「素晴らしいものが見えます」――バレー・オブ・ザ・キングスの運命の一夜
1922年11月4日、エジプト・ルクソール西岸、王家の谷。すでに5シーズンにわたる発掘で成果を出せず、資金提供者のカーナーヴォン卿からも「今シーズンで最後」という最後通牒めいた言葉を受け取っていた考古学者ハワード・カーターは、それまで調査していたラムセス6世墓の前で、作業員の少年が偶然掘り当てた石段を見つける。地面を掘り下げると、封泥の残る扉が現れた。封印にはネクロポリスの守護神アヌビスと九人の捕虜の紋章が押されていた――王墓特有の印である。カーターはすぐさま作業を止めさせ、埋め戻しを命じてイギリスにいたカーナーヴォン卿に電報を打った。「ついに王家の谷にて驚くべき発見。素晴らしき墓を発見せり。閣下の到着まで埋め戻し完了。
祝着に存じます」。 3週間後の11月23日、カーナーヴォン卿と娘のエヴリン・ハーバートがルクソールに到着。11月26日、カーター、カーナーヴォン卿、エヴリン、そして助手アーサー・キャレンダーの4人は、階段の下にあった二枚目の封印扉に小さな穴を開けた。カーターがろうそくを差し入れ、隙間から中をのぞき込む。しばらく沈黙が続いたあと、待ちきれなくなったカーナーヴォン卿が「何か見えるか」と尋ねると、カーターはこう答えたとされる。「はい、素晴らしいものが見えます(Yes, wonderful things)」。ろうそくの炎に照らされて浮かび上がったのは、黄金の玉座、動物の彫像、宝石箱、そして山と積まれた副葬品の山だった。
3300年以上のあいだ、盗掘をほぼ免れた少年王ツタンカーメンの墓――考古学史上最大級の発見の瞬間である。
カーナーヴォン卿、蚊の一刺しから死へ
発見からおよそ4か月後の1923年3月、カーナーヴォン卿はカイロのホテルで髭を剃っている最中に頬の蚊刺された跡をカミソリで切ってしまう。当時57歳、もともと1901年の自動車事故で肺を痛め、体質的に虚弱だったカーナーヴォン卿の傷はみるみる悪化し、丹毒(連鎖球菌感染)から敗血症、さらに肺炎を併発した。妻レディ・アルミナが看病のためカイロに駆けつけ、一時は容体が持ち直したかに見えたが、4月5日未明、カイロのホテル・コンチネンタルで息を引き取った。享年57、当時のイギリス人男性の平均寿命とほぼ同じ年齢だった。 この死の周辺には、のちに尾ひれがつく形で複数の「怪奇エピソード」が付随する。
もっとも有名なのが、卿の臨終の瞬間にカイロ市内が停電し、街の明かりが一斉に消えたという逸話だ。実際に記録として確認できるのは「病院内の照明が一時的に落ちた」程度の出来事で、当時のカイロでは予告なしの停電自体が珍しくなかったにもかかわらず、この一件は数週間のうちに「街全体が闇に包まれた」という劇的な物語へと膨張していった。もう一つの名物エピソードが、イギリス・ハイクレア城に残されていた卿の愛犬「スーシー」が、卿の死の瞬間に遠吠えをあげて息絶えたというものだ。だが冷静に考えれば、エジプトとイギリスには時差があり、「同時刻」を厳密に語ること自体に無理がある。
さらに追い打ちをかけるように、卿の死の直後、カイロは大規模な停電に見舞われ、また彼の飼っていたカナリアが発掘直後に蛇(コブラ)に飲み込まれていたという話まで浮上した。実際にはこのカナリア事件は発掘当日ではなく1か月以上あとの12月中旬の出来事であり、時系列そのものが後から都合よく編集されていたことがわかっている。それでも「ファラオの守護神たるコブラが、侵入者の象徴であるカナリアを食い殺した」という寓話的な構図は、あまりにも出来すぎていたためにまたたく間に世界中の新聞を駆けめぐった。
「触れし者に死の翼が」――存在しなかった呪いの銘文
多くの人が信じている決定的な誤解がある。それは「墓の入口に呪いの言葉が刻まれていた」というものだ。実際には、ツタンカーメンの墓の入口にも副葬品にも、考古学的に確認された呪いの銘文は一切存在しない。カーター自身も生涯にわたってこの伝説を明確に否定し、呪いを指して「たわごと(tommy-rot)」と切り捨てている。 では、なぜあの有名な文句――「偉大なるファラオの眠りを妨げし者に、死はその素早き翼をもって襲いかかるであろう」――が広く流布したのか。これは、古代エジプトの葬送文書『死者の書』に実在する呪文表現の一部を、当時の新聞記者たちが強引に意訳・誇張して「墓の警告文」であるかのように報じたことに端を発する創作的誤訳だとされている。
決め手となったのが、大衆小説家マリー・コレッリが1923年にニューヨーク・ワールド紙へ寄せた投書だ。彼女は「古代エジプトの墓を暴いた者には災いが下るという伝承がある」という趣旨の主張を展開し、これが「呪いの実在」を裏付ける権威ある発言であるかのように扱われ、報道の火に油を注いだ。加えて、発見報道の独占契約をロンドン・タイムズ紙が握っていたため、締め出された他紙の記者たちは正規の情報にアクセスできず、代わりに降霊術師やオカルト作家など「あらゆる専門家」にコメントを求めるようになった。その結果、事実確認を欠いたまま「呪い」というキャッチーな物語が独り歩きしていったのである。
探偵作家が語った「エレメンタル」説とマスコミの狂騒
呪い報道に決定的な権威を与えてしまった人物として必ず名前が挙がるのが、名探偵シャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルである。熱心な心霊主義者だったドイルは、カーナーヴォン卿の死について「古代エジプトの神官が墓を守るために作り出した『エレメンタル』(精霊的な守護存在)による報復の可能性がある」と公然と発言した。世界的ベストセラー作家の発言だけに影響力は絶大で、デイリー・メールをはじめとする大衆紙は連日「ファラオの復讐」「呪いの犠牲者、またひとり」といった見出しを打ち続けた。それまで学術的な発見報道だった「ツタンカーメン」という固有名詞は、こうして一気にオカルト・ホラーのアイコンへと変貌していく。
「犠牲者リスト」の顔ぶれとバリエーション
呪いの物語を語るうえで欠かせないのが、次々と挙げられていった「犠牲者」たちの顔ぶれである。ただしこのリストは語られる媒体によって人数も顔ぶれも微妙に異なる「バリエーション豊かな伝説」であることも押さえておきたい。 代表的な顔ぶれとしてまず挙がるのが、発掘チームの秘書だったリチャード・ベセルだ。1929年11月、ロンドンの高級クラブのベッドで窒息死しているのが発見され、しかもその数か月後、悲嘆に暮れた父親のベセル卿が「これ以上の恐怖には耐えられない」という趣旨の言葉を残して投身自殺したと伝えられ、この親子二代にわたる悲劇が呪い伝説に凄みを与えた。発掘資金提供者一族からはカーナーヴォン卿の異母兄オーブレー・ハーバートも名を連ねる。
もともと目に障害を抱えていたオーブレーは視力回復を目指して全ての歯を抜くという当時の民間療法的な処置を受け、その術後の敗血症によってカーナーヴォン卿の死からわずか5か月後に世を去った。副葬品の記録・保存作業を担った考古学者アーサー・メイスは、1928年に胸膜炎と肺炎で死亡。当時から「墓室内の有害物質を吸い込んだのではないか」と噂された人物のひとりである。実業家ジョージ・ジェイ・グールドは1923年に墓を見学した直後高熱を発し、数か月のうちに肺炎で死亡した。
ミイラのX線撮影を担当した放射線技師サー・アーチボルド・ダグラス・リードは、撮影からわずか数日後に原因不明の急病で倒れて死亡し、後年「彼こそ職業被曝による皮膚がんの犠牲者だったのでは」という医学的な再解釈もなされている。考古学者ヒュー・エヴリン=ホワイトは「呪いの力に屈した」という自筆のメモを残して自ら命を断ったとされ、これもまた呪い伝説の”決定的物証”として繰り返し引用される逸話だ。米国人考古学者アーロン・エンバーは晩餐会の直後に自宅が全焼するという凄惨な火災に見舞われ、家族を失っている。さらにリストには、カーターからミイラの手で作られた奇妙な文鎮を贈られたイギリス人編集者サー・ブルース・イングハムの名も挙がる。
彼自身は呪いで死んだわけではないが、直後に自宅が火災に遭い、さらに洪水にも見舞われたという「不運の連鎖」ゆえに定番のリストに組み込まれている。もっとも扇情的なバリエーションでは、エジプトの富豪アリ・カメル・ファフミー・ベイの名前まで加えられることがある。彼は1923年7月、ロンドンのサヴォイ・ホテルで妻マルグリット(愛人関係のもつれからの発砲事件で無罪となったことでも有名)に射殺されているが、ツタンカーメンの発掘とは直接の関係がなく、この人物の混入は「死に方さえ劇的であれば誰でも呪いの犠牲者にカウントしてしまう」という報道側の姿勢を象徴する好例としてしばしば指摘される。
こうしたリストには、地域やメディアによって「9人版」「22人版」「26人版」など数え方の異なるバリエーションが存在し、共通しているのは「本当に発掘の中心にいた人物ほど長生きしている」という皮肉な事実がしばしば抜け落ちている点だ。発掘の陣頭指揮を執ったハワード・カーター本人は、開封から16年以上生きた1939年、64歳でリンパ腫により死去している。当時のイギリス人男性の平均余命を考えれば、これはむしろ「天寿を全うした」部類に入る。また最初に埋葬室へ足を踏み入れた一人であるカーナーヴォン卿の娘エヴリン・ハーバートも、その後57年も生き、1980年に79歳で世を去った。
現場を知る者たちの怪談 ― カナリア・コブラ・盲目の予言者
発掘関係者の周辺には、統計や史料検証だけでは説明しきれない「体験談」めいた怪異エピソードもいくつも語り継がれている。もっとも有名なのが前述のカナリアの一件だ。カーターが1922年に発掘基地でカナリアを飼い始めた直後、王家の谷の作業員たちのあいだで「新しい鳥が来た日に、ついに黄金の墓が見つかった」と噂になった。ところが数週間後、そのカナリアがコブラに丸呑みにされて死んでいるのが発見される。古代エジプトにおいてコブラ(ウラエウス)はファラオの守護を象徴する聖なる蛇であり、地元の作業員たちのあいだでは「カナリアはカーター自身の化身であり、ファラオの守護霊に飲み込まれた予兆だ」とまことしやかに語られた。
米国人エジプト学者ジェームズ・ヘンリー・ブレステッドも、まさにこのカナリア事件を自ら目撃した関係者のひとりとして名前が挙がっている。彼自身は1935年まで存命だったが、後年に発掘の思い出を語る際、この出来事を「不吉な予兆だった」と振り返っていたと伝えられている。 もう一つ興味深いのが、発掘現場の作業員たちのあいだで語られていた「盲目の予言者」の逸話だ。カーナーヴォン卿一行がルクソールに到着する前後、地元では「王の眠りを妨げる者には死が訪れる」という予言があったとする話が土産物商や案内人のあいだで語られており、これが観光客向けの怪談として定着し、のちに新聞記者たちの取材ネタとして「現地の伝承」という体裁で欧米に輸出されたとも言われる。
数字が語る「呪いなど存在しない」――統計と科学の反撃
呪い伝説に対する最初期の本格的な反証は、意外にも発見からそう遠くない時代に行われている。エジプト学者ハーバート・E・ウィンロックが行った調査によれば、埋葬室の開封に立ち会った26人のうちで10年以内に死亡したのはわずか6人、石棺の開封に立ち会った22人のうち10年以内の死者は2人、そしてミイラそのものの開封に立ち会った10人にいたっては、10年以内の死者はゼロだった。
さらに時代が下って2002年、イギリス医学雑誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に発表された研究では、墓の開封に立ち会った「呪いに曝された」とされる西洋人グループと、同時期にエジプトに滞在していたが墓には関わらなかった対照グループの平均寿命を比較したところ、両者のあいだに統計的に有意な差は見られなかったと結論づけられている。 一方で、完全にオカルトを退けるだけでは説明のつかない部分に着目する科学的仮説も存在する。
ひとつは医学誌ランセットに掲載された研究で、閉ざされた墓室内で数千年にわたって繁殖していた可能性のある真菌「アスペルギルス・フラーバス」の胞子をカーナーヴォン卿が吸い込み、もともと肺が弱かった体質と相まって感染症を誘発したのではないかとする説だ。アスペルギルスの胞子は感染した肺の中で長期間潜伏する性質があるとされ、初訪問から数か月後に卿の目や鼻腔に炎症が生じていたという記録とも符合するという指摘がある。ただし専門家の多くは、これはあくまで複合的な要因のひとつに過ぎず、確定的な証拠ではないと慎重な立場を取っている。もう一つの仮説が放射線説だ。
ミイラの科学的調査のためにX線撮影が行われた際、当時はまだ放射線防護の知識が未成熟だったため、撮影に関わった技師の一部が長期的な被曝の影響で皮膚がんなどを発症した可能性が指摘されている。実際に放射線技師サー・アーチボルド・ダグラス・リードの急死は、こうした職業被曝の文脈で再評価されることがある。つまり「呪い」として語られた死のいくつかは、超自然現象ではなく、当時の衛生・防護基準の甘さがもたらした、きわめて現実的な労働災害だった可能性があるということだ。
考察界隈・オカルト言説の中の呪い
現代のオカルト系掲示板やSNSでも、ツタンカーメンの呪いは定番ネタとして繰り返し話題になる。「統計的には否定されているのに、なぜカーナーヴォン卿だけあれほど劇的な死に方をしたのか」「アスペルギルス説と放射線説、結局どちらが正しいのか」といった科学vsオカルトの構図での議論は、都市伝説系まとめサイトやYouTubeの考察系チャンネルでも繰り返し取り上げられる鉄板テーマだ。一部の考察勢は「呪いという言葉自体は捏造でも、閉鎖空間の墓室に何千年も蓄積した未知の病原体という”現実の脅威”こそが本当の恐怖だ」という、オカルトと科学のハイブリッドな解釈を好む傾向がある。
他方で懐疑派は「マスコミが煽った古典的なフェイクニュース事件の元祖」として、現代の陰謀論やデマ拡散のメカニズムを考える上での教材のようにこの事件を引用することも多い。いずれにせよ、100年前の出来事でありながら「本当に呪いだったのか、それとも真菌か放射線か」という議論の熱量が今なお衰えていないこと自体が、この物語の持つ強靭な生命力を物語っている。
スクリーンの中で生き続ける呪い
ツタンカーメンの呪い報道が過熱した直後の1932年、ユニバーサル・スタジオはボリス・カーロフ主演の映画『ミイラ再生』を公開する。古代エジプトの神官がミイラとして甦り、かつての恋人の生まれ変わりを追い求めるという物語は、まさにツタンカーメン報道の記憶が生々しいタイミングで世に出され、大ヒットを記録した。以後、ハリウッドの「ミイラ映画」というジャンルはほぼ一貫してこの呪い伝説をモチーフにし続けており、1999年の『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』シリーズ、2017年のトム・クルーズ主演リブート版『ザ・マミー』、さらに近年のホラー路線回帰作にいたるまで、「暴かれた古代の墓が現代人に牙をむく」という基本構造は一貫して受け継がれている。
日本でも昭和期からオカルトブームの定番ネタとして雑誌や書籍で繰り返し紹介され、「ツタンカーメンの呪い」という言葉自体が、実話・創作の境界があいまいなまま一種の共有知として定着した。学術的な考古学ニュースが、100年かけてホラー映画の王道モチーフにまで昇華した例として、これほど分かりやすいケースは他になかなか見当たらない。
この話が百年経っても色褪せないのは、「事実」と「物語」がちょうどいい配分で混ざり合っているからだろう。蚊に刺された傷から始まる敗血症という、あまりにも人間くさい死因。そこに新聞記者たちが後付けした停電、遠吠える犬、コブラに食われたカナリア――どれも検証すれば怪しいのに、組み合わさると出来すぎた運命の物語に見えてしまう。
BMJの統計研究がどれだけ「呪いなど存在しない」と示しても、人はカーナーヴォン卿の劇的な最期のほうを覚えていたい生き物だ。SNS時代の今、この構造はむしろデマや都市伝説の拡散メカニズムそのものとして再評価されることも増えている。真菌か、放射線か、それとも本当に何かが眠りを妨げられて怒ったのか――答えの出ない問いであり続けること自体が、この呪いの一番の呪力なのかもしれない。
