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怖い風習・怖い迷信

オカルト総合資料館

怖い風習・怖い迷信

各地の風習や禁忌が、いつ、どのように語られてきたのかをたどります。

273件の記事を収録しています。

「投げ込み寺」は作り話の寺名じゃない。この俗称は、身寄りのない遊女、宿場で働いた女性、行き倒れた人、災害の犠牲者などを葬った寺院に付いた。ただ、その言葉だけを聞いて「遺体をいつも穴へ放り投げ、読経も戒名もなかった」と一律に想像すると、記録から離れてしまう。 浄閑寺と成覚寺は、この呼称と結び付けられてきた。二寺とも東京に現存する。板橋宿の文殊院にも、飯盛旅籠に

何が語られているか この話では、雪女、弥三郎婆、動植物による降雪予測、新潟県十日町の婿投げなどを「雪国の怖い風習」として一括する。雪の夜に子を連れ去る存在、子を抱く試練、禁忌を守れば助かり破れば凍死するという筋が中心である。 記録と照らす 国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースには、上毛地方の採集例として、雪の晩に雪女が現れ、寝ない子をもらうと

旧家の一室に、閉じ込められた家族がいたという話 この話が扱うのは「座敷牢」だ。精神疾患や問題行動のある家族を、旧家の一室へ閉じ込めた部屋を指す。それを明治から昭和初期の全国的な風習として紹介する。岩手・秋田・山梨・島根などの旧家で、死者の泣き声や怨念が残ったという話も列挙する。どの話も舞台は古い家の奥まった一室で、外から錠を下ろした部屋と、そこへ押し込められ

何が語られているか この話では「婿殺し」を、婿入りした男性を妻の家族が労働力として酷使し、過労死・自殺へ追い込んだ農村の風習と説明する。岩手・秋田・山梨・長野・熊本・鹿児島に分布し、『越後風土記』にも事例があるとする。 記録と照らす 「婿殺し」「婿殺し風習」「越後風土記婿」などの完全一致・関連検索を、一般検索、国立国会図書館、研究論文データベースの範囲で行っ

「媢嫉」は古い語だが、固有の呪術名ではない 「媢嫉の呪い」という名前を聞いたことがあるだろうか。嫉妬した女性が妊婦や乳幼児へ害を及ぼす、日本の農村風習だった、と説明されることがある。 ところが、採集地も伝承者も採集年代も、文献名と該当頁を備えた民俗資料も確認できない。2026年7月時点では、実在した全国的な風習や特定地域の儀礼として紹介できる段階にない。 先

火葬場の炉の前で、骨上げが始まる。白く乾いた骨を二人一組の箸で拾い、骨壺へ納めていく。ふだんの食事では嫌われる箸渡しが、この場だけは作法になる。静かな時間。話し声も、ほとんど聞こえない。その骨の一片を、口に入れて噛んだ人たちがいた。冗談

何が語られているか 村の決まりに背いた家を、共同作業からも付き合いからもまとめて締め出す。手を貸すのは火事と葬式の二つだけ。それが村八分と呼ばれる制裁で、昔から社会的な死そのものとして語られてきた。この話に出てくるのは孤立であり、自殺であり、残された怨念だ。現代のネット上の排斥と重ねて語られることも多い。 記録と照らす 村八分は民俗語としても、法的な事件とし

島根県の松江を流れる大橋川に、松江大橋という橋が架かっている。南のたもとには源助公園という小さな公園があり、園内に並ぶ2つの石碑には、足軽の源助と技師の深田清の名が刻まれている。2人のあいだには300年以上の開きがある。それでも並んでい

何が語られているか この話では、「髑髏念誦」が山間農村で行われたとする。人骨の頭蓋を祭壇に置き、夜ごと念仏・真言を唱えて死者の霊力や予言を得る儀礼だ。失敗すると頭蓋が笑う、声を発する、祟るという怪談を伴う。 記録と照らす 「髑髏念誦」という完全一致語を、民俗・宗教史・書誌・怪異伝承の各検索で調べた。この話以外に、同名の儀礼は確認できなかった。中世密教史には、

何が語られているか この話では、戦死者や罪人の血が染みた石に触れ、色・重さ・滴る血によって未来や死を占う「血塗れ石占い」が各地にあったとする。石に取り憑かれる、夢に死者が現れるという怪談も付く。 記録と照らす 「血塗れ石占い」「血塗れ石占い」等で、民俗資料・郷土史・文化財情報・論文・書誌を調べたが、この話以外に固有の儀礼名や採集例を確認できなかった。地名、神

大釜で鬼や疫病を煮て村外へ送る「鬼追い釜」という儀式は、確認できる民俗行事ではない。国立国会図書館サーチ、国書データベース、文化遺産のデータベース、自治体や寺社の公開資料をたどっても、この固有名を持つ祭礼、祭具、呪術は見つからない。 その一方で、鬼を追い払う追儺、鬼やらい、鬼追いの行事は古くから実在する。法隆寺西円堂では、赤・青・黒の鬼が松明を投げ、毘沙門天

何が語られているか この話では、平安時代の奈良・岩手で罪人の目を潰して氏神や水神へ捧げ、疫病を防いだ「目潰し祭り」があったとする。『今昔物語集』に罪人を神へ捧げる記述があるとも主張する。 記録と照らす 「目潰し祭り」の完全一致検索で、この話以外に祭礼・郷土史・文化財・研究論文を確認できなかった。奈良県・岩手県のどの神社・村で、何年に、誰が記録したかも示されて

縄を巻いて霊を閉じ込めた、という話 「首吊り松」として語られている筋書きは、だいたいこうだ。室町―江戸期、処刑・自死に使われた松があった。その松へ縄を巻き、僧侶が念仏を唱えて霊を封じる。この話では、縄で霊を封じるそんな「首吊り松」の風習が、千葉・大分など複数の土地にあったとする。木を切ろうとした伐採者の事故、夜の泣き声、病気の噂も、封印の話に付いて回るものと

砕いた骨を、川へ落としていく 火葬を終えた遺骨を、その場で砕く。僧侶が念仏を唱えるなか、砕いた骨を川へ流していく。この「骨抜き念仏」が東北・北陸で行われ、死者を他界へ送ったとする話だ。 流した骨が川上へ戻ってきて、水の中から声が聞こえる。やらなかった家には祟りが降りる。そういう怪談が、儀式の説明にぴたりと貼りついてくる。 探しても、同じ名前の儀礼が出てこない

何が語られているか まあ、筋はこうだ。罪人や悪人の死体を村境へ置き、妖怪「火車」に運ばせて穢れを外へ出す「火車送り」が行われた。この話はそう主張する。雷雲と猫、空へ上がる棺、消える死体という話も付いてくる。 記録と照らす 火車の伝承は実在する。葬列や葬儀の際に雷雲とともに現れ、棺や死体を奪う妖怪として各地に伝わる。棺を守る、屋根に刃物を置く、猫を近づけない、

何が語られているか 話の筋はこうだ。村境でよそ者や旅人を追い払い、場合によっては暴力や殺害で共同体を守った。この話は「人返し」を、そんな闇の風習として説明する。追われた旅人の霊が村へ戻るという怪談も付く。 記録と照らす ここからが本題だ。歴史用語としての「人返し」は、中世の領主が逃亡・移住した領民や奉公人を他領から連れ戻す制度・協定を指す。江戸後期に都市へ流

何が語られているか 逆さに吊られた藁人形。主役は「藁人形の逆吊り」だ。藁人形を逆さに吊って釘を打つと呪いが強まる、という。しかも、目撃される、あるいは手順を誤ると、呪いは術者へ返る。丑の刻参りの怖い風習として、そう紹介される話だ。 記録と照らす 丑の刻参り自体は、民俗資料に採集例がある。手始めに、国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースにある、茨

川へ落とされた赤子、という筋書き まず、この話が何を語っているのかを押さえておこう。貧困と飢饉、そして人口調整のために、生まれたばかりの子を川へ落とす。その儀式が「産子落とし」で、東北・北陸などで行われる。落とされた赤子の泣き声や母子の霊がその川に残る、と説明する。 史料をめくると、話の輪郭がずれていく 近世の堕胎と間引き、明治以降の嬰児殺しは、れっきとした

盆の終わり、門口の火や川を流れる灯籠に導かれ、祖先の霊が彼岸へ帰っていく。日本各地に送り火、精霊送り、灯籠流しと呼ばれる行事がある。一方、人の死の前後に青や赤の火が飛ぶという人魂・火の玉の伝承も各地で採集されてきた。 この二つを結んだ「人魂送りの炎」という話では、家々の送り火に青白い光が寄り添い、列から外れた一つが家へ入る。送り火を早く消せば死者が帰れず、よ

十三歳の子どもが虚空蔵菩薩へ参り、知恵、福徳、成長、厄除けを願う十三参りは、現在も各地の寺院で行われる。中でも京都・嵐山の虚空蔵法輪寺では、参拝後、渡月橋を渡り切る前に寺の方を振り返れば、授かった知恵を返してしまうという。有名な言い伝えだ。観光庁の解説や図書館のレファレンス資料にも載る、実在の禁忌だ。 ここからが肝心な話。振り返った人が死ぬ、神隠しに遭う、霊

「子作安寿以外の埋葬」という言葉は、民俗学の用語にも、特定地域の葬法名にも見当たらない。誰を「以外」とするのか、「子作」と「安寿」がどうつながるのかも分からず、日本語の題名として意味を確定できない。国立国会図書館サーチや民俗資料を表記違いも含めて探しても、同名の風習は確認できない。 しかし、題名の背後に置かれた要素がすべて架空というわけではない。妊娠中に亡く

何が語られているか 障害者、高齢者、病弱者を農家の小部屋・納屋・蔵へ隔離し、食事を減らして放置した「厄介部屋」が江戸―昭和初期に東北・中国地方へあったとする。壁の爪痕、泣き声、座敷童子化などを語る。 記録と照らす 「厄介部屋」を民俗語・建築語・福祉史用語として調べたが、この話の定義に一致する研究・地域史・公的資料を確認できなかった。検索上で目立つのは創作小説

何が語られているか この話では、妊娠中に死亡した女性から胎児を取り出して別に埋葬し、母子の霊を分けて産女化・祟りを防ぐ「産女の風習」を紹介する。青森・福岡・山口などの塚、川辺、塩の儀礼も挙げる。 記録と照らす 産女は、出産・妊娠に関わって死亡した女性の霊が赤子を抱き、通行人へ抱かせる怪異として広く知られる。子育て幽霊と重なる型もある。民俗学では、妊婦の死体か

「成るか、成らぬか」と斧を振り上げる 実のならない果樹へ、斧や鉈を振り上げる。「成るか、成らぬか」と迫り、「成ります」と答えさせる。本気で切る気は無い。切るふりをして豊作を願う小正月の行事、それが成木責めで、脅しの形をとった祈りだと思えばいい。 この話が強調するのは、木の精の怒りだ。伐採者に返る祟りの話もあれば、切った木から血のような樹液が流れ出したという話

記録と照らす まず、足元の地面から固めておきたい。この話の土台には、確かに実在するものがある。安寿と厨子王の伝説だ。弘前市は、二人が津軽の領主である岩木氏の出だと紹介している。そして安寿は、のちに岩木山の神になったという。 青森県史の民俗資料にも、同じ筋が記録されている。岩木山の神となった安寿姫は、山椒大夫と同郷の丹後人を嫌う。そのせいで丹後の船は荒天に遭う

記録と照らす まずは確かめられるところから並べていく。島根県と隠岐ユネスコ世界ジオパークの解説を読むと、隠岐が724年に遠流の地と定められたことは分かる。中世には後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された。江戸中期以降は、多数の一般刑事犯が送られている。 ただし公式の解説は、別の理由も並べている。隠岐が農産物に恵まれ、生活できる土地だったこと。それも流刑地に選ばれた理

疫病は本当にあった。ただし穴の話は出てこない 先に、確かめられる側から始めたい。青森県立郷土館は、17世紀から近代の津軽で疫病が周期的に発生したことを紹介している。疱瘡、麻疹、インフルエンザ、腸チフスとみられる病だ。 藩命により山伏が祈祷したという記録もある。青森の海から疫病神を送り出すため、藁人形、つまり形代を流した。疫病への恐怖と、それに対する民俗的な対

史料をめくっても、その崖は出てこない 長崎県と長崎市の文化財資料をめくると、出てくるのは重い史実ばかりだ。1597年、宣教師6人と日本人20人が西坂で処刑された日本二十六聖人殉教。1622年の元和の大殉教と、潜伏キリシタンの摘発。どれも記録として確認できる。 処刑と迫害は史実である。ただし、代表的な西坂の処刑方法は磔だ。崖からの投下ではない。 そこで「穢れ崖

八月七日の夜九時、太鼓が鳴る。富山県黒部市の尾山地区では、子どもたちが火を灯した舟と姉様人形を手にして、集落を流れる川へ入っていく。舟は木でできていて、杉の葉がさしてあり、色紙で飾ったあんどんが載る。黒部市の文化財の解説に、そう書いてあ

「土佐の流人葬」と呼ばれる話がある。罪人を小さな舟や筏に乗せ、櫂も帆も食料も与えず、沖へ流したという筋書きで語られる。話に出てくる道具立ては、夜明け前の桂浜、役人、読経する僧、岸から切られる一本の綱、黒潮へ吸い込まれていく舟だ。後世には怪談も重ねられた。重ねられた怪談の中身は、沖から人の声が聞こえる、無人の舟が戻ってくる、海辺で白い影を見る、そんな具合だ。

家の都合で人目から隠された子どもが、蔵や山の穴で一生を終えた。「萩の幽閉子」は、そういう話だ。病気や障害、家の不名誉、継承争いなどを理由に、子どもは三尺ほどの狭い部屋へ閉じ込められた。夜になると泣き声が聞こえ、やがて声は途絶えた。現在も古い蔵や洞穴へ近づくと、幼児の声や気配を感じる、という筋書きで流通している。 「幽閉子」という語が萩の歴史的な制度・慣習を指

宮島で鹿を殺す祭りはあったのか 不漁や日照りが続くと、宮島の漁師たちは一頭の鹿を選んだ。 夜、人目のない浜へ連れ出し、喉を切る。血を海へ流すと、神へ願いが届き、雨が降り、魚が戻る。 儀式が行われた岩は黒く染まり、「血の岩」と呼ばれた。満潮の夜に近づけば、波音の中から鹿の鳴き声が聞こえる――。 これが、ネット上で語られる「宮島の鹿への供犠」である。 舞台は世界

岡山県総社市の鬼ノ城には、妙な話がついて回る。城壁や建物の礎を安定させるため、人を生きたまま埋めたというのだ。犠牲者の像も一つに定まらず、選ばれたのは罪人だったとも、貧しい家の子だったとも、工事に参加した農民だったとも語られる。 霧の夜には地中から声が聞こえ、特定の巨石へ近づくと足が動かなくなるという怪談まで付け加えられた。ところが、総社市が公開する発掘調査

記録と照らす 三重県は鳥羽・志摩の海女習俗を県指定無形民俗文化財とし、女性素潜り漁の継続、漁具、役割分担、伊勢神宮との関係を詳しく調査している。国土交通省の解説には、海女がセーマン・ドーマンの印で海難や悪霊を避けた信仰が記録される。伊勢志摩公式観光資料にも、海女の安全祈願、石神参拝、玄関先の「石いかり」があるが、遺体を沈める葬送は出ない。 三重大学の『伊勢新

記録と照らす 奈良市は、春日山原始林が春日大社の東にあり、841年に狩猟と伐採が禁止されて以来、聖域として保護されたと説明する。春日大社も、御蓋山・春日山が神山であるため、御神域を守る太政官符が出され、原生林が保たれたとする。つまり禁足・保護の確認可能な核心は、神域の自然を損なう狩猟・伐木の禁止である。 春日大社には、神職が神山を巡拝し大祓詞を奏上する登拝の

記録と照らす 生田神社の公式説明は、こう伝えている。生田の森は『枕草子』などに名の載る、古くから知られた森だ。1184年の一ノ谷合戦では、平知盛らがここに陣を構えた。ここは実際に戦場になった場所なんだよな。平知盛らが陣を構えた以上、この森は怪談の舞台になるずっと前から、本物の合戦場として歴史に名を刻んでいた。 神戸市の歴史紀要と中央区の歴史資料も、この森を何

公式資料をめくると話の前提が崩れる 山梨県の公式資料はこう説明する。青木ヶ原は貞観噴火の溶岩流の上に広がる重要な原生林だ。遊歩道や洞穴の場所、エコツアーの利用ルールまで細かく案内する。 公式観光情報は「磁鉄鉱のためコンパスが使えない」という説を一般的な誤解として扱う。通常の高さで持てば正常に働く、とまで明記する。つまり「磁場の異常でコンパスが狂い、脱出がほぼ

年表には載っている、その話だけが載っていない 茨城県霞ケ浦環境科学センターは、霞ヶ浦の年表を整理している。地形がどう作られたか。周辺にどんな古墳があるか。713年の『常陸国風土記』で「流海」と記されたこと、水運と開発の歩み、繰り返された水害の歴史。項目はずいぶん細かい。 研究の側でも、霞ヶ浦西岸に多数の水神碑や宗教施設があることは押さえられている。水害との関

記録と照らす 『遠野物語』17・18話などの座敷わらし譚では、童子がいる家は富貴となり、去った家は没落すると語られる。遠野市公式観光情報も、座敷わらしを家や土地の記憶と結びつく存在として紹介し、早池峯神社の座敷わらし人形など現代の信仰・観光を扱う。辞典資料は、奥座敷・蔵で音や悪戯を起こすこと、旧家の没落と退去を結びつける性格を説明する。 しかし「座敷わらし封

記録と照らす 国土交通省は、イオマンテを「人間界を訪れたクマ(神)を、再訪を祈って神の国へ送り帰す儀式」と説明する。アイヌ民族文化財団も、かつて実態が理解されないまま「熊祭」「神への捧げもの」と誤解されたが、熊自身がカムイであると明確にしている。国立アイヌ民族博物館の辞書は、語を i-y-oman-te(ものを・行か・せる)と分析し、熊だけでなく動物ごとの霊

宮崎市青島を囲む「鬼の洗濯板」で、満月の満潮時に人や動物を岩へ縛り、海神への供物にした。そんな話が流通している。犠牲者は貧しい家の子ども、罪人、牛、鶏だった。話ではそうされ、潮が引いた翌朝には岩に血の染みが残ったという。夜の波音に泣き声が混じる、満月の晩は岩場へ行ってはいけない、という怪談も添えられる。 宮崎市、宮崎県、青島神社などが公開する地質・神話・祭祀

記録と照らす 三好市の公式観光資料をめくると、祖谷の代表的な伝承として出てくるのは平家落人と安徳天皇、それに敵が来たら切り落とせるよう葛で架けたと伝わるかずら橋だ。弘法大師の架橋説も並ぶ。東祖谷歴史民俗資料館や公式案内が紹介しているのは、祖谷の生活、風俗、祖先祭祀。ところが「吊り子」も「吊り子の谷」も、どこにも出てこなかった。 国立歴史民俗博物館の研究報告に

何度積んでも崩れる石垣 舞台は丸岡城。坂井市が公式に紹介している伝説は、こんな筋書きだ。丸岡城の築城中、天守台の石垣が何度積んでも崩れたため、人柱が提案された。隻眼のお静は、子を武士に取り立てることを条件に自ら命を差し出し、天守の中柱下へ埋められた。 ここからが伝説の本番だ。石垣は崩れなくなった。ところが約束は果たされず、お静は怨霊となって藻刈りの頃に春雨を

実在する「かくれ念仏」 宮崎県総合博物館の研究が扱っているのは、島根の話ではない。薩摩の話だ。1597年、島津義弘が一向宗、つまり浄土真宗を禁じた。以後、薩摩藩領の信者は山中や洞穴、さらには船の上にまで隠れて法座を開いた。 宗体奉行と宗体座が設置されたのは1655年のことだ。入牢、拷問、死罪の記録が残り、都城市には念仏洞跡もある。石抱き、釣り責め、水責めとい

シーミーは、そもそも何をする日なのか シーミーは、中国から伝わった先祖供養だという説明がされている。一族と親族が墓へ集まる。墓を掃除し、供物を捧げ、そのまま墓前で食事をする。文字にすると地味だが、現地の光景は賑やかだ。 墓を掃除し、亡くなった人に供物を捧げた後で、家族が食事をする慰霊祭。そういう説明のされ方もする。墓参と親族の会食を伴う年中行事として紹介され

呼び名がひとつに定まらない 沖縄県立博物館・美術館が採録したときの題名は「人升田と久部良バリ」だった。一方、琉球新報の用語解説は「トゥング田」と書く。そこには「一升田」「人桝田」ともいう、という注記まで添えられている。同じ一枚の田の話なのに、呼び名だけで四つも五つも転がっているわけだ。 この話に出てくる「人桝田」という書き方も、異表記としてたしかに存在する。

地形と文化財 与那国町の2026年資料では、久部良バリは久部良集落北西にある全長約15m、幅約3.5m、深さ約7mの岩の割れ目。「バリ」は割れ目を意味する。岩面には塩類風化でできる蜂の巣状のタフォニが見られる。 一帯は1974年に県指定名勝となり、2014年3月18日に「久部良バリ及び久部良フリシ」として国指定名勝になった。この話では「県指定名勝」とするが、

750年の勧請から始まる、確かな記録 新見市の文化財保存活用地域計画に、この洞穴のことが書かれている。由緒は相当に古い。日咩坂鐘乳穴神社は750年に勧請され、式内社の一つだという。洞穴そのものを霊地として祀ってきた場所だ。 同じ計画は、859年の記録も記す。洞内の鍾乳石を「石鐘乳」と呼び、薬用に採集した。信仰の対象であると同時に、実用の場所でもあったわけだ。

確認できる信仰・祭祀 新見市の文化財保存活用地域計画と岡山県神社庁によれば、日咩坂鐘乳穴は古くから霊地として祀られ、神社は式内社に比定される。859年には石鐘乳が薬用に採取されたと伝わり、洞穴と信仰の結びつきは確実である。 日咩坂鐘乳穴神社の祭神は大己貴命で、御神徳は五穀豊穣・家内安全。旧暦6月11日の御田植祭は市指定の無形民俗文化財である。神社祭祀では一般

一般にいう魂抜き 仏事で俗に「魂抜き」と呼ばれるものは、閉眼供養・撥遣供養・お性根抜きなどである。対象は主に、開眼・安置されてきた仏像、本尊、位牌、仏壇、墓石。移動、修理、墓じまい、処分の前に僧侶が読経し、礼拝対象としての役目を閉じる。 宗派により教義・名称は異なり、浄土真宗では「魂が物に宿る」という説明を採らず、遷仏法要等とする場合がある。いずれも通常は「

地名調査 大野市公式サイトは市史の地区編・民俗編等の目次、各地区・集落の資料を公開している。検索可能な市資料、文化財情報、観光・地名資料で「子捨て谷」「隠し子捨ての谷」は確認できなかった。 大野市内には「若生子」「下若生子」など「子」を含む実在地名もあるが、子捨てとは無関係である。字面の連想で地名由来を作らないよう注意する。 インターネット上には石川県能登地

1. 足羽川の形代流し 話は川から始まる。福井県神社庁によれば、足羽神社では6月晦日の夏越の大祓に、足羽川原で形代流しを執り行う。木製や紙製の人形(ひとがた)などへ、自分の罪や穢れ、病を託して水へ流す。対象は生者の災厄だ。死者の魂は対象外。 2. 小浜の精霊船送り 小浜市の甲ヶ崎・田烏・西小川では、8月15日に竹・茅・麦藁などで大きな精霊船を作る。盆に迎えた

資料をたどれば、制度そのものは確かにあった 押さえておきたい本がある。國學院大學の『國學院雜誌』63巻1号、1962年の号だ。ここに民俗学者・水野都沚生の「置き忘られた制度の遺物『おじろく・おばサ』の調査と研究」が載っている。書誌情報はCiNii Researchでも国立国会図書館でも確認できるので、話の出どころは自分の手でたどり直せる。 同じ制度を扱った論

判決文には、その言葉が旧い仮名づかいで書かれている。「おつとい嫁じよ」。小さな「っ」も「ょ」もない。1959年6月19日、鹿児島地方裁判所の刑事第二部は、被告人の男に懲役3年を言い渡した。裁判の前に勾留されていた30日は、刑期に数えられ

合格祈願の絵馬じゃない。山形県天童市の若松寺の本坊には、白木の壁を埋めるようにして婚礼を描いた絵馬がびっしり掛かっている。紋付袴の花婿と白無垢の花嫁が、金屏風の前で並んで祝言を挙げている。花嫁の顔は幼い。絵の隅に「愛子享年八歳」のような

布を重ね、抱いて舞わせる家の神 オシラサマという名を、どこかで見かけたことがあるかもしれない。青森と岩手を中心に、旧家の奥でひっそり祀られてきた家の神である。姿は一対、あるいは複数の棒状の神体で、布を何枚も重ねて着せてある。頭部は馬の形、男女の顔、僧の形とさまざまで、一定していない。 命日や祭日になると、家の女性が祭司役となって神体を取り出し、手に持って遊ば

行事 秋田県男鹿半島の集落で、大晦日など年の折目に、面と藁のケデを着けたナマハゲが家々を訪れる。家の主人は正式に迎え、膳を出し、家族の勤労・健康・子どもの行状について問答する。恐怖による折檻だけでなく、祝福と一年の更新を担う来訪神である。 地域差 面、人数、訪問日、唱え言葉、家への入り方、膳、未婚女性・産婦への配慮などは集落で異なる。「泣く子はいねが」は代表

一月十五日の夜に来る者 岩手県大船渡市三陸町吉浜。1月15日の夜、集落の道を異形が歩く。奇怪な面をかぶり、藁蓑をまとい、俵を背負い、アワビ殻を腰に下げており、家々の戸を叩いては、怠け者や泣く子を戒めて回る。これがスネカだ。 名の由来は身も蓋もない。炬燵にあたり続けていると脛に火斑ができ、その火斑を剥ぎに来る存在、という説明と結びつけられてきた。怠けの証拠を身

2月の初午、藁の男たちが走ってくる 宮城県登米市東和町米川、その五日町という一角に、2月の初午だけ現れる光景がある。地区の若者と厄年の男たちが、藁で編んだ蓑と被り物を身につけ、顔には竈の煤を塗りたくる。そのまま社寺を巡り歩く、火伏せと厄払いの行事だ。 沿道の家々は、あらかじめ桶に水を汲んで待ち構えている。走り抜ける男たちの背へ、そして屋根へ、その水を浴びせる

泥の神は二か所にいる 沖縄県宮古島市の島尻と野原に、パーントゥという来訪神行事が伝わっている。島尻の日取りは旧暦9月上旬。蔓草を全身に巻き、古井戸の泥を塗った三体のパーントゥが村を巡る。人にも家にも車にも泥を付けて、厄を払っていく。野原のほうは旧暦12月最後の丑の日で、サティパロウという別の形をとる。 「泥まみれの祭り」で一括りにするな 島尻と野原は、まず仮

鹿児島県十島村の悪石島では、旧暦七月十六日の盆の最終日、赤土と墨で彩られた大きな仮面の「ボゼ」が現れる。植物の葉や樹皮をまとった三体が、男根をかたどった長い杖「ボゼマラ」を手に盆踊りの場へ乱入し、人々を追い回す。杖の先に付いた赤泥を塗られると邪気が払い落とされ、女性は子宝に恵まれるともいう。 映像では、泣きながら逃げる子ども、泥を付けられる女性、異様な仮面が

鹿児島県薩摩川内市の下甑島では、大晦日の夜、長い鼻と大きな口を持つ仮面神「トシドン」が子どものいる家を訪れる。壁や戸を鳴らし、大声で子どもを呼び、一年間の行いを問いただす。悪かったことを戒めるだけでなく、できたことを褒め、新しい年の約束をさせ、最後に大きな「年餅」を与えて去っていく。 泣く子どもの映像から、ナマハゲに似た恐ろしいしつけ行事と紹介されがちである

二月の第二土曜日の夜、佐賀市蓮池町見島に笠と藁蓑を着けた二人組が現れる。「カセドリ」と呼ばれる神の使いだ。玄関から勢いよく入り、先を細かく割った長い青竹を畳や床へ激しく打ち付ける。鋭く乾いた音で悪霊を払い、家内安全と五穀豊穣を祈る。小正月の来訪神行事なんだよな。 映像だけを見ると、藁姿の男たちが他人の家へ飛び込み、床を棒で叩く乱暴な祭りに見える。だが、二人は

岡山市東区の西大寺観音院では、毎年二月第三土曜日の夜、まわし姿の男たちが本堂大床へ集まる。狙いは御福窓から投下される二本一対の宝木だ。灯りが消えた浄暗の中で、密集した人波が東西へうねる。この光景が「日本三大奇祭の裸祭り」として知られる。 だが、西大寺会陽は宝木争奪の数十分だけで成り立つ催しではない。十九日前の事始式、無量寿院へ原木を受け取りに行く宝木取り、秘

愛知県西尾市鳥羽町の鳥羽神明社では、毎年二月第二日曜日、竹と茅で作った二基の巨大な松明「すずみ」に火を放つ。地区を東西の「乾地」と「福地」に分け、神男と奉仕者が燃え上がるすずみへ入り、中心に納めた神木と十二縄を取り出して神前へ供える。勝敗と燃え方から、その年の天候、作付け、豊凶、吉凶を占う火祭りである。 炎へ飛び込む場面は強烈だが、祭りは危険な度胸試しではな

福島県大沼郡三島町。一月十五日前後になると、雪を踏み固めた会場へ山から神木を運ぶ。藁、茅、豆殻、御幣、正月飾りなどを付けて立てる。夜になると点火し、五穀豊穣、無病息災、家内安全、厄落としを願う。この作り物も、それを燃やす行事も「サイノカミ」と呼ばれる。 雪の中で巨大な火柱が上がる姿は、どんど焼きや左義長に似る。ところが、三島町では地区ごとに神木、材料、作り方

火を合図に始まる、冬の田仕事 二月の夕暮れ、静岡県牧之原市蛭ヶ谷の蛭児神社で、境内に積まれた薪に火が入る。 ただし、ここで始まるのは畑仕事でも、農具を使った実演でもない。太刀や木刀を手にした演じ手が四方へ向き直り、鋭く振り下ろす。楽器は鳴らない。聞こえるのは唱え言葉と掛け声、足が地面を踏む音、燃える薪のはぜる音だ。 やがて田を打ち、種をまき、苗を植え、稲を刈

雪のない年にも、神前へ雪を供えた 舞台は信州の山里。長野県南部、愛知県との県境に近い阿南町新野では、一月の夜に神々と人が入り交じる。 面をつけた神が現れ、田楽、舞、猿楽を思わせる演目が次々と続く。巨大な松明が起こされ、火が移される。夜が更けても舞は終わらず、厳しい寒さの中で朝を迎える。朝まで続く祭り。 この行事は「新野の雪祭」と呼ばれている。 念のため断って

夜通し煮える湯釜の前へ、鬼が現れる 大きな釜から湯気が立ち上る。 太鼓と笛が鳴り、「テーホヘ、テホヘ」という掛け声が重なる。舞庭へ入ってきた鬼は、面をつけ、重い鉞を手にしている。釜の周りを踏みしめるように舞い、鉞を振り下ろす。その姿は荒々しい。 けれど、ここでいう鬼は、人を襲う悪鬼ではない。 愛知県奥三河に伝わる「花祭」では、鬼が大地を開き、新しい命を呼び込

三日間こもり、山で神の声を聞く 福島市松川町金沢の男たちは、冬になると水で身を清め、寝食をともにする。 酒や肉を断ち、朝夕に水垢離を取り、夜をこもり殿で過ごし、最後は暗いうちに羽山へ登って、「ノリワラ」と呼ばれる一人の男を介して神の託宣を受ける。 告げられるのは、翌年の天候、五穀の作柄、災難の有無。これが「金沢の羽山ごもり」だ。 先に断っておくと、この「金沢

六本の巨大な松明、その陰を鬼が走る 正月七日の夜、久留米市大善寺町の空が赤くなる。 長さ約十三メートル、直径一メートルを超える六本の大松明に火が入る。締込み姿の若衆が、「カリマタ」と呼ばれる樫の棒で燃える松明を支え上げる。火の粉が裸の肩へ降り、爆竹のような音が境内に響く。 ところが、祭りの名になっている鬼は、観客の前へ堂々と姿を見せない。 鬼はシャグマをつけ

炎を消そうとする男、炎へ飛び込む仮面 大分県国東市国見町櫛来。十月十四日の夜、櫛来社、別名を岩倉八幡社という神社の境内で、大きな焚き火が燃える。 白装束の男たちは、長い棒を手に火を守る。「トウバ」と呼ばれる役だ。 そこへ、奇妙な木の面をつけた「ケベス」が現れる。これで役者はそろった。 ケベスは火へ近づこうとし、トウバは棒で押し返す。何度追われても、ケベスは間

和歌山県新宮市の神倉神社では、毎年二月六日の夜、白装束の男たちが火のついた松明を手に急な石段を下る。山腹を埋めた炎が一斉に動きだす光景は、遠目には一本の火の川に見える。熊野御燈祭はこの場面だけで知られやすいが、祭りの核心は速さを競うことではない。身を清めた参加者が神倉山へ上り、閉じられた境内で御神火を受け、それを人の暮らす町へ運び下ろす一連の神事である。 会

石川県羽咋市の気多大社では、十二月十六日の未明、神前へ一羽の鵜を放って翌年の吉凶をうかがう。この鵜祭で主役を務める鳥はただの占い道具じゃなく、「鵜様」と敬称で呼ばれる客人だ。能登の海辺から神社まで人の手で丁重に運ばれ、神事を終えると海へ放される。 捕獲、徒歩の道中、宿泊、神前での放鵜、海岸での放鳥。ぜんぶ含めて一つの長い儀礼だが、同じ結果が出る保証はなく、鵜

愛知県稲沢市に尾張大國霊神社、通称・国府宮がある。ここで行われる儺追神事は、裸男たちが一人の神男へ殺到する光景で広く知られる。だが、午後の激しい揉み合いだけを「裸祭り」の全体とすると、神事の筋を見失う。 神事は人々の厄を託した笹の奉納から始まる。続いて神男の選定と参籠、儺追殿での儀礼がある。そして翌未明、厄を背負わせた土餅を追い出す夜儺追まで進む。厄を集め、

長野県の諏訪大社では、寅年と申年に御柱祭が行われる。山から選ばれた巨大な樅の木を人力で曳き、上社本宮・上社前宮・下社秋宮・下社春宮の四社へ運び、各社殿の四隅に建てる祭りである。四社に四本ずつ、合計十六本の御柱が必要になる。 「七年に一度」と呼ばれるのは、昔の数え方で開催年を含めて数えるためで、実際の間隔は六年である。テレビ映像では急坂を下る木落しが強調される

京都市左京区鞍馬で十月二十二日に行われる鞍馬の火祭は、由岐神社の例祭である。夕暮れの山里に篝火がともり、子どもの小松明から青年・大人の大松明へ炎が受け渡される。やがて多数の松明が山門前へ集まり、注連縄切りを経て、祭りの中心は二基の神輿の渡御へ移る。 炎の写真だけを見ると、誰でも松明を担いで練り歩ける観光行事に見えるかもしれない。実際には鞍馬の氏子町が家ごとの

奈良・東大寺二月堂の修二会は、一般に「お水取り」「お松明」の名で知られる。三月十二日深夜の水取りや、欄干から火の粉が降る光景は象徴的だが、行法の正式な中心は十一面観音の前で罪過を懺悔する「十一面悔過法要」である。三月一日から十四日まで、選ばれた十一人の練行衆が六つの時に分けて祈りを重ね、十五日に満行を迎える。 東大寺の説明では、天平勝宝四年(七五二)に実忠和

和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社では、毎年七月十四日に例大祭「那智の扇祭り」が行われる。石段で十二本の大松明が燃える場面から「那智の火祭り」の通称でも親しまれてきたが、正式な名称は扇祭りである。主役は火だけではない。十二体の扇神輿に熊野の神々を遷し、山上の本社から那智の大滝を仰ぐ飛瀧神社へ渡御し、神事を終えて本社へ戻す。 二〇一五年に国の重要無形民俗文化財へ

婚姻と家督のしきたりは、家族の誰がどこで暮らし、土地と名を継ぎ、老親を支え、次世代を育てるかを決める仕組みだった。現代の恋愛観や戸籍制度だけで見ると奇妙に映るが、地域の生業、土地の広さ、労働力、親族関係に応じた合理性もある。一方、伝統という名で本人の意思を奪い、暴力を正当化した例を美化することもできない。 以下の十二項目は全国一律の法律ではない。同じ名称でも

子どもが「この世の人」になるまで 現在、出産は病院や助産院で行われ、出生届を出せば子どもの名と身分が公的に記録される。 ところが、医療と行政の仕組みが整う以前、誕生はもっと不安定な出来事だった。 出産は命がけだった。母親は出血や感染で命を落とすことがあり、生まれた子が無事に育つ保証もない。家族は喜びながらも、産婦と赤子を災いから守り、少しずつ共同体へ迎え入れ

なぜ葬式では、日常の作法を逆にするのか 北向きに寝る。水へ熱い湯を足す。着物の襟を左前に合わせる。飯へ箸を立てる。 普段の暮らしなら顔をしかめて避けられる動作が、葬送の場に入ったとたん、きちんと決められた作法になる。順序がまるごと裏返る。 理屈はこうらしい。生者の世界と死者の世界のあいだにはっきりと線を引くため、普段の暮らしでやっている動作の順序を、わざと一

「あの家は狐を飼っている」という噂 村で急に財産を増やした家がある。 商売が当たり、田畑を買い、立派な家を建てた。すると周囲は、努力や偶然でなく、狐や犬神の力を疑い始める。 あの家は憑きものを飼っている。気に入らない相手へ送りつけ、病気にする。娘を嫁にもらえば、子孫まで同じ家筋になる。そんな噂が立つ。 証拠がなくても、噂は婚姻や交際を止める力を持った。噂の力

山と海では、同じ言葉を使わない 里を離れて山へ入るとき、普段の言葉を捨てる。最初に変わるのは言葉。 獣、食べ物、道具、体の一部を、仲間だけが知る別の名で呼ぶ。それだけで終わらない。肉や酒を断ち、性行為を避け、死や不浄を思わせる言葉を口にしない。 海の上も同じだ。海へ出る漁師も、猿、蛇、坊主、帰るなどの語を避け、別の言い方へ替えた。陸の上なら誰も気にしない言葉

生きながら死者の側へ近づく 厳しい修行の話には、聞く者をぞっとさせる力がある。 土の中へ入る僧。食べ物も水も断って祈り続ける行者。夜通し眠らず、真冬の滝へ身をさらす人もいる。死者を迎えるため、冥界まで届くという鐘を撞く人々。 現代の暮らしから眺めれば、いずれも死と隣り合わせの異様な行為に見える。だが、本人たちにとって苦痛や危険は目的そのものではなかった。ここ

神は静かに扱うもの、とは限らない 神輿を地面へ叩きつける。川へ放り込み、火の中へ突っ込む。 恐ろしい面をかぶった者が家へ上がり込み、包丁を見せて子どもを叱る。藁姿の一団が子どもを追い、火のついた俵を体の周囲で振り回す。 日本の祭りを集めた動画では、こうした瞬間が「危険すぎる奇祭」として切り取られる。確かに、日常の神社で慎重に運ばれる神輿や、穏やかな正月行事と

ピアス穴から出た白い糸 耳たぶにピアスを開けた少女が、穴から細い白い糸が出ていることに気づく。 糸くずだと思って指でつまみ、ゆっくり引く。妙に長い。途中で切ると、突然目の前が暗くなった。病院で診てもらうと、医師は言う。 「それは糸ではありません。視神経です」 一九八〇年代から九〇年代に学校生活を送った人なら、一度は似た話を聞いたかもしれない。結末の型はいくつ

夜に赤い靴を履くと、霊や妖怪に目をつけられて連れ去られる。子どもの頃に聞かされた覚えのある人もいそうな話だ。でも、出どころは驚くほど曖昧。公的な資料や国立国会図書館の書誌検索を当たってみても、この形の日本の伝統禁忌は確認できなかった。調

夜、赤子を鏡に映してはいけない。鏡の向こうの子に魂を取られる、眠らなくなる、言葉が遅れる、双子になる――。こうした禁忌は細部を変えながら語られる。鏡が異界への入口になる怪談と、乳幼児の成長を案じる生活上の注意が重なったものだ。 鏡を見せたことが原因で発達が遅れるという医学的根拠は確認されていない。赤子は成長の中で鏡像へ関心を示し、やがて自分との関係を学ぶ。一

夜の田んぼで「オイ」と呼ばれても返事をしてはいけない。返すと田の中へ連れ込まれる、同じ声が背後へ回り、最後には水路へ落とされる――。呼び手の姿が見えない短い声は、狐、河童、亡者、田の神、正体不明の人など、地域と語り手によって姿を変える。 「オイ」という固有名の妖怪が全国で古くから記録されているとは限らない。人を呼び止める掛け声そのものを題名にした怪談、家族内

1月1日の朝。諏訪大社の上社本宮では、御手洗川の氷を割って川底を掘り返す。出てくるのは冬眠中の蛙だ。凍える川の底から引きずり出された蛙は、拝殿の前で小さな弓に射られ、矢に刺さったまま神前に供えられる。蛙狩神事という。蛙を殺す行為が、ここ

先に結論を言っておく。夜に生ゴミを出すと、貧乏神や穢れの霊が家へ入り込んで不幸や貧しさを呼ぶ、という迷信がある。元記事は古い記録に書いてあると言うけれど、その記録はこっちでは確かめられなかった。祟りの話は出どころ不明、でもごみ出しの決ま

ネットで見かける筋は、だいたいこうだ。祖父が亡くなって数ヶ月がたったころ、遺品整理をしていた孫が、タンスの奥から仕立てのいいコートを見つけ出す。まだ十分に着られる品で、捨てるにはあまりに惜しかった。孫は「もったいない」と言って、何気なく

丑三つ時の村はずれ。あたりは完全な闇に沈み、井戸だけが黒い穴みたいにぽっかり口を開けている。水を汲みに来た人影が釣瓶を下ろすと、綱がどういうわけかずっしり重い。引き上げた桶の水面に、白い手のようなものが一瞬映り込み、耳の奥ではかすかなす

山で本名を呼ばれると、何かが覚える 山へ入ったら、仲間の本名を呼んではいけない。 名を口にすると山の神に覚えられる。山にいるものがその声をまね、本人を奥へ連れていく。後ろから名を呼ばれても、振り返ってはいけない――。 この禁忌は、山の怪談やSNSの短い投稿でよく見かける。声だけなら姿が見えないため、話を聞いた後に林道を歩くと、風や鳥の声まで人の呼び声に聞こえ

摘めば家に死人が出る花 九月の畦道に、赤い花が一斉に立つ。 葉は見えず、細い茎の先で六枚の花びらが反り返る。長い雄しべが外へ伸び、遠くから見ると小さな炎が連なっているようだ。 彼岸花を摘もうとすると、大人に止められた。そんな記憶を持つ人は多い。 「家へ持ち帰ると火事になる」 「摘んだ家では死人が出る」 「墓場の花だから、亡くなった人がついてくる」 火事、死人

人が亡くなると、枕元に白木の小さな机が置かれ、供え物が順番に並べられていく。香炉、蝋燭立て、花瓶、枕団子、水、鈴。その並びの真ん中には、山のように盛られたご飯の茶碗が、ぽつんとひとつ据えられていた。主役は、一杯の白いご飯。茶碗は、故人が

「カラスが三回鳴くと、誰かが死ぬ」。妙に広く出回る言い回し。しかも語られる抑揚まで、どこでもほとんど同じなんだよな。夕暮れの電線や屋根の上で、カラスが「カァ、カァ、カァ」と三度だけ鳴いて、黙って飛び去っていく。四度目は来ない。その「途切

「三人で写真を撮ると、真ん中の人が早死にする」。この話、どこかで聞いたよな。修学旅行や卒業アルバム、家族写真に記念撮影と、だいたい具体的な場面とセットで出てくる迷信なんだ。三人並んで撮った直後、脇の友人がふと真顔で「真ん中の人、早死にす

夜の鏡は見るな。特に丑三つ時は、死者や見知らぬ何かが映り込むって言い伝えがあるんだよな。この話が妙に生々しいのは、舞台が洗面所や寝室の姿見だからだ。舞台は、いつもの洗面台。お寺でも廃墟でもなく、いちばん身近な生活空間のど真ん中に、怪異が

夕方から夜にかけての話だ。人気のない神社を訪ねて、鳥居の前で軽く一礼し、端を選んでくぐった。参道を進んで拝殿で手を合わせる。帰り道でもう一度鳥居をくぐろうとしたその瞬間、背後に何かの気配を感じたという。木の葉が擦れる音か。砂利を踏む足音

夜道で知らない声に答えるな。子どもの頃、親や祖父母からこう言われた人は案外多いと思う。返事をすると妖怪に魂を抜かれて、異界へ連れていかれるって話だ。怖い話としてよくできているのに、そこへ防犯の知恵がごちゃっと混ざっているのがこの言い伝え

子どもが赤いパジャマに手を伸ばす。横から祖母か母の声が飛ぶ。「赤い服で寝るもんじゃないよ」。こういう場面を何度もくぐりながら、迷信は家の中を、親から子へ、静かに渡ってきた。続く言葉も決まっている。「火事になるよ」「血を見るよ」。理由はほ

枕元の刃物には、正反対の迷信が二つある。刃物が悪霊や死神を呼ぶって説と、刃が魔を切って守ってくれるって説が、なぜか並んで伝わっているんだよな。困ったことに、どっちの超自然的な効き目も確かめられていない。話はそこで終わらない。現実の安全面

夜中に髪をとかすな、という話がある。丑三つ時に鏡の前でやると、とくに危ないらしく、霊が寄ってくるという尾ひれまでつく。舞台はたいてい決まっている。風呂上がりの静まり返った家、洗面台か三面鏡の前、濡れた髪に通す櫛。丑の刻は午前1時から3時

丑の刻参りと聞いて浮かぶ絵は、だいたい決まっている。舞台は真夜中の神社だ。人気の絶えた境内に白い装束の女がひとりで現れ、顔は青白く、髪を振り乱し、口には何かをくわえている。手にした藁人形を御神木の幹に押し当てて金槌で釘を打ち込むと、その

品川区の二葉に、蛇窪神社という社がある。正式な名前は天祖神社で、蛇窪という名はこのあたりの古い地名に由来し、境内には白蛇と龍神が祀られている。12日に一度めぐる巳の日は参拝者が増え、60日に一度の己巳の日はとくに重んじられる。2023年

古い家の座敷に立つと、廊下との境に細い木が1本通っている。表面には浅い溝が彫られ、襖や障子はその上を滑るように動く。名前は敷居という。ふだんは誰も気に留めない部材だ。ところがこの木には、昔から妙な決まりごとがついて回った。踏むな。またげ

日本の家庭で昔から語られてきた場面がある。夕飯が済んだあとの時間帯。大人たちがテレビの前でくつろいでいる隙に、縁側や庭先や台所の隅で、子どもがマッチ箱やライターをこっそり手に取る。誰も見ていないと思い込んで、小さな火を灯してみる。やるこ

子ども部屋の棚の隅や玄関の飾り棚に、長年変わらず座り続ける人形がいる。市松人形だったり、旅先で買ったご当地のマスコットだったり、物心つく前から一緒に眠っていたぬいぐるみだったりする。いつからか、その人形には名前がついている。家族みんなの

8月中旬の話だ。夏休みの終わりが見えてくると、多くの子どもが祖父母から同じ忠告を受けてきた。「お盆の海には入っちゃいけないよ」「お盆が過ぎた川では泳がないほうがいい」と、言い回しまでほぼお決まりのパターン。理由を聞いても、返ってくる答え

夜、家事や仕事がひと段落して、テレビを見ながらくつろいでいた。ふと伸びた爪が気になって、爪切りを手に取る。パチン、パチンと小気味いい音が鳴り出した瞬間、部屋の隅から祖母や母の声が飛んできた。「夜に爪を切ると、親の死に目に会えないよ」。聞

夜に口笛を吹くと蛇が来る。そう言って子どもを止める家は、ほぼ全国にあった。窓の外が暗くなり、家の中がしんと静まった時間に高い音を出せば、それはよく響く。叱る声にはいつも少しだけ本気が混じった。口笛ひとつで何が起こるのか、理由まで教えても

寺の本堂に、大きな掛け軸が下がる日がある。2月15日、釈迦が入滅した日とされるこの日に、涅槃会という法要が営まれる。そこで掛けられるのが涅槃図。横たわる釈迦のまわりを、弟子や菩薩、動物たちが囲み、みんなが嘆き悲しんでいる図だ。浅草寺は、

3の次が5だ。古いビルのエレベーターに乗ると、4のボタンだけが最初から無かったように抜けている建物がある。階数の表示も3階の次は5階になっていて、上がっても下がっても4という数字には一度も会わない。理由を書いた張り紙は、ほとんど見かけな

夕方の通学路か、買い物帰りの商店街の交差点を思い浮かべてほしい。信号待ちをしていると、遠くから黒く磨き上げられた車体と、屋根に載った金色の飾り金具が見えてくる。宮型でも洋型でも、あの車は独特の重々しい静けさをまとって近づいてくるんだよな

岩手県の遠野に、登戸橋という橋がある。寒戸の婆ゆかりの橋として、遠野市立博物館も紹介している。たもとには石碑も置かれているらしい。婆の話は、柳田國男が1910年にまとめた『遠野物語』の8話に載っていて、神隠しの話としてよく引かれる。序文

この記事は重複組だ。同じ収集元の別ページにあった記事なんだが、中身は08番とほぼ同じなんだよな。死者の服に魂が宿るとか、着ると病気や不幸になるとか、そういう超自然がらみの因果は確認できない。着るかどうかは、故人の意思、遺族の合意、衛生状

滋賀県の北部、西浅井町(いまの長浜市)での聞き取りが、成城大学の民俗調査報告書の九号に載っている。刊行は1986年。国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースで、いまも誰でも読める。土地では、カラスが悲しそうに鳴くことを「カラ

口減らしのために、老いた親を背負って山へ捨てに行く。かつて日本の山深い村には、そんな掟が伝わっていた。食えない冬が来る。家族全員が生き延びるために、まだ息のある母や父を雪の尾根へ置いてくる、それが姥捨(うばすて)だ。 作り話で片付けるに

壺の中へ、百種の毒虫を次々に投げ込んで蓋をする。蛇、百足、蜘蛛、蟇、蜈蚣。餌はやらない。飢えた虫たちは互いを喰い、喰われ、狭い暗がりの中で共食いの地獄が何日も延々とくり返されていく。想像しただけで首筋がむずむずしてくるよな。やがて壺の底

墓が二つある。そう聞いたら、たいていの人は首をかしげると思う。ところが昔の日本には、一人の死者のために墓を二つ設けるのが当たり前だった土地が、あちこちにあった。一つは遺体を実際に埋める「埋め墓(うめばか)」で、もう一つは花を供えて手を合

日が暮れて、家々の灯が消えた頃だ。若い男が音もなく戸を開け、娘の眠る寝間へそっと忍び込んでいく。これが夜這い(よばい)になる。乱れた性の風習として面白おかしく語られがちだが、実態はまるで違っていて、もっと冷たい話なんだよな。正体は掟だっ

血を流せば、家を追い出される。かつての日本では、目に見えない「穢れ(けがれ)」への恐怖が、人の暮らしをきつく縛っていた。中でも恐れられたのが、血にまつわる「赤不浄」、死にまつわる「黒不浄」、それに出産にまつわる不浄だ。この考え方は女の体

どこの家も豆をまく。節分の夜に「鬼は外、福は内」と声を張るのが決まりごとだ。ところがこの国には、逆に「鬼は内」と唱えて鬼を家へ呼び込む人たちがいる。自分たちこそ鬼の末裔で、追い払われる鬼は我が家の祖先なのだと信じ、千三百年も血筋を守って

白装束の女が、夜の森で釘を打つ 午前2時ごろ、社の森へ白装束の人物が入っていく。頭には五徳を逆さにかぶり、三本の脚へろうそくを立てている。胸には鏡。手には藁人形と長い釘。 御神木へ藁人形を当て、槌を振り下ろす。釘を打つたび、憎い相手の名を唱える。この姿を誰かに見られたら、呪いは失敗し、見た者まで殺さなければならない。 現在「丑の刻参り」と聞いて思い浮かべるの

人柱は「各地で行われた制度」だったのか 橋が流される。堤が切れる。城の石垣が崩れる。工事を完成させるため、生きた人を柱や土台のそばへ埋め、神へ捧げた――日本各地には、こうした人柱の物語が残る。犠牲者の名を伝える石碑や地蔵もあり、地域の記憶として今も供養される例がある。 一方、伝説があることと、語られた通りの生き埋めが行われたことは同じではない。人骨が工事現場

結婚しないまま逝った我が子に、親は花嫁を描かせる 山形県の中央部に、村山地方と呼ばれる一帯がある。ここには今も独特の供養が息づいている。結婚することなく死んだ我が子のために親が絵馬を発注し、そこへ架空の花嫁や花婿との婚礼の場面を描かせて寺に奉納する。死者の結婚式だ。 この絵馬を「ムカサリ絵馬」と呼ぶ。「ムカサリ」は村山地方の方言で「迎えられ」、嫁入りや婚礼を

座敷牢という装置 ―― その構造と暮らしの再現 古い旧家を訪ねると、決まって一つや二つ、家人が「そこには入るな」と言い伝えてきた部屋がある。土蔵の奥、離れの一角、あるいは母屋の北側の暗い一室。建具は分厚く、窓には格子がはめられ、外側からしか鍵をかけられない構造になっている――これが、かつて「座敷牢」と呼ばれた空間の典型的な姿である。 座敷牢とは文字通り、犯罪

「骨噛み」という言葉の不確かさ 火葬後の遺骨を口に含む。歯を当てる。かじる。こうした行為は「骨噛み」と呼ばれることがある。 亡くなった人と最後まで離れたくない、身体の一部を自分の内に留めておきたい。そんな感情の表れとして語られてきた。ときに奄美や沖縄の風習として紹介されてきた。 でも、この言葉が指す中身は揺れている。いつ、どの島の、どの集落で、誰が、葬送のど

夜の九時を過ぎた茶の間。テレビの音量は落とされ、蛍光灯の白い光だけが畳の上に落ちている。誰かがパチン、パチンと小さな音を立てている。爪切りの音だ。その瞬間、台所から母親の声が飛んでくる。 「ちょっと、今何時だと思ってるの。夜に爪切ったら、親の死に目に会えなくなるよ」 子どもの頃にこの台詞を一度も聞かされたことがない日本人は、おそらくほとんどいない。理由を聞き

軒先に、白い布切れが一体ぶら下がっている。風が吹くたびに、くるりくるりと回転する。まだ目も口も描かれていないその顔は、こちらを見ているようで見ていない。白くて、のっぺりした顔。 頭にはきつく糸が食い込んでいて、体のほうはだらりと重力に従っている。そう、あれが「てるてる坊主」だ。子供の頃に一度は作ったことがある、あの晴れを願うためだけの人形。 でも、よく見てほ

山の斜面にへばりつくように建つ、黒く煤けた茅葺きの家。囲炉裏の煙がいつまでも屋根裏に留まり、家の中には常に薄闇がわだかまっている。そこに、五十を過ぎても子供のように名を呼ばれる人影がある。誰とも口をきかず、ただ黙々と薪を割り、田を耕し、蚕棚の世話をする。声は聞こえない。 表情はない。笑うこともなく、怒ることもなく、悲しむことさえない。ただ、そこにいる。長野県

座布団が一枚分だけ空いている夜 夕方六時、集落の公民館に灯りが点く。今夜は月に一度の常会、いわゆる寄合だ。軽トラックが次々と砂利敷きの駐車場に停まる。顔なじみの老人たちが「ばんかたです」と声をかけ合いながら、引き戸をくぐっていく。 ひとり足りない。いつも一番に顔を出す下の家の主人の姿だけが、今夜はない。誰も彼を呼びに行かない。誰もその不在を口にしない。座布団

「やめなさい、蛇が来るよ」と祖母が飛んできた夜 日が落ちて、家々の灯りも落ちて、虫の声だけが響く時間帯。縁側でひとり涼んでいた子どもが、なんとなく口笛を吹き始める。ただの口笛だ。その瞬間、奥の間から祖母の声が飛ぶ。「やめなさい、蛇が来るよ」。 この光景は日本全国、驚くほど似た形で語られてきた。夜に口笛を吹くと蛇が出る、あるいは魔物が来る、人買いにさらわれる。

迷信の全貌――暗闇の中で交わされる、返してはいけない相槌 修学旅行の夜、あるいは友人の家に泊まった夜。雑魚寝で並んで眠っていたら、隣で寝ているはずの相手が突然、はっきりとした口調で何かをしゃべり出す。「だめだよ、今は行けないよ」「誰、そこにいるの」――普段のその子からは想像もつかないような、明瞭で、まるで誰かと会話しているかのような寝言だ。この瞬間、その場に

迷信の全貌――夜、屋根の上でカラスが鳴き止まない時 夕暮れ時、あるいは真夜中、ふだんは静かなはずの住宅街の屋根の上で、カラスが異様なほど甲高く、しつこく鳴き続ける。一羽が鳴けば近くの木にとまっていた別の一羽が呼応し、やがて数羽が集まって鳴き交わす声が延々と響く。この光景を見た年配の人は、決まってこう漏らす。「カラスが騒ぐと、誰か死ぬんだよ」。この迷信が語られ

大晦日の闇からやってくる「異形」――来訪神とは何か 日本列島の各地には、年に一度、決まった夜に「神」と称する異形の者たちが集落を練り歩き、家々の戸を叩いて回るという行事が今も残っている。招かれざる客のように玄関を突き破り、子どもたちに向かって怒鳴り、時には刃物をちらつかせ、泣き叫ぶ子を捕まえて抱え上げる。傍から見れば集団で家宅に押し入る狼藉者そのものだが、そ

雨の夜道に立つ女――産女という妖怪の完全な情景 雨のそぼ降る夜、人気のない橋のたもとや川べり、あるいは辻の暗がりに、腰から下を血に染めた一人の女が、赤ん坊を抱いて立っている。これが「産女(うぶめ)」と呼ばれる妖怪の、最も典型的な出現の姿だ。通りかかった旅人や村人に向かって、女はか細い声で「これを、少しの間だけ抱いていておくれ」と赤ん坊を差し出す。断ることもで

深夜、旅館の一室。布団を敷こうとした瞬間、ふと方角が気になって枕を反対向きに置き直した。そんな経験がある人は、たぶん少なくない。「北枕だけは絶対にダメ」。そう教え込まれてきた日本人は多い。 ところが同じ日本語圏の中に、風水では北枕こそが最高の開運枕位だと説く流派が同時に存在している。そのことは意外と知られていない。方角は同じ北。縁起が悪いはずの方角が、別の体

夕暮れの四つ角で、名前を呼ぶ声がする 学校帰り、部活帰り、残業帰り。あの妙な感覚を、一度くらいは味わったことがあるんじゃないか。街灯がまだ点かない薄闇の四つ角に差し掛かったその瞬間、背後のほうから、自分の名前をはっきり呼ぶ声がする。 振り返りたくなる。それと同時に、うなじの産毛が一本残らず逆立つような、自分でも説明のつかない忌避感が背中を走る。祖母や近所の年

道端に落ちていた、あの美しい櫛 場面はこうだ。雨上がりのアスファルトの上、あるいは駅のホームの隅、神社の参道の砂利の間。そこに、誰のものとも知れない一本の櫛が落ちている。塗りの剥げた古い木櫛かもしれないし、まだ艶やかな飾り櫛かもしれない。見つけた人の多くはふと足を止め、拾おうかどうか一瞬迷う。 でも、次の瞬間に思い出すのだ。「落ちている櫛は拾ってはいけない」

稲が伸びる季節の、夜の田んぼ。あぜ道を松明の火が進んでいく。先頭で太鼓が鳴る。鉦がそのあとを追いかけ、火の列は水を張った田に映り込んで、倍の長さに揺れた。稲を荒らす虫を村の外へ送り出す農耕行事で、地域によって虫送りとも実盛送りとも呼ばれ

日本の怪談のなかで、いちばん気まずい話は何かと聞かれたら、私は迷わずこれを挙げる。六部殺し。旅の巡礼を一晩泊めて、殺して、その金で成り上がった家の話だ。何が気まずいって、この話が全国どこにでもあることだ。青森にもある。新潟にもある。長野

雲南省の南、玉渓市通海県。県城から三キロほど離れた六一村という集落の、日の当たる中庭でのことだ。 九十歳に近い老女が盥に湯を張り、両足に何重にも巻かれた長い木綿の布を、端からゆっくりとほどいていく。布は何度も洗われて灰色になっている。ほ

##雪の峠を、目の見えない女たちが一列になって越えていくまず一枚の絵を頭に浮かべてほしい。三月の越後。まだ根雪の残る田んぼのあぜ道を、褄折れ笠をかぶった三人の女が縦一列で歩いている。先頭の一人だけがうっすら目が見える。後ろの二人は全盲で

体の中に、虫が三匹いる。そいつらはあなたが生まれた瞬間から住み着いていて、あなたが何をやったか全部見ている。金をごまかしたことも、人の女房に手を出したことも、親を怒鳴りつけたことも、全部だ。そして六十日に一度めぐってくる庚申(かのえさる

##釜の湯が煮え立つ音だけが聞こえていた社殿の前に、大きな鉄の釜が据えられている。下では薪が赤く爆ぜ、湯はもう完全に煮え立っていて、白い湯気が板葺きの屋根の下でぐるぐる渦を巻いている。釜の底には拳ほどの石が沈めてある。役人が湯の中を柄杓

村の外れに、小屋がある。道から少し外れて、藪をかき分けた先。海が見える崖の下だったり、田んぼの向こうの川べりだったり、山の中腹だったりする。屋根はトタンか茅。窓はほとんどない。中は土間か、板の間にムシロが敷いてあるだけ。真ん中に囲炉裏が

サルデーニャ島の話をする。地中海の真ん中に浮かぶ、イタリアで二番目に大きい島だ。青い海とリゾートの写真しか見たことがない人には申し訳ないが、ここで扱うのは海岸線から車で内陸へ一時間ほど入った、花崗岩と羊とコルク樫の世界のほうである。その

たたら場の神さまは、女神だ。しかも、とびきり気難しい。女が嫌い。犬が嫌い。麻が嫌い。蔦も嫌い。ここまでなら、まあ、日本の職能神にはわりとある話ではある。神さまが何かを嫌うというのは、要するに「これをやると失敗するぞ」という現場の経験則が

大阪市西淀川区。塚本の駅から歩いて十分ほど。マンションと町工場と自転車がひしめく、どこにでもある住宅街の真ん中に、その神社はある。野里住吉神社。参道は短い。境内も広くない。平日の昼間に前を通っても、たぶん何も起きていない。ただし二月二十

村のはずれの道に、白い列がのびている。先頭は松明だ。昼間なのに火を焚いている。そのうしろに天蓋を担いだ男、位牌を抱えた男、水桶、香炉、紙で作った花。棺は担がれて、ゆっくり揺れながら進む。足音だけが続く。誰も喋らない。喋ってはいけない場面

##夜明け前、標高四千メートルの丘で白い煙が上がるまだ暗い。空気は刃物みたいに冷たくて、吸い込むと肺の奥が痛む。標高は四千メートル前後。吐く息が白いというより、白い塊が口から転がり落ちていく感じだ。丘の上には石を平らに敷いた台がある。周

山の道でいちばん怖いのは、獣じゃない。人だ。台湾の中央山脈、日が落ちるのが早い谷筋。畑から戻る途中の農夫が、藪の中の気配に気づく。気づいたときにはもう遅い。翌朝、家族が見つけるのは首から上のない体だ。そして数日後、隣の山の集落では祝宴が

北京の骨董屋の隅に、蓋つきの小さな壺が転がっていることがあったという。中身は空。値もつかない。だが百年前なら、あの壺には一人の人間の一生分の意味が詰まっていた。壺の名前は「宝」という。文字どおり、宝物。何が入っていたかというと、その壺の

夜の十時か十一時。冬なら雪、夏なら虫の声。六つか七つの子どもが、母親か祖母に手を引かれて、村の暗い道を歩いている。行き先は聞かされていない。ただ「今夜は大事な用がある」とだけ言われた。 着いたのは、名前は知っているが上がったことのない家

江戸の話をしていると、たまに「え、その職業ほんとに実在したの?」という家に行き当たる。山田浅右衛門は、その代表格だ。刀の切れ味を試す係。しかも試す相手は人間の遺体。おまけに死刑の首斬りも請け負う。身分は浪人。なのに稼ぎは小大名クラス。さ

刑罰って、要するに「痛い目に遭わせる」ことだと思われがちだ。殴る、閉じ込める、金を取る、最後は殺す。だいたいそのへんで想像が止まる。でも古代中国が二千年かけて磨き上げた刑罰の中心にあった発想は、そこからズレている。痛みじゃない。時間でも

一八九二年三月十七日の朝、ロードアイランド州エクセター。丘の上の小さな墓地に、四人の男が鍬とシャベルを持って立っていた。前の晩まで雪が残っていた。地面はまだ半分凍っている。掘るのに骨が折れる、という言い方がそのまま当てはまる仕事だった。

一六八五年二月二日の朝、イングランド王チャールズ二世は、ひげを剃らせている最中に様子がおかしくなった。寝室係の証言だと「灰のように青ざめて、ぞっとする顔色」だったという。次の瞬間、王は言葉を失い、悲鳴とも呻きともつかない声をあげてのけ。

イギリスの古い家は、壊すと何かが出てくる。これはもう、あちらの改修業者のあいだでは常識に近い。床板を剥がせば片方だけの子どもの靴。煙突の煤棚をかき出せば、乾いて板みたいになった猫。炉床の石をどけて掘れば、栓をしたままの陶器の瓶。振ると。

##赤い窓が一秒だけ開くカトマンズのダルバール広場から、土産物屋の並ぶ路地を少し入る。石の獅子が二頭にらみをきかせた門をくぐると、ぱっと視界が開けて、煉瓦造りの中庭に出る。三階建ての建物が四方を囲んでいて、黒ずんだ木の窓枠には気の遠くな

夫が死ぬ。それだけで、女の世界から色が消える。比喩ではない、本当に消える。腕輪は割られ、額の朱は拭われ、身につけるものは白一色に替えられる。髪は根元から落とされる。台所の火まで分けられる。祝いの席には呼ばれなくなる。昨日まで「めでたい人

ガーナ北東部、ガンバガ。泥をこねて積み上げた壁に、草を葺いた屋根。その戸口に、小さなプラスチックの腰掛けを置いて、ひとりの女が座っている。裸足の指先が、土の床をゆっくりとこすっている。着ているものは埃と時間でくたびれきっていて、もとの色

夜の二時。ガンジス川の西岸に、火が七つ灯っている。いや、灯っているという言い方は上品すぎる。燃えている。轟々と音を立てて、人間が燃えている。ここはインド・ウッタルプラデーシュ州ヴァーラーナシー。かつてバナーラス、あるいはカーシーと呼ばれ

土の匂いがする。まずそれに気づく。次に、鼻先から数センチのところに板がある、と分かる。手を動かそうとするが、びくとも動かない。腕は胸の上で組まされていて、その上から白い布がきつく巻かれている。指先だけがかろうじて動く。爪が木に当たって、

村の入口に、石の門が七つ並んでいる。安徽省の南部、黄山市歙県のトウエツ村という集落の東の道に、青灰色をした石の門が半円を描くように立っている。その光景を一度見ると、しばらく忘れられなくなる。門といっても扉はない。柱が四本、あるいは二本立

パレルモの中心から西へ二キロほど。カプチーニ広場という、観光客が偶然たどり着くことはまずない場所に、その入口はある。拍子抜けするくらい地味な門であり、看板も小さい。受付には修道士か、そのへんの係の人が座っていて、現金で三ユーロか五ユーロ

バンコクの下町の、間口の狭い金物屋でも、チェンマイの美容院でも、地方都市の中古バイク屋でもいい。レジの後ろか、棚の一番高いところに、小さな祭壇が据えてある。木彫りの小さな家か、金色に塗った箱。その中に、髷を頭のてっぺんで結った男の子の像

一七五一年四月二十二日、イングランド南部ハートフォードシャーの田舎道を、触れ役が歩いていた。ウィンズロウ、レイトン・バザード、ヘメル・ヘムステッド、三つの町に同じ文句が貼り出され、同じ声で読み上げられた。魔女とその亭主を、ロング・マース

十八世紀のロンドンで、絞首台のまわりには桟敷席が組まれていた。板を渡しただけの粗末な観覧席で、そこに座るには金を払う必要があり、良い席はかなり高くついたという。処刑は見世物だった、という言い方はよく聞くけれど、あれは比喩じゃない。本当に

眉を抜く。全部だ。一本残らず毛抜きでつまんで、根元から引っこ抜く。血がにじむこともある。そのうえに鉛の白粉をべったり塗って、生え際に近い高いところへ、墨で丸い眉を二つ描く。顔のパーツの位置が、物理的にずれる。これが引眉であり、ひきまゆ、

岩手県を中心に、東北には古い家の座敷や蔵に住み着く子供の神の話がある。座敷童子、ざしきわらしだ。その家に富と繁栄をもたらすという。姿を見せることは稀で、家人がふとした瞬間に気配を感じる程度。ごくたまに、はっきり目撃されることもあるらしい

日本各地の民間信仰の中でも、「蛇を殺すと祟る」という伝承はとりわけ根強い。庭先、田の畔、床下や蔵の裏、神社の境内。蛇に出くわす場所はどこにでもある。恐怖や嫌悪から反射的に殺してしまうとして、たいていはそれだけで終わる出来事のはずだ。とこ

カラコロと鳴っていた音が、片方だけ急に変わる。指が空を掻いて、足から離れた下駄が、数歩先の道へ飛んでいく。ぷつり。気づけば鼻緒が台の穴から抜けていて、緒だけが足の指にぶら下がっている。道の真ん中で片足立ちになったその姿は、誰が見ても決ま

享保18年の6月10日。六十三歳の男が、駒込の家を出た。男の名は食行身禄といい、江戸の町では伊藤伊兵衛と名乗って、油を売り歩く行商で暮らしを立てていた。その家は、下級武士の屋敷の居候先。妻と三人の娘があとに残され、いちばん下の娘は九歳だ

滋賀県が指定する有形民俗文化財の目録がある。蛭谷と君ヶ畑に伝わる木地師の文書を、綸旨から木札や印鑑まで、一点ずつ並べたものだ。いちばん上に載るのは、朱雀天皇綸旨。巻物が一巻。日付は承平5年で、西暦に直せば935年、正史の薨去から38年あ

王子二丁目の道ばたに、小さな社が一つある。装束稲荷神社という。社のそばには、「装束榎」と刻んだ碑が一基。碑があるのは、肝心の木がもう無いからだ。榎は明治の中ごろに枯れた。昭和4年(1929年)には道路の拡張にともなって切り倒され、碑と社

文政13年(1830年)の春、大坂の安堂寺町筋は、東から西まで抜け参りの人で埋まっていた。往来もむずかしいほどだ。書き留めたのは、大坂に住む町人らしい書き手。文化3年から弘化3年までの見聞をつづった『浮世の有様』に、その日の辻の様子があ

天禄2年(971年)の大晦日、京の家々から「なやらふ、なやらふ」という声が上がった。一人の女が、それを聞いていた。『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱の母だ。夫が別の女のもとへ通うと耳にした年で、追儺は幸せな家だけがする行事のようだ、と彼女は書

新入りの坑夫が、何も知らずに坑内で口笛を吹いた。古参の坑夫が血相を変えて飛んできて、新入りをひどくどやしつけ、ときには殴りつけたという。理由は単純だ。口笛を吹くと、天井を支えている山の神が油断をして、天井を落としてしまうからだった。この

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