俣野町にあった大きな農地を購入して移住した。彼はこの土地をこよなく愛した。故郷スイスの風景に似ている
それが理由だったという。
裏手の小屋ではヤギかヒツジを飼っていたという証言もある。
アルプスの少女ハイジか。
いや、アルプスのおじさんウイトリッヒか。
とにかく、戸塚の丘陵地帯にスイスの田園風景を重ね見ていたらしい。
戦時中は軽井沢に疎開し、終戦後にまたこの森に戻ってきた。
1983年(昭和58年)、ウイトリッヒは死去。享年不明だが、長くこの土地を守り続けた男だった。
彼の遺志を継いだ妻・津田ひで(ひ亭)さんが、この森を横浜市に寄贈した。
ひでさんは1986年(昭和61年)に98歳で亡くなっている。
翌1987年に市民の森として開園したが、ひでさんはその完成を見届けることなくこの世を去った。
ちなみに、ウイトリッヒの森にある東屋の瓦は、ウイトリッヒ邸で実際に使われていた瓦が流用されているそうだ。
生前の彼の想いが、建材のレベルで森に残っている。
ここまでの話だけ聞くと、異国の地で自然を愛したスイス人紳士の美しい物語だ。
散歩に最適、ホタルも生息、親子連れに
おすすめじゃらんのクチコミにもそう書いてある。
だが。
この森が「心霊スポット」として語り継がれるようになった理由は、ウイトリッヒ氏の美しい物語とはまったく別の場所にある。

第二章:99人が焼け死んだ夜 聖母の園養老院火災
ウィトリッヒの森を心霊スポットたらしめている最大の要因。それは、森に隣接していた「聖母の園養老院」で起きた大火災だ。
1955年(昭和30年)2月17日、午前4時34分頃。
神奈川県横浜市戸塚区原宿町。
国道1号沿いに建つカトリック系の養老施設「聖母の園養老院」から出火した。
この施設は、元々旧海軍衛生学校の建物を駐留米軍から1946年に譲り受けて開設されたもので、カトリック教会の社会福祉法人聖母会が運営していた。
収容されていたのは、戦災などで身寄りを失った60歳以上の老女たち。
老衰や病気でほとんど動けない方が多く、生活保護を受けている入所者がほとんどだった。
当時143名の老女が、老朽化した木造2階建ての建物に暮らしていた。
非常口は少なく、火災対策はほぼ皆無。
前年にようやく消火器を数本設置した程度だったという。
資金不足で抜本的な改修ができなかったのだ。
出火原因は、入所者が捨てた懐炉の灰の不始末とされている(漏電説やタバコの不始末説もあり、確定していない)。
火は1階の「ペテロの間」から上がった。
消防と警察およそ200名が消火にあたったが、木造2階建て延べ約800坪と修道院聖堂約70坪、肥料小屋1棟が全焼。
午前6時15分頃にようやく鎮火した。
死者99名(入所者95名、職員4名)。負傷者8名。
これは戦後の建物火災としては、1972年の千日デパート火災、1973年の大洋デパート火災に次ぐ犠牲者数であり、非商業施設としては日本最多の被害者数だ。
逃げ場を失った入所者たちは、建物ごと炎に呑まれた。
動けない体で、2月の未明の暗闇のなか、炎と煙に包まれた彼女たちの最期を想像すると、正直、言葉が出ない。
犠牲者のなかには、イタリアの作曲家プッチーニと親交があり、オペラ「蝶々夫人」の制作に協力した大山久子氏(元イタリア公使夫人、当時85歳)もいた。
奇しくも2月17日は「蝶々夫人」がミラノ・スカラ座で初演された日(1904年)と同じ日付である。
この偶然は中井英夫の名作推理小説『虚無への供物』でも引用されている。
追悼ミサは同年2月23日に藤沢市片瀬の湘南白百合学園で行われ、ローマ法王使節をはじめ約1000人が参列。
昭和天皇・香淳皇后からは生花が下賜された。
養老院はその年の11月に鉄筋ブロック平屋建てで再建され、現在も同じ場所に聖母の園老人ホーム、修道院、保育園、医院を併設して存在している。
この大火災が、隣接するウィトリッヒの森に「霊が彷徨う」という噂の原点となった。

第三章:噂の傾向整理ーウィトリッヒの森に纏わる怪異・噂・都市伝説
ここからは、ネット上に散らばるウィトリッヒの森にまつわる怪異情報を丁寧に拾い上げていく。
裏が取れないものも含めて、あえて全部並べる。
心霊スポットの噂というのは、事実と虚構の境界線がいつも曖昧だからこそ面白い。
【噂①】聖母の園の犠牲者が森を彷徨っている
最も多く語られる噂がこれだ。
1955年の火災で亡くなった99名の霊が、隣接するウィトリッヒの森に留まっているという話。
特に夜間になると、森の中から微かな呻き声や啜り泣きが聞こえるという証言が複数ある。
火災犠牲者の遺族の一部が当時、近くの森に仮埋葬されたという噂もある。これが事実かどうかは確認が取れていない。
追悼ミサの記録からは、遺体はきちんと弔われたことが窺えるが、あの規模の惨事だ。
当時の混乱のなかで「仮埋葬」が行われたとしても、まったく不思議ではない時代背景がある。
裏が取れない。
でも、否定もできない。
心霊スポットの噂ってのは、大体こういうグレーゾーンに住み着いている。
【噂②】女性の幽霊が頻繁に目撃される
「誰もいないはずの森で女性の人影を見た」という報告が多い。これは聖母の園の犠牲者が高齢の女性ばかりだったことと無関係ではないだろう。
白い着物のような衣服、あるいは寝巻き姿で森の中を彷徨う女性の姿が目撃されているという。
心霊系YouTuberの間でも「危険なスポット」として認知されており、複数のチャンネルで取り上げられている。
【噂③】森の中でGPSが狂う
スマートフォンのGPSが突然おかしくなり、現在地が表示されなくなるという報告がある。
「森の奥に行こうとしたらGPSが狂って現在地が消えた」
「出ようとしても同じ場所をぐるぐる回る感覚がした」という証言だ。
まあ、森の中ってGPS精度が落ちるのは普通の話ではある。
木々が衛星信号を遮るからね。
でも、「いつもの森歩きでは起きないレベルの誤作動だった」と語る人もいる。
合理的な説明がつく現象ではあるが、この場所で起きると妙に怖い。
【噂④】深夜の足音
「夜中に森を歩いていたら、背後から足音が聞こえた。振り返っても誰もいない」。
これはもう心霊スポットの定番といえば定番だ。
ただ、複数の訪問者が同様の体験を報告しているのは気になる。
動物の可能性?もちろんある。
タヌキやハクビシンは夜行性だし、こういう森には普通にいる。
でも「明らかに人間の二足歩行の足音だった」と証言する人もいるんだよなあ。
【噂⑤】霊感が強い人が感じる「圧」
霊感の強い人がこの場所を訪れると、重苦しい空気に圧迫されるような感覚を覚えることが多いという。
これはまあ、主観的な話なので検証のしようがないんだけど、複数の霊感持ちが同じことを言っているのは一応記録しておく。
【噂⑥】白骨遺体の発見
これは噂ではなく事実だ。
2012年、清掃中の女性が森の中で白骨化した遺体を発見している。
遊歩道から5メートルほど離れた場所にあおむけに横たわっていた。
身長165センチほどの男性と推測されたが、身元は不明だった。
また、過去にも複数の遺体が発見されている。
ホームレスと見られる人物の遺体が見つかったケースもあるという。
市民の森で白骨遺体、である。昼間は家族連れが散歩する場所で、だ。
この事実が心霊スポットとしての噂をさらに強化していることは間違いない。
【噂⑦】バリケードで封鎖されたエリア
森の一部はバリケードで仕切られていて、進入できないエリアが存在するという。
「なぜか一部が空白地帯になっている」という声もある。
管理上の理由(地盤が不安定、倒木の危険性など)で封鎖されている可能性が高いが、それが「何かを隠している」「入ってはいけない場所がある」という都市伝説に発展している。
【噂⑧】モデルガンで追い払われた住人の記憶
これは心霊とは少し違うが、面白いエピソードとして残っている。
ウイトリッヒ氏が存命だった頃、子どもたちが勝手に森に入ったところ、「猟銃のようなモデルガン」を持って「勝手に入るなー!」と追い払われたという地元民の証言がある。
スイス人のおじいさんがモデルガンで子どもを追い払う。
ちょっとコミカルな絵面だが、彼にとってこの森はそれほど大切な場所だったということだ。
【噂⑨】推理小説の舞台
推理作家・斎藤栄が1989年に『横浜外人(ウィトリッヒ)の森殺人事件』(双葉文庫)を発表している。
フィクションではあるが、この森を舞台にした殺人事件の物語が書かれたこと自体が、この場所の持つ「何かが起きそうな空気」を証明しているように思える。

第四章:現地検証─深夜のスーパーカブ、戸塚へ
さて、ここからは僕の現地検証レポートだ。
僕の心霊スポット検証のスタイルは一貫している。深夜、単独、ホンダ・スーパーカブ110。 車は使わない。電車も使わない。
カブ一台で全国の心霊スポットを巡る。
これが僕のやり方だ。
カブのエンジン音って独特でさ、深夜の住宅街を走ると申し訳ないくらい響く。
でもこの相棒がいないと僕の心霊スポット巡りは成立しない。
燃費もいいしね(心霊スポット巡りで燃費の話をするな)。
到着したのは深夜2時過ぎ。
戸塚区俣野町。カブを停めて、ヘルメットを脱ぐ。
第一印象「暗い」。
いや当たり前だろ深夜なんだから、と思うかもしれない。
でもね、心霊スポットを何年も回っていると、「普通の暗さ」と「なんかおかしい暗さ」の違いがわかるようになる。
ここは後者寄りだった。
周辺は住宅地で、道路にはLED街灯がポツポツとある。
でも森に入る入口あたりから、街灯の光が急に届かなくなる。
まるで森が光を拒絶しているかのような。
いや、言い過ぎか。でもそんな感覚があったのは事実だ。
森の入口に立つ。案内板がある。「ウイトリッヒの森」。
昼間なら何てことない市民公園の看板だ。でも深夜にライト一本で照らすと、文字の印象がまるで違う。
入っていく。
遊歩道は一応整備されている。
昼間はベンチもあるし、トイレもある。
でも深夜のそれらは全部、ただの暗い塊だ。ベンチが人影に見える。
トイレの建物が何かの廃屋に見える。人間の脳って暗闇だと本当に余計なことをする。
森の中は、虫の鳴き声と自分の足音だけ。
2月の検証なら虫はいないだろうが、まあ時期によっては虫の大合唱だろう。静まり返った森の中を、ライトを頼りに歩く。
竹林エリアに入った時、空気が変わった気がした。
孟宗竹の林が広がるエリアがあるんだけど、ここに入った瞬間、なんというか「密度」が上がった感じ。物理的に竹が密集しているから当然なんだけど、それだけじゃない何かを感じた。
気のせいかもしれない。
先入観かもしれない。
でもいつも思うのは、心霊スポットで感じる「何か」って、先入観で片付けるには妙にリアルなんだよな。
森の奥へ進む。
東屋がある。ウイトリッヒ邸の瓦が使われているあの東屋だ。
深夜に見ると、瓦の質感がやけに生々しい。
ここにスイス人のおじいさんが座っていたんだろうか。モデルガン片手に。
バリケードで仕切られたエリアを発見。
噂通り、森の一部に進入禁止のような区画があった。
管理上の理由だろうとは思う。でも深夜に暗い森の中でバリケードを見つけると、どうしても「この先に何がある?」と思ってしまう。
もちろん僕は侵入しない。
心霊スポット巡りのルールとして、立入禁止区域には入らない。これは鉄則だ。
約40分ほどの検証。
機材は持ち込んでいたが、この日は特に機器に異常反応はなかった。EMFメーターも反応なし。ばけたんも特に変化なし。
でも。
帰り際、森の出口に向かって歩いている時に背後から「パキッ」と枝が折れるような音が聞こえた。
振り返る。ライトを向ける。
誰もいない。
動物かもしれない。枝が自然に折れたのかもしれない。風のせいかもしれない。でも、風はなかった。無風だった。
気のせいだと自分に言い聞かせてカブに戻った。エンジンをかける。いつものカブの排気音が、この時ばかりは妙に心強かった。


第五章:噂の出どころ考察 なぜウィトリッヒの森は「心霊スポット」なのか
できるだけ冷静に考察してみよう。
ウィトリッヒの森が心霊スポットとして認知されるようになった最大の要因は、やはり聖母の園養老院火災だろう。
99名の犠牲者を出した戦後最悪クラスの福祉施設火災。
この衝撃的な歴史が、隣接する森に「霊が出る」という物語を生んだ。
人間の心理として、大量の死者が出た場所の近くは「何かいるんじゃないか」と感じてしまうものだ。
それは心霊肯定派の感覚だけでなく、懐疑派でも理解できる心理的メカニズムだ。
次に、白骨遺体の発見。
2012年の発見をはじめ、複数回にわたって遺体が見つかっている事実は、この森に「死」のイメージを重ね塗りしている。
市民の森として整備されている場所で遺体が見つかるというギャップが、恐怖を増幅させる。
さらに、森という環境そのもの。
3.2ヘクタールの雑木林は、昼間でも深い場所に入ると鬱蒼としている。
夜間は当然真っ暗だ。
人間は暗闇に恐怖を感じる生き物であり、暗い森+死の歴史=心霊スポット、というのは非常にわかりやすい構図だ。
一方で、斎藤栄の推理小説やネット掲示板での噂の拡散、心霊系YouTuberによる取り上げなど、メディアによる増幅も無視できない。
一度「心霊スポット」のレッテルが貼られると、それを補強するようなエピソードが次々と集まってくる。
これは心霊スポット全般に言えることだ。
霊が本当にいるのかどうか、僕にはわからない。
ただ確実に言えるのは、この場所には99人の方が理不尽な死を遂げた歴史があり、身元不明の白骨遺体が見つかった事実があるということだ。
心霊現象の有無にかかわらず、それだけで十分に重い場所だと思う。

第六章:帰路の後味 カブのエンジン音と、消えない残像
森を出て、カブに跨る。エンジンをかける。いつもの音。
深夜の戸塚の街を走りながら考える。
ウイトリッヒさんは、あの森でヤギを飼って、スイスの風景を思い出していたんだろう。彼にとってあの森は「故郷」だった。
そして聖母の園の入所者たちにとって、あの施設は最後の「家」だった。
二つの「居場所」が、たまたま隣り合っていた。
片方は美しい物語として語り継がれ、もう片方は悲劇として歴史に刻まれた。そしてその二つが混ざり合って、「心霊スポット」という一つのレッテルに収斂していく。
帰り道、国道1号に出る。信号待ちでふとバックミラーを見た。
何もいない。
当たり前だ。でも、森を出た後のバックミラーって、なぜかいつも確認してしまう。
職業病みたいなものだ。
心霊スポット巡りの職業病。
家に着いて、カブのエンジンを切る。ヘルメットを脱ぐ。
今日も無事に帰ってこれた。それが何より。

第七章:ウィトリッヒの森 基本情報まとめ
所在地: 神奈川県横浜市戸塚区俣野町2-1
アクセス: JR東海道線・市営地下鉄ブルーライン「戸塚駅」西口バスターミナルから神奈川中央交通バス戸50・52系統で約15分、「国立病院前」下車徒歩約7分、または「原宿」下車徒歩約10分
面積: 約3.2ヘクタール(約30,000㎡)
開園: 1987年(昭和62年)
心霊的な曰く: 聖母の園養老院火災(1955年、死者99名)、白骨遺体の発見(2012年他)、複数の心霊目撃証言
備考: 市民の森として整備されており、遊歩道・ベンチ・トイレあり。夜間の照明はなし。一部バリケードで進入制限あり。

第八章:検証を終えて 心霊恐怖度と総合所感
さて、いつもの恐怖度を出しておこう。
心霊恐怖度:★★★☆☆(5段階中3)
正直に言って、機材に明確な異常反応があったわけではない。怪奇現象と断言できる体験もなかった。
だけど、あの森には確実に「何か」がある。それが霊なのか、場所に残った記憶なのか、人間の心理が作り出した幻影なのかは、わからない。
でもさ、99人が一夜にして命を落とした歴史が隣にある森だよ。白骨遺体が見つかる森だよ。昼間は市民が弁当を広げている場所でだよ。
そのギャップが、この場所の本当の怖さだと僕は思う。
おしゃれな横浜のイメージの裏側に、こういう場所がひっそりと存在している。知らなければ一生知らないまま。でも知ってしまったら、もう忘れられない。
ウイトリッヒさん。あなたの愛した森は今、こんなことになってます。
……すみません。でも、あなたの森はちゃんと残ってます。市民に愛されてます。昼間はね。

おわりに
心霊スポットに行くことの是非は常に議論がある。
僕自身、これが「不謹慎」な行為であることは自覚している。
特に、実際に多くの方が亡くなった場所については、より一層の配慮が必要だ。
僕は現地を訪れる際、必ず黙祷をする。
ふざけた気持ちで行くことはない。
心霊スポットは「怖い場所」として消費されがちだけど、その裏には必ず人間の歴史がある。悲しみがある。無念がある。
この記事を読んで「怖い」と思ってくれた人は、どうかその次に「なぜ怖いのか」を考えてみてほしい。
そこにある歴史を、少しでも知ってもらえたら。
それでは、また次の検証で。
奇怪千万でした。
【注意事項】
※心霊スポットへの訪問は自己責任です。近隣住民への迷惑行為、不法侵入、ゴミの放棄等は絶対におやめください。
※このページは歴史的事実と筆者の体験、およびネット上の噂を整理したものです。
心霊現象の実在を主張・否定するものではありません。
※聖母の園養老院火災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


