節分の夜、日本中の家が「鬼は外、福は内」と豆をまく。だがこの国には、正反対に「鬼は内」と唱える人々がいる。自分たちこそ鬼の末裔であり、追い払われる鬼こそ我らの祖先だと信じ、千三百年ものあいだ鬼の血脈を守り継いできた家が、実在するのだ。伝説の中の話ではない。奈良の山深くに、鬼の子孫を名乗る当主が、今なお暮らしている。
前鬼・後鬼――役行者に従った夫婦の鬼
物語は、修験道の開祖・役小角(えんのおづの、役行者)の時代にさかのぼる。伝承によれば、かつて人々を苦しめていた二匹の鬼、赤鬼の前鬼(ぜんき)と青鬼の後鬼(ごき)が、役行者によって捕らえられ、調伏された。改心した二匹は行者の弟子となり、前鬼は義覚、後鬼は義玄という名を与えられたとも伝わる。前鬼は鉄斧を手に行者の前を進んで道を切り開き、後鬼は水瓶を携えて従った。この夫婦の鬼こそ、鬼の子孫伝説の祖である。
五鬼助家――六十一代続く鬼の末裔
前鬼・後鬼には五人の子があったと伝えられ、その子らが五つの家、いわゆる「五鬼」を興したという。行者坊(五鬼継)、森本坊(五鬼熊)、中之坊(五鬼上)、小仲坊(五鬼助)、不動坊(五鬼童)――いずれも「五鬼」を姓に冠する。伝承では、彼らは奈良県吉野郡下北山村の前鬼という地に住みつき、大峰山で修行する修験者たちのために宿坊を営み、山を守り続けてきた。五家のうち多くは時代とともに絶え、あるいは山を下りたが、小仲坊を継ぐ五鬼助(ごきじょ)家だけは今も残る。近年伝えられるところでは、当主の五鬼助義之氏が六十一代目にあたるという。千三百年、六十代を超えて、鬼を祖とする家が血脈を絶やさずにきたのである。
「鬼は内」と唱える人々
鬼を祖先とする以上、彼らにとって節分の「鬼は外」は、自らの祖先を追い払う呪いの言葉にほかならない。だからこそ鬼の子孫を名乗る家や、鬼にゆかりの深い土地では、「福は内、鬼は内」「鬼は内、福は内」と唱え、鬼を家に招き入れる。追われる者を迎え入れるこの逆転の作法は、鬼を悪と決めつけてきた私たちの常識を静かに揺さぶる。
岩手――「鬼死骸」という地名が残る土地
鬼の伝説が土地の名として刻まれた例もある。岩手の県名の由来には、悪さをした鬼が二度と来ないと誓い、その証に岩に手形を押したという伝説が語られる。手形を押した岩――岩手である。さらに県内には、討たれた鬼の亡骸が埋められたと伝わる「鬼死骸(おにしがい)」という地名が近代まで実在した。鬼を退治した英雄の物語の裏で、殺された鬼の骸を悼み、地名として残し続けた人々がいた。鬼は、常に討たれるだけの怪物ではなかったのだ。
鬼とは何者だったのか
民俗学では、鬼はしばしば、まつろわぬ民、山に生きた異形の人々、あるいは中央の支配に抗った土着の集団の記憶が投影された存在だと考えられている。里の視点からは恐ろしい怪物でも、山の側から見れば、それは自分たちの祖先であり、共同体そのものだった。鬼の子孫を名乗る家が現に存在し、鬼の骸を悼む地名が残るという事実は、「鬼」という言葉が、勝者によって「敗者」に貼られた烙印であった可能性を、静かに指し示している。
