白昼の商店街で始まった襲撃
1981年6月17日、東京都江東区森下二丁目の商店街で、通行人が次々に刃物で襲われた。
加害者は当時29歳の元すし職人の男だった。路上で女性と幼い子どもを襲い、さらに通行人へ刃物を向けた。最終的に、女性2人と幼児2人の計4人が死亡し、女性2人が重傷を負った。
男は近くの中華料理店へ入り、居合わせた女性を人質にして立てこもった。発生から約7時間後、人質が逃れた隙に警察が突入し、男を逮捕した。
事件は「深川通り魔殺人事件」と呼ばれる。深川は江東区西部の地域名で、現場の森下もその範囲にある。
逮捕時、男が下着と靴下だけの姿で、口に自傷防止用の器具を付けられて連行される映像がテレビで繰り返し流れた。その強い映像が事件の記憶を支配し、4人の被害者より加害者の外見が語られることも多い。
だが、事件の核心は奇妙な服装ではない。白昼の生活道路で、面識のない人々が突然襲われ、幼い兄弟を含む4人の命が奪われたことにある。
なぜ森下へ来たのか
男は青森県で生まれ、若いころから各地のすし店で働いていた。職場を転々とし、暴力事件などで服役した前歴もあった。
事件前、男は東京で再びすし職人として働こうとしたが、就職が決まらず、生活に行き詰まっていた。採用を断った店や、過去に自分を解雇した店へ恨みを向けたとされる。
事件当日、男は刃物を持って森下周辺へ来た。標的にしていたすし店関係者を直接襲ったのではなく、路上で出会った人々へ攻撃を向けた。
「通り魔」という呼び名は、被害者と加害者に面識がなく、通行できる場所で不特定の人が襲われる事件を表す。動機が完全に存在しないという意味ではない。
男には職業上の挫折、被害妄想、怒りがあった。しかし、襲われた人々はその原因ではない。自分を拒んだと感じる社会への恨みが、抵抗しにくい通行人へ置き換えられた。
動機を説明することは、犯行を正当化することではない。むしろ、加害者が作った理由と、被害者が選ばれた理由のなさを分けて見るために必要である。
覚醒剤と幻覚妄想
男は覚醒剤を使用しており、事件時の血液や尿から薬物反応が確認されたとされる。
立てこもり中には、「黒幕を出せ」「電波を送られている」といった趣旨の言葉を発し、誰かに狙われているという妄想や幻聴をうかがわせた。
刑事裁判では、犯行時に善悪を判断し、その判断に従って行動する能力がどの程度残っていたかが大きな争点になった。弁護側は心神喪失として無罪を主張し、検察側は能力が著しく低下した心神耗弱にとどまるとした。
精神鑑定は、男に元来の人格上の偏りがあり、就職失敗などによる心因性の妄想へ覚醒剤の影響が加わって、幻覚妄想状態にあったと評価した。その一方、行動を選ぶ能力が完全に失われていたとはしなかった。
1982年12月、東京地方裁判所は心神耗弱を認め、男に無期懲役を言い渡した。判決は確定した。
4人を殺害した事件で死刑にならなかったことから、現在まで量刑への強い批判がある。被害の重大さを考えれば、その感情は理解できる。
ただし、無期懲役は「病気だから責任なし」とした判決ではない。心神喪失なら刑法39条1項により罰しないことになるが、裁判所はそこまで能力を失っていないと判断した。責任能力はあるが著しく低下していたため、同条2項による必要的減軽を行ったのである。
自分で薬物を使ったのになぜ減軽されるのか
深川事件をめぐっては、「自分の意思で覚醒剤を使った者に心神耗弱を認めるのはおかしい」という疑問が繰り返されてきた。
刑法には、原因において自由な行為と呼ばれる考え方がある。正常な判断能力がある段階で、犯罪を実行するために自ら酩酊や薬物状態を作った場合、実行時に判断能力が失われていても責任を問うという理論である。
しかし、薬物を使ったすべての事件へ自動的に適用されるわけではない。薬物を使用した時点で、後の殺人を計画していたか。使用と犯罪の間にどのような意思の連続があったか。依存や慢性中毒による精神状態をどう評価するか。個別の証拠が必要になる。
社会安全研究財団の研究報告は、深川事件について、異常性格を基盤とする心因性妄想に覚醒剤の影響が加わった幻覚妄想状態で、心神耗弱が認められた事例として紹介している。
裁判所は、単に「薬物を使ったから軽くした」のではない。生来・後天の精神状態、犯行前後の行動、妄想、目的的な行為がどの程度可能だったかを鑑定し、完全責任能力と心神喪失の間にあると判断した。
その判断を妥当と見るかは別の問題である。被害者側から見れば、加害者が自ら使った薬物の影響で刑が減軽されることに納得しにくい。深川事件は、自己招致した精神状態と刑事責任の線引きを考える代表的な事例になった。
人質となった女性の七時間
死亡した4人だけでなく、重傷を負った人と、人質にされた女性にも長い被害が残った。
中華料理店での立てこもりは約7時間続いた。男は刃物を持ち、警察と対峙した。人質は、いつ自分が殺されるか分からない状態に置かれた。
人質が隙を見て逃げ出したことで、警察は突入の機会を得た。逮捕映像では、加害者を取り押さえる警察官と異様な姿ばかりが注目されるが、その直前まで一人の女性が恐怖の中にいたことは忘れられやすい。
生存者の被害は、死亡者数の外に置かれがちである。刃物による傷が治っても、商店街、足音、テレビ映像、同じ日付が記憶を呼び戻すことがある。事件報道を繰り返し放送することが、当事者へ新たな苦痛を与える場合もある。
深川事件を「4人死亡、2人重傷」と数えるだけでは、人質被害や目撃者、遺族、救助に当たった人々の時間が抜け落ちる。
祖父同士の因縁という後日談
この事件には、加害者の祖父が過去に森下で刺殺され、その犯人が最初に襲われた女性の祖父だった、という話がある。
さらに、男はその血縁関係を知らなかったのに、通行人の中から母子を選び、「殺せ」という声を聞いたと供述したため、祖父の怨念が孫の代に復讐したという怪談へ発展した。
結論から言えば、この因縁を裏づける信頼できる裁判記録、戸籍調査、同時代新聞の提示は確認できない。
男に幻聴や妄想があったことは精神鑑定で問題にされた。しかし、「殺せ」という声の存在と、被害女性の祖父の経歴は別の事実である。前者が本当に供述にあったとしても、後者の裏づけにはならない。
また、路上で最初に目についた人を襲う事件では、加害者が被害者を「狙いすました」ように見える。実際には、すれ違った人の年齢、距離、人数、加害者の視線、手にした刃物、攻撃のしやすさなどが選択へ影響する。後から系図を結び、必然だったように読むのは、偶然へ意味を与える典型的な方法である。
「人権保護のためオフレコになった」という説明も便利すぎる。資料が出てこない理由を秘密扱いで説明すれば、どんな話も反証できなくなる。秘密だったこと自体を示す一次資料が必要である。
怨念説が広がった理由
深川は江戸時代から寺社、運河、職人街の歴史を持つ。古い土地で起きた無差別殺人に、世代を越えた因縁という物語はよく似合ってしまう。
加えて、加害者は事件時に幻聴を訴えた。本人の内側で聞こえた声を、祖父の霊という外部の存在へ置き換えれば、理解しにくい犯行に筋が通ったように感じられる。
しかし、怨念説は被害者と加害者の関係を逆に結び直す。面識のない人が無差別に襲われた事件だったはずが、「祖先の因果を背負った家同士」という物語に変わる。被害女性は偶然巻き込まれたのではなく、何かを返された者のように扱われてしまう。
それは被害者に過去の責任を負わせる二次被害である。祖父が何をしたかという未確認情報によって、本人と幼い子どもが殺されたことへ意味を与えてはならない。
超常的な説明は、加害者の薬物使用、妄想、職業上の挫折、暴力前歴といった現実の危険要因から注意をそらす。説明できない怖さを残すより、怪談として分かりやすくする誘惑は強い。だからこそ、資料の有無を確かめる必要がある。
「狂気」という言葉で片づけない
逮捕映像と幻覚妄想から、男は「完全に狂っていた」と語られやすい。
だが、裁判所は判断能力が完全に失われていたとは認めなかった。刃物を準備し、場所を移動し、人質を取り、警察とのやり取りを続けた行動には、目的性が残っていた。
一方で、被害妄想と幻聴が犯行へ強く影響したことも否定されなかった。正常か異常かの二択ではなく、どの能力がどの程度損なわれていたかを法廷は問題にした。
精神障害のある人の大多数は暴力事件を起こさない。深川事件を根拠に、治療を受ける人全体を危険視するのは誤りである。男には薬物使用、過去の暴力、生活の破綻、支援からの離脱など複数の事情が重なっていた。
「狂人の凶行」と呼べば、事件は特殊な一人の中へ閉じる。すると、覚醒剤依存への治療、出所後の支援、暴力の兆候、就労と住居の不安定さ、周囲が介入する機会といった予防の論点が消える。
責任能力の議論は、病名を付けて責任をなくす作業ではない。刑罰を科す前提として、本人が行為の意味を理解し、抑制できたかを調べる手続である。
ドラマとノンフィクション
事件は佐木隆三のノンフィクション『深川通り魔殺人事件』で扱われ、1983年にはテレビドラマ化された。
作品は、加害者の生い立ち、職場、薬物、裁判までを追い、事件が起きるまでの経路を描いた。加害者役の強い演技もあり、現在も作品の印象から事件を知る人が多い。
ただし、映像作品は裁判記録そのものではない。会話、場面のつなぎ、人物の心理は構成されている。ドラマで描かれた出来事を、引用元を確かめず事実として使うことはできない。
加害者を中心に描く作品には、理解を助ける面と、加害者へ物語上の重心を与える面がある。被害者は事件の数分間だけ登場し、加害者の人生を説明するための転換点にされやすい。
作品を見た後ほど、判決、研究報告、同時代報道へ戻り、どこまでが確認された事実かを分けることが大切になる。
連行映像が作った事件の記憶
深川事件を知る人の多くが最初に思い出すのは、逮捕された男の姿だという。テレビは、下着と靴下だけの男が大勢の警察官に囲まれ、口をふさがれて連行される場面を繰り返した。
映像には、逮捕が完了したことを伝える報道上の価値があった。自傷や舌をかむことを防ぐ措置だったとされる器具も、身柄の安全確保という実務上の理由がある。
しかし、同じ数秒が何度も放送されると、異様な外見が事件そのものになっていく。加害者の顔と服装は記憶されても、亡くなった女性と子どもの暮らし、人質の七時間、商店街の住民が受けた衝撃は残りにくい。
映像の強さは、後日談の受け入れ方にも影響する。あれほど異様な人物なら、祖先の怨霊に操られていてもおかしくない、と視聴者が感じてしまう。実際には、画面が示すのは逮捕時の身体と警察措置だけで、犯行原因や家系を映してはいない。
事件報道を検証するときは、何が映っているかだけでなく、何が画面の外へ追いやられたかを見る必要がある。
刑の確定後を勝手に補わない
男には無期懲役が言い渡され、一審で確定したとされる。後年の記事には、すでに死亡した、病気で釈放された、今も特定の刑務所にいるといった話があるが、裏づけとなる公的発表はほとんど示されない。
受刑者の収容施設、健康状態、仮釈放審理は、一般にすべて公開される情報ではない。確認できない現在像を作っても、事件理解は深まらない。
無期刑には仮釈放制度があるが、一定期間が過ぎれば当然に出所するわけではない。反省、改善更生、再犯のおそれ、被害者感情などを踏まえて判断される。
「もう社会へ戻っているはずだ」「獄中で死んだはずだ」という推測は、どちらも根拠を欠く。確認できるのは、無期懲役判決が確定したところまでである。
事件から残る教訓
深川事件は、無差別殺傷、薬物依存、精神鑑定、死刑と無期懲役の境界、事件報道のあり方を一つの場に集めた。
4人が亡くなり、複数の人が傷つき、人質が長時間拘束された。加害者は心神耗弱と認定され、無期懲役が確定した。これが裁判で確認された骨格である。
被害者数だけを見て「4人なら必ず死刑」と考えることもできない。裁判所は、死亡した人数を非常に重く見る一方、犯行時の責任能力、計画性、動機、前科、犯行後の事情を合わせて刑を選ぶ。心神耗弱が成立した当時の刑法では、刑の減軽は裁判所の任意ではなく必要だった。
この法的説明は、4人の生命が軽く評価されたという意味ではない。どれほど重大な結果でも、国家が刑罰を科すには、被告が行為を理解し抑制できた程度を調べなければならない。被害感情と責任能力の判断は、同じ物差しの上で増減するものではない。
祖父同士の殺人と怨念という後日談は、その骨格を裏づける資料がない。幻聴があったことを、霊の声へ変える必要もない。
本当に考えるべき怖さは、因縁ではなく、生活が破綻し、薬物と妄想が重なり、刃物を持った一人が白昼の商店街へ出るまで、危険を止められなかったことにある。
そして、たまたまその道を歩いていた人が、加害者の事情とは無関係に命を奪われたことにある。被害者に前世や祖先の理由を付けず、偶然の被害として受け止めることが、事件を正しく記憶する出発点になる。
参照資料
- 社会安全研究財団『薬物犯罪と刑事責任』
- 佐木隆三『深川通り魔殺人事件』
- 東京地方裁判所1982年12月判決
