九年間に五人の女性が殺害された
一九八五年から一九九四年にかけて、大阪市内で女性五人が殺害され、遺体が山中や河川敷などへ遺棄された。
被害者の一人は小学三年生、当時九歳の女児だった。
一連の事件は、警察庁指定第一二二号事件として捜査された。報道や後年の記事では「大阪連続女性殺人事件」「大阪連続バラバラ殺人事件」などの名で呼ばれている。
犯人として逮捕、起訴されたのは鎌田安利である。
大阪地方裁判所、大阪高等裁判所、最高裁判所を通じて五人への犯行が認定され、二〇〇五年七月に死刑が確定した。
二〇一六年三月二十五日、鎌田への死刑が大阪拘置所で執行された。法務大臣の臨時記者会見でも、同日に鎌田安利と吉田純子の二人へ死刑を執行したことが公表されている。
この事件は未解決事件ではない。
もとの資料の一部には、現在も真相が闇に包まれているような書き方がある。しかし、刑事裁判は鎌田を犯人と認定し、刑は確定、執行されている。
残っているのは「犯人は誰か」という謎ではなく、長期間にわたる犯行をなぜ早く結びつけられなかったのか、五人の被害をどう記憶するかという問題である。
事件名の誤りを直す
もとの資料には「国家警察庁」「首都圏指定事件第一二二号」とある。
いずれも正しくない。
組織名は警察庁であり、事件は「警察庁指定第一二二号事件」と呼ばれる。
共同通信の用語解説は、一九八五年から一九九四年にかけて、小学三年生の女児を含む女性五人が、大阪市西成区や住吉区などで殺害され、遺体を遺棄された事件だと説明している。
「首都圏」という言葉が混じったのは、広域事件と首都圏を取り違えた可能性がある。
事件は大阪と周辺府県にまたがったが、東京を中心とする首都圏の事件ではない。
また、「大阪リッパー」という呼称も、警察や裁判所が用いた正式名称ではない。
英語の「リッパー」は、切り裂く者という意味で、猟奇的な印象を強める。
後年のまとめ記事や動画が視聴者の注意を引くために使った可能性が高く、当時から地域で定着していた呼称であるかのように書くべきではない。
正式な事件名と、メディア上の通称を分けるだけでも、読み手が受ける印象は変わる。
被害を一つの「猟奇事件」にまとめない
五人は、同じ日に同じ場所で殺害されたわけではない。
一九八五年から八七年にかけて三人、一九九三年から九四年にかけて二人が被害に遭った。
九年という長い期間があり、途中には鎌田が別の窃盗事件で服役していた時期もある。
被害者の年齢も生活も異なる。
知人の女性、飲食店で知り合った女性、小学生の女児など、犯人との接点も同じではなかった。
後年の記事では、五人の出来事が「女性を部屋へ誘い、絞殺し、遺体を切断した」という一つの手口へまとめられやすい。
しかし、女児の事件では誘拐と身代金要求が加わる。遺体が発見された場所、殺害から発見までの期間、犯人が被害者へ近づいた経緯にも違いがある。
違いを消してしまうと、被害者は連続殺人犯の人数を数えるための記号になる。
「五人を殺した」という事実は重要だが、一人の人生が五回奪われたのではない。
それぞれの被害者に家族と日常があり、別々の時にその生活を断ち切られた。
記事では、犯人の異名より、この時間の長さをまず置きたい。
最初の三件
一九八五年から八七年にかけて、女性三人が殺害された。
一部の遺体は切断された状態で山中などに遺棄され、発見されても身元確認と事件同士の関連づけが難しかった。
もとの資料は、一件目と二件目の日付の順序を逆に記し、被害者の年齢や出会いの場所も断定している。
だが、掲載された出典から、その細部は確認できない。
確かな資料を示さず、バー、寿司店、通天閣近くと場面を細かく描けば、文章は臨場感を持つ。
同時に、誤った情報も事実らしく見える。
この事件を伝える上で重要なのは、細部を埋めることではない。
複数の女性が短い期間に姿を消し、遺体が異なる場所で見つかったにもかかわらず、同一犯の連続事件として早期に解決されなかったことだ。
当時は、現在のような全国的なDNA型データベース、街頭防犯カメラ、携帯電話の位置情報、電子決済記録がなかった。
遺体の身元、交友関係、最後の目撃、遺棄に使われた車両などを、一件ずつ聞き込みと物証からたどる必要があった。
犯人と被害者の接点が短時間で、互いの本名や住所を知らない関係なら、捜査はさらに難しくなる。
空白の六年間
一九八七年の事件後、次の殺害が認定された一九九三年まで、およそ六年が空いている。
この空白は、犯人が自発的に犯行をやめていた時期ではない。
鎌田は窃盗事件で有罪判決を受け、服役していた。
一九九三年三月に社会へ戻った後、再び女性が殺害された。
連続事件の記事では、犯人が潜伏しながら獲物を探していたように書かれることがある。
だが、拘禁されていたという事実は、時間の流れを理解する上で欠かせない。
そして、この間に確定した窃盗事件の判決は、後の殺人裁判の刑の決め方にも影響した。
前半三件と後半二件は、単純に五件を一つへまとめて刑を科す関係にはならなかった。
刑法四十五条は、確定裁判を挟む前後の罪について、併合罪として扱う範囲を定めている。
鎌田の事件では、窃盗罪の確定判決より前の三件と、服役後の二件が分けて審理、量刑され、どちらのまとまりについても死刑が選択された。
一人の被告に二つの死刑判決が示される異例の形になったのは、この法律上の区切りによる。
後半の二件
一九九三年から九四年にかけ、さらに二人が殺害された。
そのうち一人が九歳の女児だった。
犯人は女児を連れ去り、殺害後に身代金を要求したと認定された。
子どもの失踪と身代金要求は社会へ強い衝撃を与える。
一方、刺激の強いまとめ記事では、手口を細かく再現し、犯人の残虐性を競うように紹介されることがある。
必要なのは、被害を娯楽へ変える描写ではない。
女児は「連続殺人の五人目」になるために生きていたのではない。学校へ通い、家族のもとへ帰るはずだった子どもである。
事件を記録する際、被害者の実名を出すかどうかにも慎重さが必要だ。
当時の新聞に掲載され、公判記録に残っている名前であっても、検索画面で何十年も表示され続けることは、紙の新聞とは性質が違う。
資料館では、事件の理解に不可欠でない個人情報を増やさず、犯人の経歴より被害の構造を伝える。
窃盗事件から捜査が動いた
鎌田が連続殺人の容疑者として浮かんだきっかけは、殺人現場での現行犯逮捕ではなかった。
一九九五年、別の窃盗事件で鎌田が逮捕された。
そこで採取、照合された指紋が、過去の女性殺害事件に関係する手紙に残っていた指紋と結びついたと報じられている。
長く別々に保管されていた事件の物証と、新たに逮捕された人物の情報が一致した。
この照合から、複数の失踪、殺害、遺体遺棄が一人の人物へ収束していった。
もとの資料は「衣類を盗んでいる現場を目撃され、二月に逮捕、四月に再逮捕」など複数の日付を混在させている。
日付を確定できる一次資料がない状態で、詳細な時系列を作るべきではない。
確認できる範囲では、一九九五年四月に窃盗容疑で逮捕され、その後、指紋照合と取調べ、捜索によって女性殺害の容疑が具体化した。
鎌田の供述をもとに遺体が発見された事件もあり、警察庁指定事件として大阪府警と関係県警が捜査を進めた。
別件逮捕をめぐる法的な論点と、指紋が過去事件をつないだ捜査上の意味は分けて考える必要がある。
「謎の手紙」は怪人二十二面相を名乗った
指紋が残っていたとされる手紙は、後年の事件紹介で「謎の手紙」とだけ書かれることが多い。
一部報道によれば、差出人は「怪人二十二面相」を名乗っていた。
一九八〇年代半ばの関西で「怪人二十一面相」といえば、グリコ・森永事件の犯人グループが報道機関などへ送った挑戦状の名義として知られる。
数字を一つ変えた「二十二面相」という名は、その事件を意識した可能性を感じさせる。
ただし、鎌田の事件をグリコ・森永事件と結びつける証拠ではない。
もとの資料には、大阪府警が両事件を並行して最重要視したとあるが、組織が同じ時期に複数の重大事件を捜査したことと、犯人同士が関係することは違う。
手紙の正確な文面、送付先、目的について、公開資料で確認できない細部は断定しない。
重要なのは、紙に残った指紋が、約十年後に人物へ結びついたことだ。
古い物証を保存し、別事件の情報と照合することが、長期未解決事件を動かす。
供述と公判での否認
鎌田は捜査段階で複数の犯行を認めたと報じられている。
遺体の捜索や事件の再構成は、その供述に沿って進んだ。
一方、公判では、殺害への関与を否定し、知人が殺した、遺体処理を手伝っただけだという趣旨の主張をした。
「一度自白したのだから犯人」とだけ考えることはできない。
日本の刑事裁判では、自白が任意になされたか、内容が客観的な証拠と一致するかを審理する。憲法三十八条と刑事訴訟法は、自白だけで有罪にできないという補強法則を置いている。
鎌田の裁判でも、供述だけでなく、指紋、被害者との接点、遺体や遺棄場所に関する知識、物証などが検討された。
裁判所は五人への犯行を認定した。
もとの資料が「覚えていない」「でたらめだ」という断片的な発言だけを並べると、法廷が供述の変化をどう評価したかが見えなくなる。
被告人が否認したという事実と、裁判所が証拠に基づいて有罪を認定したという事実は、同時に書く必要がある。
一審から最高裁まで
一審の大阪地方裁判所は、確定判決を挟む前半と後半について、それぞれ死刑を言い渡した。
女児をめぐる身代金目的誘拐など、一部の認定をめぐって検察側と弁護側の双方が争った。
大阪高等裁判所は二〇〇一年三月、女児事件の身代金目的を含めて認定し、死刑判断を維持した。
最高裁判所第二小法廷は二〇〇五年七月八日、上告を棄却した。
これにより、五人の女性を殺害した事件について死刑が確定した。
「二〇〇五年に死刑が確定した」という一行の前には、およそ十年の裁判がある。
事件数が多く、前半と後半で法律上の区切りがあり、被告人が犯行を否認したため、証拠と各事件の事実認定には時間がかかった。
死刑事件では、上告審も量刑がやむを得ないかを慎重に審理する。
被害者数だけで自動的に死刑が決まるわけではない。犯行の罪質、動機、態様、結果、遺族感情、社会的影響、前科、犯行後の情状などを総合して判断する。
この事件では、九年間に五人を殺害し、遺体を損壊、遺棄したことなどが極めて重大と評価された。
二〇一六年の死刑執行
死刑確定から約十一年後の二〇一六年三月二十五日、鎌田への死刑が執行された。
当時七十五歳だった。
法務大臣は臨時記者会見で、同日に鎌田安利と吉田純子の二人へ刑を執行したと発表した。
個々の死刑確定者をなぜその時期に選んだのかという質問には、判断に関わる事項として回答を控えた。
一般論として、関係記録を精査し、刑の執行停止や再審事由の有無などを検討した上で、執行命令を出すと説明している。
死刑執行をもって、事件の「その後」が完全に終わったと書くのは正確ではない。
刑の執行と、被害者遺族の生活、警察捜査の検証、死刑制度をめぐる議論は別である。
アムネスティ日本などは、同日の執行に反対する声明を出した。
重大な犯罪の責任をどう問うかと、国家が死刑を執行する制度をどう考えるかは、同じ答えになるとは限らない。
事件の残虐性を強調するだけで死刑制度の議論を終わらせず、被害者支援と刑罰のあり方をそれぞれ考える必要がある。
「普通の男の二面性」という説明
事件記事は、鎌田が普段は穏やかで、使い捨て箸の販売員として働いていたと紹介し、その裏に冷酷な殺人者の顔があったと書く。
「誰にでも二つの顔がある」という結びは、連続殺人の記事で繰り返される。
もとの資料はさらに、妻の不倫、家庭崩壊、貧困、社会的孤立が犯罪へ走らせた可能性を挙げる。
その説明には根拠が足りない。
経済的に困窮する人、家族関係に悩む人、転居を繰り返す人の圧倒的多数は、他人を殺害しない。
生活上の問題を犯行の背景として検討することはできる。しかし、それを原因と断定すれば、貧困や孤立そのものを危険人物の印にしてしまう。
裁判で認定されたのは、鎌田が選択し、実行した具体的な犯罪である。
家庭環境が人格を作り、人格が自動的に殺人へ向かったという一本道ではない。
酒を飲むと怒った、金に細かかった、腕力が強かったという周囲の回想も、逮捕後に犯人像を説明する材料として集められたものだ。
事件前に殺人を予告する決定的な兆候だったかのように読み替えない。
被害者に責任を移さない
鎌田が一部の被害者と飲食店で知り合ったことや、金銭をめぐって口論したことが事件紹介に書かれる。
その描き方によっては、「知らない男について行った」「金を求めた」から危険に遭ったように読める。
殺害の責任は犯人にある。
被害者がどこで働いていたか、酒を飲んでいたか、犯人から金銭を受け取る約束をしていたかは、殺されても仕方がない理由にならない。
特に女性被害者の事件では、職業や交友関係が詳しく暴かれ、犯人より長く検索結果へ残ることがある。
「夜の街の女性」「素行に問題があった」という分類は、捜査の遅れや社会の無関心を正当化する方向に働く。
子どもの被害だけを「無垢な犠牲」として特別扱いし、成人女性の被害を軽く見ることもできない。
五人は年齢や生活に関係なく、等しく殺される理由のない人々だった。
捜査が残した課題
事件は大阪府内だけで完結しなかった。
遺体が他府県で見つかれば、発見地の警察が事件を担当する。失踪届は居住地で出され、最後の目撃は別の警察署の管内ということもある。
身元不明遺体、行方不明者、遺留指紋、手紙、車両の記録を、組織と地域を越えて照合しなければならない。
警察庁指定事件は、関係する都道府県警察の捜査を調整し、情報を共有するための仕組みである。
平成十二年版警察白書も、広域犯罪の経験から、共同捜査、合同捜査、捜査情報を共有するシステムを整備してきた経緯を説明している。
鎌田の事件だけで制度全体が作られたわけではない。
それでも、別々に見えた事件をつなぐには、管轄を越えた情報共有が必要だという教訓を示す事件の一つである。
現在はDNA型、指紋、行方不明者情報、防犯カメラ映像などを照合する仕組みが進んでいる。
技術があっても、情報を登録し、保存し、適切に検索しなければ一致は見つからない。
一九九五年の指紋照合は、その基本をはっきり示している。
ネットで再び作られる「大阪リッパー」
死刑執行後、事件は動画、ポッドキャスト、まとめサイトで繰り返し紹介されている。
そこで好まれるのは、「普通のセールスマンの裏の顔」「九年間誰にも気づかれなかった殺人鬼」「大阪リッパー」という分かりやすい題である。
犯行場面は詳しくなり、被害者の人生は短くなる。
もとの資料にも、出生地を「大分県大津市」とする誤り、最初の事件より前の日付を二件目とする時系列の混乱、「難波区」という現在存在しない大阪市の行政区名などがある。
もっともらしい固有名詞が多いほど、誤りは見落とされやすい。
記事を転載し、別の文章生成や要約を通すたび、誤記が新しい資料のように増える。
出典のない「知られざるエピソード」「地元で残る噂」は特に注意が必要だ。
遺族や犯人の子どもの現在を推測することにも、事件理解のための必要性はない。
公表されていない生活を「消息不明」と書くのは、知らなくてよい個人情報を謎に変える行為である。
事件の後に残ったもの
鎌田安利は逮捕され、有罪となり、死刑を執行された。
刑事手続としては結論が出ている。
それでも、事件を読み直す意味はある。
一九八五年から九四年まで、五人が別々の場所と時に命を奪われた。途中で犯人が服役していたため犯行は止まり、出所後に再開した。
過去の手紙に残された指紋と、窃盗事件で逮捕された人物の指紋が一致し、長く離れていた事件がつながった。
確定裁判を挟んだため、前半と後半の罪は分けて扱われ、二つの死刑が言い渡された。最高裁は二〇〇五年に上告を棄却し、二〇一六年に刑が執行された。
ここまでが、資料でたどれる事件の輪郭である。
その外側に、「大阪リッパー」という異名、貧困が殺人者を作ったという説明、犯人が今も地域へ影を落としているという演出が重なる。
事件を厚く書くとは、刺激的な場面を増やすことではない。
名称、時系列、裁判、制度を確かめ、確認できない人物評を外すことである。
最後に残るのは犯人の伝説ではなく、九年間に失われた五人の命と、事件を結びつけるまでに要した時間の重さだ。
