高麗橋(幽霊橋)

福島県

1. 導入

奇怪千万、今回の現場は福島県いわき市。
JRいわき駅から歩いて十数分、国道399号の上に架かる小さな陸橋だ。
名は高麗橋(こうらいばし)。だが地元では別の呼び名のほうが通りがいい。
「幽霊橋」である。
昼に通れば、何の変哲もない陸橋だ。見落として通り過ぎる人も多い。
ところが夜になると話が変わる。
橋から女性の霊が車めがけて落ちてくる。振り返れば憑かれる。そんな噂がいくつも積み重なっている。
名前からして穏やかではない。なぜ「幽霊橋」なのか。
今回はその出どころを、史料と現地の両方から切り分けていく。

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2. 史料が語る高麗橋

まず名前の由来を押さえておく。
1924年(大正13)3月26日の常磐毎日新聞に、高麗橋の由来が載っているという。
江戸時代この場所には「高麗門」があったと伝わり、それにちなんで当時の土木委員会が「高麗橋」と名付けた、という内容だ。
ここまでは普通の地名譚だ。
問題はその前である。
高麗橋と呼ばれる以前、この橋には俗称があった。それが「幽霊橋」だ。
理由は意外なほど即物的だった。架設工事の最中、橋梁が何度も崩落したのだという。
工事のたびに橋が落ちる。犠牲者がいたかどうかまでは記録に残っていない。
だが「幽霊橋」と呼ばれたほどだから、何かしらの不幸があった可能性は否定できない。
名前の出どころとしては、この一点でほぼ説明がついてしまう。
それでも噂が大きく育ったのには、もう少し深い土壌があった。

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3. 噂が育つ土壌

高麗橋が架かるこの一帯は、ただの市街地ではない。
すぐ西には磐城平城(いわきたいらじょう)の跡が広がっている。
明治以前、いまの国道399号が通る場所は、平城のお堀の一部だった。
具体的には六間門(ろっけんもん)へ通じる堀で、高麗橋のあたりは門へ続く築堤だったとされる。
つまりこの橋は、城の防衛線のうえに立っている。
城があれば戦がある。戦があれば死者が出る。
心霊スポットの噂が育つ土壌としては、これ以上ないほど揃っている。

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戊辰戦争のとき、高麗橋のすぐ先の六間門で激しい戦いがあった。
磐城平藩は幕府方についた。板垣退助や大山巌らが率いる官軍がこれを攻める。
六間門には山砲が撃ち込まれ、扉は吹き飛んだ。城兵は米俵を積んで突撃を防いだという。
やがて砲弾の尽きた幕軍は城に火を放ち、北へ退いた。両軍あわせて数十名の戦死者が出ている。
オカルト系のサイトでは、落城のとき橋から身を投げた女性や子供の霊が出る、と語られることが多い。
「女性の霊が落ちてくる」という現代の噂とも、ここで線がつながる。

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この城には、もう一つ人柱の伝説がある。
本丸と二の丸を隔てる丹後沢(たんごさわ)という水堀。名の由来は菅波丹波(すがなみたんば)という人物だ。
城を築いた鳥居忠政は、沼を堰き止めて堀にしようとした。だが何度やっても上手くいかない。
占いに頼ると、沼の主は大亀で、川を行き来するのが障りだ、人柱を立てよ、と告げられた。
80歳以上の老人を募ったところ、95歳の菅波丹波が自ら名乗り出た。
この世に未練はない、最後の奉公をしよう、堤が成ったら丹後の名を付けてほしい。
そう言って丹波は人柱となった。堀は丹後沢と呼ばれるようになった。
六間門も丹後沢も、高麗橋のすぐ近くにある。
戦の死者、人柱の老人。橋が「幽霊橋」と呼ばれる素地は、史実の側に十分すぎるほどあった。

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4. 現地調査

ここからは現地の話だ。
私が橋を訪れたのは深夜。いわき駅前の明かりが届かなくなるあたりで、国道399号は急に静かになる。
高麗橋自体は、本当に小さい。注意していないと見落とす。
欄干に手をかけて下を覗くと、車のヘッドライトがまばらに流れていく。
橋の上で機材を出した。気温、磁場、録音、ひととおり回す。
結論から書くと、計測上の異常は出なかった。
温度の妙な落ち込みもなければ、磁場の乱れもない。録音にも、後で聞き返して気になる声は入っていなかった。
ただ、立っている場所が場所だ。
すぐ背後は城跡で、足の下は旧い堀の上。
歴史を知ったうえで深夜に一人で立つと、振り返るなという言い伝えが妙に効いてくる。
これは霊云々ではなく、土地の記憶が見せる気分の問題だと思う。
念のため書いておくと、私は振り返った。何も起きなかった。

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5. 語られている怪異

高麗橋にまつわる噂は、だいたい三つに集約される。
一つ。深夜、下の国道をいわき駅方向へ走っていると、橋の上から女性の霊が車めがけて落ちてくる。
二つ。橋を通るときは後ろを振り返ってはいけない。振り返ると霊に憑かれる。
三つ。かつてこの橋では飛び降りが相次いだ。だから「幽霊橋」と呼ばれる。
体験談として一番よく流れているのは、やはり一つ目の落ちてくる女性だ。
ドライバー視点の話として語られることが多い。

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6. 噂の出どころを追う

噂の核心は二つある。「幽霊橋」という名前と、「飛び降りの名所」という性格だ。
まず名前。
すでに見たとおり、これは架設工事で橋が何度も崩落したことが起点だった可能性が高い。
城の戦死者や人柱より前に、工事そのものに不吉な影がついていた。
次に飛び降り。
確かに自殺の名所だったと複数のサイトが書いている。
ただ、件数や具体的な記録までたどれる一次資料は見つからなかった。
ここは慎重に扱いたい。
「幽霊橋」という強い呼び名が先にあって、後から飛び降りが多かったらしいという説明が引き寄せられた、という順序も十分にあり得る。
名前が噂を呼び、噂が新たな噂を呼ぶ。
心霊スポットの育ち方として、よくある形だ。

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7. 総合分析

整理する。
高麗橋が「幽霊橋」と呼ばれる理由は、一つではなく層になっている。
土台にあるのは架設工事の崩落。そこに、城跡という立地が乗る。
六間門の戦死者、丹後沢の人柱、落城時の身投げ伝説。
現代の女性の霊が落ちてくるという噂は、落城時の女性の身投げ伝説と相性がいい。
だが面白いことに、史実の側から見ると、ここで死んでいるのは武士や兵、そして人柱の老人のほうが多い。
もし本当に何かが出るのなら、女性とは限らない。そういう見方もできる。
私が現地で計測した限り、異常はなかった。だから霊はいないと断じる気もない。
言えるのは、この橋には人が物語を重ねたくなるだけの歴史が、確かに積もっているということだ。

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8. 注意とアクセス

高麗橋はJRいわき駅の北側、徒歩でおよそ十数分の場所にある。
国道399号の上に架かる現役の陸橋だ。
廃墟でも立入禁止でもない。普通に生活道路として使われている。
だからこそ注意がいる。
下は国道で交通量がある。深夜でも車は通る。
橋の上で立ち止まったり、車道に出たりするのは危険だ。
肝試し気分で長居せず、近隣の住宅にも配慮してほしい。
そしてすぐ西は磐城平城の跡であり、丹後沢公園として整備されている。
城跡も、人柱となった菅波丹波の伝説も、土地の歴史そのものだ。
面白半分で踏み荒らすような場所ではない。敬意をもって訪れてほしい。

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9. 引用・参考

URL:ghostmap.jp/spotdetail.php?spotcd=2437
URL:tabi-and-everyday.com/archives/36837
URL:ja.wikipedia.org/wiki/磐城平城
URL:kankou-iwaki.or.jp/spot/10047
常磐毎日新聞 1924年(大正13)3月26日
大山柏『戊辰役戦史 上』1968年

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