国府宮の儺追神事――神男へ厄を託すはだか祭

愛知県稲沢市の尾張大國霊神社、通称・国府宮で行われる儺追神事は、裸男たちが一人の神男へ殺到する光景で広く知られる。だが、午後の激しい揉み合いだけを「裸祭り」の全体とすると、神事の筋を見失う。人々の厄を託した笹の奉納、神男の選定と参籠、儺追殿での儀礼、翌未明に厄を背負わせた土餅を追い出す夜儺追まで、厄を集め、移し、境外へ送り出す段階が連続している。

開催日は旧暦正月十三日に当たる日を基準に定められるため、新暦では毎年変わる。見学や奉納を考える場合、前年の記憶で日付を決めず、国府宮と稲沢市の当年案内を確認する必要がある。

起源伝承と現在の裸祭り

神社の由緒では、奈良時代の神護景雲元年(七六七)、称徳天皇の勅命により諸国の国分寺で悪疫退散の祈祷が行われ、尾張国では国府宮が儺追の祈りを担ったことを起源とする。これは神社に伝わる創始の説明である。現存する同時代文書だけで現在の全手順を復元できる、という意味ではない。

現在目立つ裸男の揉み合いは、神社の解説でも江戸時代末期から発達した形とされる。千年以上前の起源伝承と、近世以降に整った公開場面を同じ年代へ押し込めてはいけない。古い厄除けの神事が継承される中で、地域の若者集団や奉納の仕組みが加わり、今の大規模な祭りになったと考える方が実態に近い。

神男を選ぶ

儺追神事で人々の厄を一身に受ける役は「儺負人」、一般には神男と呼ばれる。希望者の中から神籤によって選ばれ、選定後は儺追殿で三日三晩の参籠に入る。日常の身分や名声で選ぶ人気投票ではなく、神意を問うくじを経て一人が役へ就く。

神男は栄誉だけを受ける英雄ではない。多数の人の災厄を引き受け、厳しい潔斎を守り、群衆の中へ身をさらし、夜儺追まで務める重い役である。本人の家族や職場、地域の支援なしには担えない。選ばれた瞬間から、個人の身体が共同体の厄を受ける器へ変わる。

神男が三日間こもることは、外界から隔離して罰するためではない。精進潔斎によって日常の状態を離れ、神事に耐え得る心身を整える期間である。現在は健康管理や警備、救護も不可欠であり、昔の苦行をそのまま再現するほど尊いという考え方は成り立たない。

なおい笹に託す

祭り当日、地域ごとの奉賛者は「なおい笹」を国府宮へ奉納する。大きな青竹に厄除けを願う布を結び、人々の思いを束ねて運ぶ。裸男として参加できない人も、自分の名や願いを記したなおい布を笹へ結ぶことで神事に関わる。

この布の存在は、祭りが裸男だけの閉じた競技ではないことを示す。女性、子ども、高齢者、遠方の人も、奉納や準備、沿道での支援を通じて厄除けの輪に加わる。歴史的に特定の役を男性が担ってきた事実と、共同体全体の参加を切り離さない視点が必要である。

各地から運ばれる笹は長く重く、担ぎ手は掛け声を合わせて進む。道路では交通規制が敷かれ、神社周辺へ奉納団体が順次集まる。酒を飲んだ勢いだけで自由に竹を振り回す行列ではない。地区ごとの責任者、時間、経路、受け渡しが秩序をつくる。

裸男の装い

参加する裸男は、さらしの褌と足袋を基本とした姿になる。真冬に近い時期の冷気の中で水を浴び、集団でなおい笹を担ぐ。肌を露出するのは見世物のためではなく、災厄を受ける神男へ触れるため、身一つになって神事へ入る表現とされる。

群れの中では体温が上がる一方、待機時には急激に冷える。低体温、脱水、転倒、圧迫、打撲への備えが必要である。飲酒は判断力を低下させるため、参加者向けの規則に従わなければならない。勇敢さを競って制止を無視することは、神事の奉仕ではない。

裸男を外から撮影する場合も、人格を忘れて身体だけを消費してよいわけではない。更衣場所や救護場所へ入り込む、顔を無断で拡大配信する、転倒者を助けず撮り続ける行為は避けたい。

神男が群衆へ現れる

午後、神男が参道の群衆へ姿を現すと、裸男たちは触れようとして一斉に近づく。神男へ触れることで自分の厄を落とし、神男に担ってもらうと信じられている。人々の身体が一点へ押し寄せ、周囲から水が浴びせられるため、外からは争いのように見える。

水をかける役は、熱気と混雑を鎮め、進路をつくる働きをもつ。神男を殴って倒すことや、最も強い者を決めることが目的ではない。神男を儺追殿まで無事に進ませるため、警護と裸男の協力が必要になる。

「触れば必ず一年無病」という表現も、信仰上の願いと医療上の保証を混同する。厄除けに参加しても、病気の検診や感染症対策、事故防止は別に必要である。触れられなかった人が不幸になるわけでもない。なおい布や参拝など、厄除けとの関わり方は一つではない。

揉み合いの危険を誇張しない

群衆事故の危険は現実にある。押されて倒れた人の上へ人が重なれば、自力で起き上がれない。寒い時期でも密集の中では熱中症状や呼吸困難が起こり得る。祭り側が導線、人数、救護、給水、規制を整えるのは、伝統を弱める措置ではなく継承の条件である。

見物人が規制線を越えて触ろうとすれば、裸男の流れを乱し、警備の注意を分散させる。小さな子を肩車したまま密集へ入る、脚立を通路へ置く、落とし物を拾うため流れに逆行することも危険である。当日の指示は、過去の写真で推測した「よく見える場所」より優先される。

事故が起きた人を「厄が強かった」「神男に拒まれた」と語るのは、被害者へ責任を転嫁する。圧迫や転倒には物理的な原因があり、原因を調べて運営へ反映させるべきである。

大鏡餅と地域の奉納

国府宮の祭りでは巨大な鏡餅の奉納も大きな役割をもつ。神社の案内では五十俵取り、重さ約四トン規模とされ、奉納地区が年ごとに力を合わせてつくり、運び入れる。餅は単なる記録競争ではなく、米を神へ供え、地域の労働と結束を形にするものだ。

奉納後の餅は神事を経て切り分けられ、厄除けの餅として人々へ授与される。巨大な一塊が小さな片へ分かれ、各家庭へ持ち帰られる流れは、共同体の供え物を生活へ戻す働きをもつ。衛生管理、切り分け、配布の手順も現代の祭礼運営に欠かせない。

翌未明の夜儺追

華やかな揉み合いが終わっても、儺追神事は完了していない。旧暦正月十四日に当たる日の午前三時ごろ、「夜儺追」が行われる。神社が神事の根幹として示すこの儀礼では、神男に集められた災厄を、土餅と呼ばれる餅へ負わせて境外へ送り出す。

土餅は土を塗った供物で、共同体の穢れを目に見える形へ集約する。神男は桃と柳の枝などに関わる儺追の道具を伴い、鈴の音とともに追い立てられる。境外で土餅を捨て、後ろを振り返らずに去る。神職はその餅を地中へ埋め、災厄が再び人の世界へ戻らないよう処理する。

午後の群衆が厄を「集める」段階なら、夜儺追はそれを「切り離して送る」段階である。神男に触れて終わりでは、災厄が一人に残ったままになる。土餅へ移し、境界の外へ出し、埋めることで筋が閉じる。この構造を知ると、裸男の揉み合いが神事全体の中の一工程であることが分かる。

桃と柳、土と餅

桃は古代以来、邪気を退ける植物として神話や儀礼に現れる。柳も柔らかな生命力や境界の道具と結びつけて説明される。国府宮の道具を全国共通の一義的な呪具と決めつけず、儺追の具体的な次第と神社の解説に沿って理解したい。

餅は祝いと供えの食物だが、土餅は食べるための餅ではない。災厄を吸収させ、捨て、埋める対象へ変えられている。同じ餅でも、大鏡餅は奉納と分配、土餅は厄の封じ込めという異なる役割を担う。白い餅に土を塗る変化は、清らかな供物が共同体の負のものを引き受けたことを視覚的に示す。

なおいの意味

「なおい」は儺追の読みとされ、災いを追い払う行為を指す。別の漢字や語源説明を用いる説も見かけるが、語呂合わせだけで祭りの古代起源を証明することはできない。祭礼語は長い使用の中で音と表記が重なり、地域固有の意味を帯びる。

厄は目に見えないため、笹、布、神男、土餅という順に受け渡す。人から布へ、布の願いと裸男の接触から神男へ、神男から土餅へ、土餅から地中へという移動が、曖昧な不安を処理可能な形へ変える。これは迷信ゆえの無意味な動作ではなく、共同体が災厄を共有し、区切りをつける儀礼技術である。

怪談化される神男

一人が無数の厄を受ける設定は、神男が早死にする、役を終えると人格が変わる、夜道で厄の声を聞くといった怪談を生みやすい。だが、そのような話を歴代神男に共通する事実として流布すれば、実在の奉仕者と家族を傷つける。公式由緒、地域の口承、創作的な噂は区別しなければならない。

夜儺追の「振り返らない」所作も、振り返れば即座に死ぬという物理法則ではない。送り出した災厄との関係を断ち、元の場所へ戻さないという儀礼上の表現である。恐怖を煽るほど価値が増すのではなく、手順が共同体の不安をどう整理するかに目を向けたい。

祭りを支える人々

奉納地区、神職、神男の支援者、裸男、水掛け役、警備、医療、交通、餅の製作と切り分けなど、儺追神事には多くの人が関わる。群衆の中央にいる神男だけを主人公にすると、女性や高齢者、子どもを含む地域の働きが消える。

祭りの継承には、人口構成、働き方、道路環境、救急体制の変化へ対応する必要がある。参加条件や観覧区域が変わる可能性もある。過去の荒々しさを理想化して安全策を敵視するより、厄を集めて送り出す筋を守りながら、誰がどの責任を担えるかを更新することが大切である。

標柱建てから始まる町の時間

儺追神事の前には、開催を知らせる標柱が立ち、町の景観が祭りへ切り替わる。神男の選定、大鏡餅の製作、奉納地区の準備が段階的に進み、当日の数時間より長い時間を地域が共有する。標柱は案内板であると同時に、厄除けの期間へ入ったことを知らせる境界標になる。

祭り後も餅の切り分けや授与が続き、旧暦正月十七日に関連行事が行われる。午後の揉み合いを終点にすると、準備と後処理を担う人々の時間が消える。開始と終了をどこに置くかは、祭りの意味を左右する。

布に願いを書くこと

なおい布は小さく、裸男の群れへ入らなくても持ち帰ったり笹へ結んだりできる。身体的な危険を伴う参加だけを最上位とせず、布へ願いを託すことも正式な関わり方として尊重される。病気や障害、年齢、仕事の事情で現地へ行けない人の厄除けを地域が受け入れる仕組みである。

布の扱いには神社の案内があり、無関係な場所へ大量に結ぶ、個人情報を撮影して公開することは避ける。願いの内容を見物人が品評するものではない。匿名性と信仰上のプライバシーを守ることも現代の祭礼運営に含まれる。

神男の回復

揉み合いと夜儺追を終えた神男には、休養と健康確認が必要である。役が終われば厄も身体的負担も自動的に消えるわけではない。打撲、擦過傷、脱水、寒冷の影響を確認し、必要なら医療につなぐ。

歴代神男を称えるとき、耐えた傷の数を競わせる語りは避けたい。無事に役を終えられた背景には、警護、水掛け、救護、家族、参籠を支える人がいる。個人の武勇だけに還元しない記録が、次の奉仕者の安全にも役立つ。

子どもと地域史

子どもに祭りを伝える際、「男たちが裸で暴れる日」とだけ説明すれば、厄を移して送り出す筋も、女性を含む支え手も伝わらない。なおい笹から夜儺追までを図や実物で学べば、群衆へ無理に近づかなくても祭りへ参加する方法を理解できる。

起源伝承と江戸末期に発達した裸男の形を分けることも、伝統を弱めるのではない。変化の歴史を知れば、今後安全策や参加方法が変わっても、何が儺追の核かを判断できる。神男へ厄を集め、土餅へ移し、境外へ送る構造が、時代を越えて読み継ぐべき中心である。

終了後の町

交通規制が解除されても、竹、衣装、餅、仮設設備の片づけが残る。道路の清掃、負傷者の確認、運営記録の整理までが次回への準備になる。大量の来訪者が出したごみを地域だけに負わせず、見物人は持ち帰りと分別を守りたい。

神事の結果を「厄が消えたから何をしても安全」と受け取らず、日常の健康、防災、人間関係を整える契機にする。厄除けは注意を手放す免許ではなく、新しい年を慎重に始める区切りである。

参照した公開資料

※開催日、裸男の参加方法、奉納経路、交通規制、観覧区域は年により変わる。国府宮と稲沢市の当年発表を優先したい。

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