防犯カメラに残った白い車
2012年9月27日未明、島根県松江市で、飲食店に勤める26歳の女性が車ごと行方不明になった。
島根大学の三宅孝之教授が防犯カメラの運用を論じた『島大法学』の論文には、失踪直前の経過が記録されている。
女性は午前1時50分すぎ、勤務先がある松江市伊勢宮町の県道から国道9号方面へ、白いトヨタbBを運転していた。繁華街には商店組合が設置した防犯カメラ8基があり、本人とみられる姿が映っていた。同日夜、家族が捜索願を出した。
元の記事で語られる「男性客を知人宅まで送った後」という経過は、当時の報道で伝えられた内容である。車も女性も見つからず、警察は事件と事故の両面から捜索した。
同じ島根県では2009年、浜田市で女子大学生が行方不明となり、遺体の一部が発見される事件が起きていた。その事件は当時まだ解決しておらず、若い女性が夜間に消えたという共通点から、関連を心配する声が上がった。
しかし、似た時期に同じ県で起きたというだけでは、二つの事件を結ぶ証拠にならない。松江の失踪には、後にまったく別の結末が待っていた。
三年後、大橋川の川底から
2015年8月8日、松江市東津田町の大橋川で、沈んでいる乗用車を松江署員が確認した。
車のナンバーは、2012年から行方が分からなくなっていた女性の車と一致した。車内からは遺体が見つかり、身元確認が進められた。
島根大学の論文には、発見後の追記がある。女性の遺体が本人の乗用車内から見つかったこと、発見場所の近くは2014年10月上旬に重点捜索地域となり、ダイバーによる潜水捜索も行われていたことが記されている。
論文が参照した『山陰中央新報』2015年8月9日、10日付の記事によれば、警察は事件と事故の両面から調べたが、事件性を疑わせるものはなく、事故の可能性が高いとみられた。
元の記事には「2015年4月ごろ発見」とあるが、確認できる発見日は8月8日である。3年近く不明だった事実と、川底で車が見つかった事実が混ざり、日付がずれたと考えられる。
車が見つかったことで、第三者に連れ去られたという見方や、浜田市の事件との直接の関連は後退した。少なくとも、女性が自分の車とともに大橋川へ入ったことは確認された。
ただし、「事故の可能性が高い」と「事故のすべてが解明された」は同じではない。なぜその道へ向かったのか、どの地点から、どんな運転操作で川へ入ったのか。公開情報だけでは答えが見えない部分が残る。
なぜ三年間も見つからなかったのか
川底の車が長く発見されなかったことは、不審点としてよく挙げられる。
地上の道路を走る車なら、ナンバー、防犯カメラ、料金所、給油、目撃情報をたどれる。ところが、夜間に水中へ転落し、水面の痕跡が消えると、その追跡線は突然切れる。
川は止まった透明な水槽ではない。潮位や流量によって水深が変わり、濁り、泥、流木、藻が視界を遮る。大橋川は宍道湖と中海を結ぶ河川で、水位や流れは海や湖の影響も受ける。岸から車体が見えなくても不思議ではない。
発見場所の近くで前年に潜水捜索が行われていた点は、「一度探した場所から後で見つかった」という疑問を生む。ただ、潜水捜索は、地図上の範囲を一度なぞれば水底のすべてが見える作業ではない。
水中では数十センチ先しか見えない場合があり、捜索線のわずかなずれで車を見落とす。車体が泥へ沈み、表面に堆積物が付けば、人工物の輪郭も分かりにくくなる。水位が変わって初めて魚群探知機や目視で異物を確認できることもある。
前回の捜索で見つからなかった事実は、捜索の限界を示す。そこから直ちに、車が後から沈められた、警察が意図的に隠したという話へ進むことはできない。
行き止まりの道という印象
元の記事では、転落地点へ向かう道は地元の人しか使わない行き止まりで、勤務先や自宅からも外れているとされる。
現地を知る人の違和感は、捜査の手掛かりになりうる。普段の帰宅経路から大きく外れていたなら、なぜ方向を変えたのかを調べる価値がある。
しかし、「普通は通らない道」だけで事故を否定することはできない。
深夜の運転では、眠気、疲労、考え事、見落とし、道を間違えた後の方向転換、知人からの連絡、車内の落とし物、カーナビの案内など、小さな事情で経路が変わる。2012年当時の道路形状、標識、照明、工事状況と、現在の地図や街灯は一致しない可能性もある。
女性が飲食店の勤務を終えた後だったことから、飲酒運転を想像する記述もあるが、飲酒を裏づける公表資料は確認できない。遺体発見まで約3年が経過しており、死後の変化によって鑑定できる項目にも限界があったはずだ。
道路が不自然に見えることは疑問であって、犯罪の証拠ではない。
最後に送った相手は何を知っていたのか
女性は失踪前、知人男性を送ったと報じられた。その男性の詳しい証言が報道されていないため、「名乗り出なかった」「何かを隠している」という噂が生まれた。
報道に出ないことと、警察へ話していないことは別である。警察が事情聴取した内容を、捜査中にすべて公表する義務はない。事件への関与が認められない一般人の氏名や生活を報じれば、無関係な人が疑われる危険もある。
男性を送り届けた時刻と場所、女性の様子、車内に他の人物がいなかったか、別れた後に連絡があったかは、捜査で確認される基本事項である。だが、その結果が記事にならなかったからといって、聴取がなかったとは言えない。
後に女性と車が同時に川底から見つかり、車内や遺体に第三者の犯罪をうかがわせる事情が確認されなかったとすれば、最後に会った人物だけを犯人視する根拠はさらに弱くなる。
「最後の目撃者」は、必ずしも「最後まで一緒にいた者」ではない。知人の証言が公開されない空白へ、容疑を流し込まないことが大切である。
水没車から読み取れること
自動車の水中転落を調べる場合、車の位置と向き、岸の損傷、車体の傷、窓とドアの状態、変速機、エンジン、鍵、シートベルト、遺体の位置などが検討される。
川へ入る前に別の車と衝突したのか、岸から自走したのか、誰かが後から車を移動させたのかによって、残る痕跡は異なる。
もっとも、約3年の水没は証拠を大きく損なう。金属は腐食し、布や紙は崩れ、指紋や微量物質の多くは失われる。川の流れで車体や車内の物が動くこともある。
そのため、発見後の捜査で「事件性を疑わせるものはない」と判断されても、事故の瞬間を映像のように再現できたわけではない可能性がある。犯罪を示す積極的な証拠がないことと、すべての疑問へ肯定的な答えがあることは違う。
事故の蓋然性が高いという評価は、利用できる証拠の中で第三者関与を示すものが見つからなかったという意味で受け取るのが適切である。
車内から逃げられなかった理由
車が川へ落ちても、すぐドアを開けて脱出できるように思えるかもしれない。現実には、水没事故の初期は非常に危険である。
車体が水面へ着いた衝撃で方向感覚を失い、暗闇の中で水が流れ込む。車外の水位が上がると、内外の圧力差でドアは開けにくくなる。電装系が止まればパワーウインドーも動かない。
水が車内へ満ちて圧力が近づけばドアを開けられる場合があるが、冷たい水の中でその時を待ち、呼吸を確保し、落ち着いて操作するのは難しい。窓ガラスを割る道具がなければ、脱出の選択肢はさらに減る。
シートベルトを外す、窓を開ける、子どもを先に出すといった水没時の手順が広く知られるようになったのは、事故啓発の積み重ねによる。突然の転落で同じ行動を取れるとは限らない。
車内に遺体が残っていたことは、誰かが外から閉じ込めた証拠ではない。事故でも十分に起こりうる。
防犯カメラが残したもの、残せなかったもの
女性の失踪直前の姿は、伊勢宮町の防犯カメラに残った。映像は、少なくともその時刻まで本人が繁華街にいたこと、車の色や進行方向を確認する助けになった。
一方、カメラはその後の全経路をつなげられなかった。録画範囲の外へ出れば、映像上の足取りは途切れる。
事件後の2014年、島根県警は松江市の繁華街で、犯罪予防だけでなく、発生後の追跡や痕跡確保を目的とする街頭防犯カメラの運用を始めた。三宅論文は、松江の失踪が、県警によるカメラ設置を後押しした経緯を論じている。
カメラが増えれば、移動経路をつなげられる可能性は高まる。ただし、すべての道路や川岸を映すことはできず、保存期間にも限りがある。論文によれば、県警カメラの保存期間は当時7日から14日だった。
監視映像は万能の証人ではない。映っている範囲には強いが、映っていない場所で何が起きたかを説明できない。その限界と、プライバシーへの影響を両方考える必要がある。
2014年の潜水捜索と2015年の発見
発見地点の近くでは、2014年10月にダイバーが重点的な潜水捜索をしていた。それでも、車は翌年8月まで確認されなかった。
この前後関係から、「捜索後に誰かが車を沈めた」という説が生まれた。だが、それを成り立たせるには、女性の遺体と車を約3年間どこかへ隠し、捜索が終わった後に人目につかず大橋川へ運んだ証拠が必要になる。
長期間保管した車なら、陸上で進んだ腐食と水中で進んだ腐食に差が出る。タイヤ、車内の堆積物、水生生物の付着、遺体の死後変化も、沈んだ時期を検討する材料になる。警察が事件性を疑わせるものはないとしたことは、そのような遅い遺棄を示す積極的な痕跡が確認されなかったことと整合する。
一度の潜水で見つからなかったことは残念な事実だが、後から沈められた証明ではない。水中捜索の網目と視界には限界があり、同じ範囲を別の水位、別の機材で調べて初めて見つかる場合がある。
失踪が地域の制度を変えた
失踪当時、繁華街には民間の防犯カメラが8基あった。映像は女性の姿を記録したが、車が川へ向かうまでの経路を連続して追うことはできなかった。
2014年、島根県警は繁華街へ街頭防犯カメラシステムを導入した。目的には犯罪の予防だけでなく、発生後の追跡と証拠確保が明記された。
一件の失踪が、カメラ増設の根拠になったのである。安全を求める市民感情には応える一方、公共空間を通る多数の人が常時記録されるという問題も生む。
カメラがあれば必ず人を救えるわけではない。撮影範囲、画質、保存期間、検索の開始時期がそろわなければ、映像は途切れる。それでも、途切れる地点を遠ざけ、車両の移動を早く絞る役割はある。
女性の失踪は、事故の記録であると同時に、地方都市の監視制度が拡大した経緯にも残っている。
大橋の人柱伝説は事故と関係するのか
松江市の橋には、人柱にまつわる伝説がある。大橋川に架かる松江大橋では、架橋工事が難航し、人柱が立てられたという話が語り継がれてきた。
この伝承が、女性の車が大橋川から見つかった事実と結びつけられ、「橋に呼ばれた」「人柱の祟り」という怪談になった。
しかし、地名と水域が共通するだけで、伝承が交通事故を起こした証拠にはならない。松江大橋そのものから転落したと確認されたわけでもなく、車が見つかったのは東津田町付近である。
人柱伝説は、昔の土木工事の危険、川の氾濫、橋への畏れを伝える文化資料として読むべきものだ。現代の死亡事故へ貼りつければ、捜査で検討された道路、車両、水中環境が見えなくなる。
亡くなった女性を怪談の登場人物にすることにも慎重でなければならない。本人が心霊現象と関係した証拠はなく、遺族にとっては三年近く捜し続けた家族である。
不明の部分を犯罪へ変えない
この出来事には、確かめられたことと、残った疑問がある。
女性は2012年9月27日未明、自分の車で繁華街を出た。家族が捜索願を出した。2015年8月8日、大橋川の川底から車と遺体が見つかった。警察は事件と事故の両面で調べ、第三者の犯罪を疑わせる事情はなく、事故の可能性が高いとみた。
失踪直後に車の位置を特定できる情報があれば、結末は違った可能性がある。現在は車載通信、スマートフォン、道路カメラ、ドライブレコーダーが移動経路の手掛かりになる。しかし、記録が自動的に長期保存されるわけではない。行方不明者が車で移動している場合、車種、色、ナンバー、最後の時刻と進行方向を早く整理し、保存期限内に映像を確保することが重要になる。
同時に、一般の人が独自に追跡し、無関係な車の画像を公開するのは避けなければならない。誤情報が増えれば、本当に必要な目撃が埋もれる。捜索情報は捜査機関へ集約して初めて、時系列として照合できる。
なぜ川岸へ向かったか、転落直前に何があったかは、公表資料では分からない。分からないからこそ、最後に会った知人や勤務先の関係者を根拠なく疑うべきではない。
「不自然に感じる」という感覚は、調査を始める理由になる。だが、調査の結果より感覚を優先すれば、どんな事故も事件に見えてしまう。
三年近い失踪の後に水中から車が見つかったという事実は、十分に重い。人柱、連続殺人、口止めといった要素を足さなくても、夜間の水没事故がどれほど発見されにくく、原因の解明が難しいかを物語っている。
参照資料
- 三宅孝之「監視・防犯カメラと犯罪予防」『島大法学』第59巻第1号
- 『山陰中央新報』2015年8月9日・10日付記事(上記論文追記による)
