山岳ベース事件

あさま山荘より前、山中で起きていたこと

1972年2月19日、長野県軽井沢町のあさま山荘に、連合赤軍のメンバー5人が立てこもった。人質を取った事件はテレビで長時間生中継され、28日の突入まで日本中の視線を集めた。

その頃、群馬県の山中には、別の事件の痕跡が残されていた。連合赤軍は1971年末から1972年初めにかけ、仲間12人へ暴力を加えて死亡させ、遺体を埋めていた。後に「山岳ベース事件」「連合赤軍リンチ殺人事件」と呼ばれる出来事である。

あさま山荘事件と山岳ベース事件はつながっているが、同じ事件ではない。山中から逃れた一部メンバーが警察に追われ、山荘へ立てこもった。その後の逮捕と供述、遺体の発見によって、山岳ベースでの12人の死が社会に知られるようになった。

山荘の映像だけを見れば、武装集団と警察の攻防である。山岳ベースへ目を移すと、同じ目標を掲げた仲間同士が、なぜ一人ずつ命を奪うところまで進んだのかという、別の問いが現れる。

二つの組織の合同

連合赤軍は、共産主義者同盟赤軍派と日本共産党革命左派という、出自も路線も異なる組織が1971年7月に合同してできた。

赤軍派は世界革命と武装蜂起を掲げ、資金を得るため金融機関を襲う「M作戦」などを行っていた。革命左派は毛沢東主義の影響を受け、銃砲店襲撃などで武器を集めていた。警察の追跡が強まるなか、両組織は武器と人員を持ち寄り、山岳アジトで軍事訓練を始めた。

合同したからといって、思想や組織文化が一つになったわけではない。指導者同士には主導権争いがあり、メンバーが「革命家として十分か」を測る基準も共有されていなかった。外部から隔離された山中で、その不一致を調整する手続の代わりに、「総括」という言葉が使われるようになる。

警察庁の1973年版警察白書は、直接的な要因として、暴力犯罪を重ねる中での精神的荒廃、路線の違う二組織が軍事面を中心に合同した無理、落伍者が出ることへの幹部の不安と焦りを挙げている。これは捜査機関の立場から書かれた同時代資料であり、唯一の解釈ではない。それでも、合同直後の不安定さと追跡下の焦燥が事件の背景にあったことを考える手掛かりになる。

「総括」という言葉が変質した

政治運動で使われる総括は、本来、活動を振り返り、誤りや成果を検討する行為を指す。ところが山岳ベースでは、本人が自分の「革命性」の不足を認め、作り替わることを迫る言葉へ変わった。

何を言えば総括を達成したことになるのか、明確な基準はなかった。指導部が「反省が足りない」「態度が変わっていない」と判断すれば、本人の言葉は否定された。仲間からの批判、食事や自由の制限、長時間の拘束、暴行が加わり、それに耐えること自体が変化の証しとされた。

暴力を受けた人が衰弱すると、普通なら治療と保護が必要になる。しかし組織内では、苦しむ姿まで「総括できていない」と解釈された。死亡しても、暴力の結果ではなく、本人が革命家へ変わり切れなかったためだと説明された。

この理屈は、加害する側の責任を消す。結果が良ければ指導が正しかったことになり、悪ければ本人の不足とされる。どちらに転んでも指導部の判断が間違いにならないため、内部から修正できない。

「総括できたか」を判定する権限は指導部へ集中した。基準が揺れるほど、メンバーは自分の判断より指導者の表情や言葉を読むようになる。昨日まで批判する側だった人が、翌日には対象になる。生き残るため、仲間への暴力に加わり、自分は組織に忠実だと示す圧力が強まった。

12人の死と、印旛沼の2人

警察白書によれば、群馬県の山中で死亡したのは12人で、革命左派出身7人、赤軍派出身5人だった。当時、山岳アジトへ集まった総勢29人のうち4割を超える。

これとは別に、革命左派は連合赤軍への合流前の1971年夏、組織から離れようとした男女2人を殺害し、千葉県の印旛沼付近へ遺棄していた。二つの出来事を合わせて「14人」と数える資料もある。

12人と14人の違いは、被害者数が不明だからではない。山岳ベースで死亡した12人だけを指すか、合同前の印旛沼事件の2人まで連合赤軍事件の連続した内部殺人として含めるかによる。記事で数字を使うなら、何を数えているかを示さなければならない。

被害者たちは連合赤軍のメンバーだった。それは、暴力を受けることへ同意していたという意味ではない。違法な活動へ参加した責任と、組織内で殺害された被害は両立する。過去の行動を理由に、受けた暴力を小さく扱うことはできない。

被害者を「反革命的だった人」「脱落者」と呼ぶのも、加害側の言葉を引き継ぐことになる。彼らは、逃げようとした、体調を崩した、恋愛関係を持った、身なりや態度を批判されたなど、さまざまな理由で標的になった。どの理由も、拘束と暴行を正当化しない。

なぜ誰も止められなかったのか

事件を知ると、「12人が死ぬまで、なぜ残りの人々は止めなかったのか」という疑問が生じる。答えを「全員が狂っていた」で終わらせると、組織内で暴力が拡大した過程が見えなくなる。

山岳ベースは、警察の追跡を避けるための閉鎖空間だった。外部の家族や友人と自由に連絡できず、移動にも指導部の許可が要る。厳冬期の山中で、食料、寝場所、情報を組織に依存する。離脱すれば警察に逮捕される恐れがあり、仲間から裏切り者として扱われる危険もあった。

最初の暴力を受け入れると、次の暴力への抵抗は難しくなる。自分も加わったという負い目が生まれ、行為を誤りと認めれば、自分自身が処罰対象になる。仲間が死亡した後には、これまでの犠牲を無意味にしないため、さらに指導へ従う心理も働き得る。

組織の言葉は、日常の道徳を置き換えた。「暴行」は「援助」、「服従」は「革命的変化」、「死」は「敗北」と呼び替えられた。言葉が変わると、目の前の行為を普通の基準で捉えにくくなる。

ただし、集団心理という言葉だけで個人の責任を消すこともできない。指示した人、暴力を加えた人、見張った人、救命を妨げた人には、それぞれ異なる行為と選択があった。裁判は、組織を一つの人格として裁くのではなく、個々の関与を審理した。

女性への批判と身体の支配

山岳ベースでは、女性メンバーの化粧、髪形、服装、恋愛、妊娠などが「革命性」と結びつけて批判された。私生活や身体のあり方まで政治的な正しさの審査対象にされた。

表面だけを見れば、女性指導者も加害に関わっているため、男女の権力差とは無関係に見える。しかし、女性らしさを示すことも、捨てることも、指導部の都合で批判材料になった。本人がどのように生きたいかではなく、組織が求める革命家像へ身体を合わせることを迫られた。

恋愛関係も個人同士の問題では済まされなかった。組織への忠誠を弱めるもの、私的欲望の表れとして監視される。誰を愛するか、子どもを産むかという選択まで指導の対象になれば、逃げ場はほとんど残らない。

事件を「嫉妬深い女性指導者の暴走」と説明する俗説は、組織全体の意思決定と、多数が暴力へ参加した事実を一人の性格へ押し込める。個人の感情が影響した可能性と、制度化された支配の構造は分けて考える必要がある。

山岳ベースとあさま山荘を分ける

警察の追跡が迫るなか、連合赤軍の中心メンバーは山中から逃走した。1972年2月17日、最高指導部の森恒夫と永田洋子らが逮捕される。別行動の5人は19日、あさま山荘へ侵入し、管理人の妻を人質に取った。

山荘事件は10日間続き、突入作戦で警察官2人と民間人1人が死亡し、多数が負傷した。人質は救出され、立てこもった5人は逮捕された。

全国中継されたのは山荘の攻防であり、山岳ベースの内部殺人ではなかった。視聴者は武装した若者と警察の対立を見ていたが、直後に仲間12人の遺体が発見され、事件の意味が変わった。政治的目的を掲げた組織が、国家権力との対決以前に、内部の人間を次々と殺していたことが明らかになったからだ。

1978年の衆議院法務委員会で、法務当局は連合赤軍事件の訴因が、山岳ベースのリンチ殺人、あさま山荘、真岡猟銃強奪、印旛沼、M作戦など多数に及ぶと説明している。法廷でも、それぞれの行為、被告人、証拠を区別して審理する必要があり、裁判は長期化した。

「あさま山荘で12人が殺された」「立てこもりの犠牲者が12人だった」という混同は誤りである。山岳ベースの12人は、山荘事件が始まる前に群馬県内の複数の拠点で死亡していた。

スパイ説と「外から操られた」説

事件後、組織に公安当局の協力者が入り込み、内部対立をあおったという説が語られてきた。国家が過激派を弱体化させるため、粛清を誘導したという形に発展することもある。

警察が組織の動向を追い、協力者や情報提供者を得ようとしていたこと自体は不自然ではない。だが、山岳ベースの12人殺害を外部機関が指示、誘導したと示す公的な命令書、裁判認定、具体的証言は確認されていない。

内部の誰かに秘密の身分があった可能性と、連続殺人を外部が計画したことは別の主張である。後者には、暴力の指示と実行へどう関与したかを示す証拠が要る。

外部陰謀説は、複雑な事件を分かりやすくする。メンバーが仲間を殺したという受け入れにくい事実を、見えない操作者の責任へ移せるからだ。しかし、公開された裁判記録や当事者証言から見えるのは、指導部の判断、相互監視、離脱困難、暴力の正当化が内部で積み重なった過程である。

「カルト化」という説明の便利さと限界

連合赤軍は宗教団体ではないが、後の分析で「カルト化した集団」と表現されることがある。絶対化された指導者、外界からの隔離、独自用語、自己批判、離脱への制裁という特徴を指すには便利な言葉である。

一方、「カルトだったから」で説明を終えると、政治運動として何を掲げ、どの犯罪を重ね、なぜ山へ追い込まれたのかが消える。宗教、政治団体、企業、部活動、家庭でも、閉鎖性と無謬の指導が組み合わされれば似た支配は起こり得る。

特別に異常な人だけが起こした事件として遠ざけるより、反対意見を言えない仕組み、基準を指導者が自由に変えられる仕組み、被害を本人の責任にする言葉へ目を向けたほうが、現在への教訓は具体的になる。

被害者を数字から戻す

「12人連続リンチ」という言葉は事件規模を伝えるが、一人ひとりの人生を消しやすい。被害者には家族があり、山へ入る前の生活があり、それぞれ異なる考えと迷いがあった。全員を組織名の一部として扱うと、加害側が用いた「総括対象」という見方を繰り返してしまう。

遺体の状態や暴力の手段を細かく並べる必要もない。警察白書には具体的な方法が記録されているが、事件の構造を理解するには、拘束、暴行、寒冷下での放置、救命の不実施が重なって12人が死亡したという範囲で足りる。

山岳ベース事件を恐怖談に変えると、残酷さだけが記憶に残る。見るべきなのは、普通なら止めるはずの暴力が、正しい訓練、仲間への援助、革命のためという言葉で継続されたことだ。

12人は、思想の誤りを証明するための材料ではなく、違法な暴力によって命を奪われた人々である。その前提から出発してこそ、加害へ至った思想、組織、個人の責任を落ち着いて検証できる。

山中に残された問い

事件から半世紀以上が過ぎても、連合赤軍は「なぜ仲間を殺したのか」という問いとともに語られる。単独の答えはない。政治的暴力の正当化、異なる組織の無理な合同、警察追跡下の孤立、指導権争い、曖昧な総括基準、相互監視、離脱への恐怖が重なった。

どれか一つを原因と決めれば、残りの要素が見えなくなる。心理だけで説明すれば政治的選択が薄れ、思想だけで説明すれば具体的な人間関係が消え、指導者だけに責任を集めれば実行に加わった人々の行為を見落とす。

山岳ベース事件が残した最も重い警告は、崇高な目的を掲げる言葉が、目の前の人の苦痛を見ないために使われたことにある。目的が正しいと信じるほど、手段を点検する仕組み、反対できる権利、外部へ助けを求める道が必要になる。

あさま山荘の映像の陰に12人の死を置き去りにせず、組織の呼び名より先に被害者の人間性を見る。それが事件を怪奇な過去ではなく、今にも通じる集団暴力の記録として受け止める出発点になる。

参照資料

  • https://www.npa.go.jp/hakusyo/s48/s480700.html
  • https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=108405206X02119780428
  • https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=106805254X01219720316
  • https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/106814720X00219720303/55
  • https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunken/74/12/74_102/_pdf
  • https://ndlsearch.ndl.go.jp/search?cs=bib&from=0&q-author=%22%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E5%85%A8%E4%BD%93%E5%83%8F%E3%82%92%E6%AE%8B%E3%81%99%E4%BC%9A%22&size=20
奇怪千万からのお願い

この記事が少しでも面白かった、役に立ったと思ってもらえたなら、ひとつお願いがあります。Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入ってもらえると、私の調査の足しになります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。あなたの支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。

(*´σー`) いただいた紹介料は、現地調査のガソリン代や撮影機材、古い郷土史料の購入に使います。夜のスーパーカブを走らせ続ける燃料だと思って、協力してもらえたら嬉しいです。

※当サイトはAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です。適格販売により収入を得る場合があります。

タイトルとURLをコピーしました