折り返せない道 第3話 増えた時刻

連作怪談「折り返せない道」第3話。

翌週は昼前に峠の麓に着いた。

今回は最初から旧道に入るつもりで来た。昼間だから大丈夫だという根拠はなかったが、夜よりはましだという判断だ。

カブを入口の脇に止めて、エンジンを切った。

A4の紙が、旧道の入口に貼り付けてあった。支柱の錆びた金属板、もともと何かの標識がついていたらしい台に、セロハンテープで貼り付けられている。

近づいてみると、手書きの文字だった。

「ここより先に入らないでください 集落の者より」

印刷ではない。ボールペンで書いた文字で、丁寧だが線が細く、書いた人間の年齢が出ているような字だ。日付はない。いつ貼られたのかわからない。

集落の者、というのが引っかかった。昭和三十九年に全戸が移転した集落に、今も「集落の者」がいるのかどうか。麓に降りてきた人々がそう名乗っているのか、あるいは別の意味があるのか。

電話番号もなく、それ以上の説明もない。

私はその紙を写真に収めて、旧道に入った。

昼間の旧道は、夜とは違う顔をしていた。

ヘッドライトで見ていた時は、光が届く範囲だけが世界だった。昼に来ると、道の全体が見える。左の法面に苔が張り付いている。右の木の柵はかなり腐食していて、触れれば崩れそうだ。路面の端は草が中央まで伸びていて、アスファルトというよりほとんど獣道に近い。

ただ日が当たらない。

谷間の道だから当然かもしれないが、稜線が高くて空が細い。木の枝が両側から覆いかぶさっていて、青空が見えるのは頭上の一筋だけだ。

湿度が高い。葉の裏から落ちてくる水滴が、断続的にヘルメットのシールドを叩く。

道に入って三分ほど歩いたところで、バス停があった。

コンクリートの支柱と小さな屋根だけが残っている。ベンチは朽ちて原形をとどめていない。支柱に案内板がついていて、ガラスの内側に路線図と時刻表が入っている。

案内板のガラスは曇っていたが、内側が見えた。

路線図は色が褪せて判読できない部分が多い。時刻表は二枚入っている。

二枚、というのが気になった。

上の一枚は路線図と同じ紙で、印刷の色合いも同じく古い。縦に時刻が並んでいる。下の一枚は、上とは明らかに紙の色が違う。白くて、新しい。

私はガラスに顔を近づけた。

上の時刻表には、行き先が印刷されていた。「久重行」とある。久重というのが、廃集落の名前だろう。

下の一枚には、行き先が手書きで書いてあった。

「終点行」

時刻は一つだけ。

「二時十三分」

バスが廃止されたのは昭和四十年代のはずだ。上の時刻表の一番早い便が午前六時台で、最終が午後六時前だった。深夜二時台の便は、存在しない。

写真を撮った。

シャッターを切ったとき、かすかに背後で音がした。

枝が折れるような、乾いた音だった。

振り向いたが何もない。道の両側に木が続いているだけだ。風もない。

もう一度前を向くと、道が緩くのぼっていく先の、木と木の間の暗い切れ目に、何かが見えた気がした。

立っているものの形。

目を凝らした。

何もない。木の幹が重なって人の形に見えただけかもしれない。

腰を伸ばして、来た方向へ歩き始めた。

足を踏み出すたびに、後ろから音がするような気がした。枯れ葉を踏む音、水が染み出した路面を踏む音。自分の足音のはずが、一歩だけずれているような気がして、一度立ち止まった。

静かだった。

稜線を渡る風の音だけが聞こえる。

入口まで戻って、カブにまたがった。エンジンをかけて、ミラーを確認した。

旧道の奥は見えない。

スマホを取り出して、撮った写真を確認した。バス停の案内板の写真を開いた。

手書きの紙が映っている。「終点行」「二時十三分」という文字も読める。

もう一枚、手前から旧道全体を撮った写真を開いた。

道の奥に、人の形をしたものが写っていた。

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