三人の写真で真ん中を避ける話
三人で写真を撮ると真ん中の人が早く死ぬ、という迷信は、人数が三人になった途端に立つ場所を気にさせる。中央に立った一人。写り方と撮影後の人生を結び付け、日常の一枚へ不吉な意味を与える話だ。
この迷信の紹介では、一人を外すか、もう一人呼ぶと大丈夫だと説明され、立つ位置をじゃんけんで決める場面も登場した。人数を変える逃れ方だ。三人の真ん中に一人が立つ並びを避ければ、不吉な役を押し付け合わずに済む。
舞台になったのは、学校での記念撮影、家族旅行、友人同士の一枚で、特別な場所や道具を用意する筋ではなかった。三人そろうだけだ。何げなく撮る場面に入り込むから、話を知った人には、自分の立つ位置も急に気になってくる。
怖いのは、真ん中になった人だけに印が付くように感じられることだ。撮影した時には笑っていた写真も、後で誰かが亡くなると違って見える。けれども、並び方と死の順序が重なった一枚だけでは、因果関係は分からない。
家族の中央にいる年長者
年長者や主賓が中央に座る場面を、迷信の由来と結び付ける説明があった。祖父母を囲む一枚。両側に子や孫が並んでいるなら、撮影後に誰が先に亡くなったかを考える時、位置より先に年齢の違いにも目が向く。
この説明は、年齢という別の条件に目を向けるものだ。中央に立つことと、年長者であることが重なっているかもしれない。位置による影響を考えるなら、年齢や健康状態なども比べる必要がある。
家族と友人と職場では、主役を中心へ置く理由も、背の高さで並ぶ理由も違う。年齢だけで並ぶわけではない。年長者が中央にいる写真を由来に挙げる説も、あらゆる三人写真に当てはまる説明ではなかった。
家族で撮った一枚から祖父を切り出して遺影にしたという筋では、残された人が元の並び方を思い返した。中央にいた祖父。大切な写真を見て亡き人を思う場面が、迷信を知っている家族には、位置と死が重なった記憶として描かれた。
この筋で遺影が選ばれたのは、祖父が亡くなった後だった。順番をほどいてみよう。撮影、死、写真の選択という流れを押さえると、後から意味を与えられた一枚と、生前の出来事を分けて読む手掛かりになる。
レンズと魂を結び付ける由来説
レンズの説は、古い写真では中央が鮮明で端がぼけ、はっきり写った人ほど魂を取られると考えた、と説明した。鮮明な顔への警戒。写真の仕組みをよく知らない人の不安と、中央を避ける迷信を結び付ける筋書きだ。
古い写真といっても、使うレンズや、焦点を合わせる場所まで同じではない。鮮明に写る顔を不気味だと感じることと、実際の写り方の仕組みも別の話だ。レンズの説には、見慣れない技術で自分の姿を残されることへの警戒が重なる。
魂を取られるという説明は、撮影そのものを怖がる理由としてはつながる。なぜ三人なのか。二人や四人の写真にも鮮明に写る人はいるため、写真への警戒と三人の中央だけを避ける決まりの間には、もう一つ説明が要る。
撮影には、生きている人の姿を後まで残すという特徴がある。その写真を死後に見れば、もう会えない人が目の前にいるようにも感じられる。この感覚が怪談に向くという読み方と、実際に魂を奪うという主張は違う。
フラッシュを浴びすぎると魂が抜ける、という言い伝えもある。写真に写った回数が多いほど寿命が縮むという話もあった。こちらは三人の並び方ではなく、光を浴びることや撮影の回数に、生命力が失われる怖さを重ねている。
海外にも撮影を嫌う人がいたという説明では、ヨーロッパやアメリカ先住民の話が出てくる。撮影を嫌う理由まで、一つにそろえることはできない。魂への恐れという読み方に触れるときも、地域や時期の違う人々を、同じ信仰の持ち主として眺めないようにしたい。
写真への警戒があったことと、日本の三人写真の迷信がそこから伝わったことは別である。伝わった道筋を示すには、時期や媒体をつなぐ記録が要る。似ているという印象だけでは、起源の証明にはならない。
数字の三を不吉とする説明
三を惨や三途の川に結び付けた説明は、言葉の音から死を連想し、不吉さを写真へ重ねた。数字を読む由来説。写りの鮮明さを問題にしたレンズの説と違い、写真の技術を知らなくても、短い言葉だけで理由を語れる形だった。
三を縁起のよい数として読む場面もあり、同じ音にいつも死の意味が込められるわけではない。文脈が変わる。同じ数を使った言葉でも、祝いの場と怖い話の場では、聞き手が思い浮かべるものが違ってくる。
語呂による理由は短く覚えやすく、写真を嫌うわけを後から説明する時にも、話を一言で済ませられる。たしかに分かりやすい。短い言葉で不吉さを共有できるため、撮影の直前にも口にしやすい。
年長者の位置、写真への警戒、数字の連想は、いずれも由来の候補として読める。それらが重なって生まれたという考えもある。一つの由来に決めなくても、普段の並び方や言葉の響きが、一枚の写真へ不吉な意味を添える様子が見えてくる。
期限や写真の写り方が変わる話
三人写真の話には、三年以内に不幸が起きるという形もある。早死にとは限らず、不運や病気が続くという形も紹介される。結果が変わると、同じ一枚を何に結び付けるかも変わってくる。
写真を他人に見せたり、送ったりすると、災いが移るという筋書きもある。中央にいる人だけでなく、見る人まで怖さに巻き込む展開だ。これは撮影時の並び方を気にする迷信から、写真を介した怪談へ広がっている。
撮影した時にはいなかった誰かが、真ん中に写る話もある。中央の人の輪郭だけがぼけたり、違う姿に見えたりする話も添えられる。真ん中の怪という呼び方を付けた紹介では、人物の位置より異常な画像が主題になる。
こうした話では、三人で撮ったはずなのに、中央の顔だけが違って見える。知らない誰かが入り込んだのか、中央にいた人の姿が変わったのか。人数を避けるだけだった迷信が、写真の中で誰が変わったのかを探す怖さへ変わっていく。
年長者は気にし、若い人は笑い飛ばす、という対比で語られることもある。けれども、年齢だけで信じる気持ちが決まるわけではない。怖い話として楽しむ人と、念のため避けたい人が同じ一枚に入るとき、三人で写るかどうかが小さな相談事になる。
体験談のように語られる三つの場面
三人写真の怪談は、学校の友人との旅行、正月の家族写真、職場の同僚との一枚にも入り込む。どれも記念に撮ったはずの写真だ。後から迷信を聞いたり、写っていた人の身に変化が起きたりすると、撮った時とは違う意味を帯びてくる。
寺の碑を背景に三人で撮った話では、旅行先で記念の一枚を残した後、中央に立つと危険だと知らされた。迷信を聞く前の一枚だ。何かが起きる前から写真の自分を気にする結末になり、知るのが遅れたという不安が残った。
正月の三世代の写真では、中央にいた祖父が後に亡くなり、その一枚が遺影に選ばれた。家族の記念が遺影に変わる。残された人が並び方を思い返す結末は、楽しい時間の写真に、別れの記憶が重なった場面を描いた。
職場の三人で撮った話では、中央にいた同僚が病気で長く休み、次からは三人で写ることを避けた。死まで描く結末ではない。早死にの予言だった話が病気にも結び付けられたため、何を結果と数えたかが変わる筋になった。
三つの場面で写真が読み直されたきっかけは、撮影後に聞いた迷信や、家族の死、同僚の病気だった。後から重なった意味。寺や年長者という要素が怖さを強めても、出来事が続いた順序と、撮影が原因だったという説明は分けて考えられる。
年代が添えられた話には、一九九〇年代に中央で写った女性が体調を崩した筋もある。二〇〇〇年代の関西では、子ども三人の撮影を家族が避ける筋も語られた。写真を撮った後に不吉さを思い出す話と、撮る前から避ける話では、同じ迷信の怖さも違って見える。
誰かの体験のように語られると、古い迷信が急に身近になる。自分たちも三人で写真を撮ったことがあるからだ。反対に、何も起きなかった一枚は話になりにくく、不吉な出来事と結ばれた写真ほど記憶に残りやすい。
写真が日本に広がった時代
写真の歴史を知ることは、古い起源をうたう説を考える手掛かりになる。国立国会図書館の上野彦馬の解説では、1861年ごろから写真術を研究したと説明される。下岡蓮杖とほぼ同時期に写真館を開いた人物である。
彦馬の客は長崎の外国人から日本人へ広がり、坂本龍馬や高杉晋作を撮影し、明治期には西南戦争の記録写真も残した。人物の活動をたどる写真史。同館の紹介からは、幕末の肖像と明治の記録が、一人の写真家の仕事につながった様子が読める。
写真家の活動から分かるのは、どんな時期にどんな撮影が行われたかで、三人写真の迷信の初出は別の記録に属する。写真があった時代。幕末にこの話を聞いた人の日記や記事が見つかれば、技術の歴史と語りの歴史を結ぶ手掛かりになる。
日本への導入には、1843年の輸入の試み、1848年の写真機の到来、1862年の写真館の開業といった節目を挙げる説明がある。写真機が届くまでと、撮影が商いになるまでは別の話だ。技術が日本へ入った歴史を知っても、三人の中央を避ける迷信の始まりまで、同じ年表から決まるわけではない。
1870年代後半以降の乾板の普及を、撮影時間の短縮に結び付けた説明もあった。技術の変化を読む論点だ。撮れる場面が変われば写真との関わりも変わるが、その変化だけでは、三人の中央を嫌う理由までは説明できない。
日本カメラ博物館の技術史の紹介では、湿板は1851年、乾板は1871年に発表されたと説明される。湿板は薬品を塗ったガラス板が湿っている間に撮る方式だ。乾板では、乾いた状態で保管や撮影ができるようになった。
同館が紹介した1888年のロールフィルム用カメラは、撮影後にカメラごと現像所へ預け、プリントとともに返される仕組みだった。預けるのはフィルムだけではない。感光材料や機材が異なる写真を、古いという一語で同じ写り方にそろえるのは難しい。
1839年に発表された銀板写真についても、同館は原板そのものを鑑賞し、複製できない方式と説明した。鑑賞するのは一枚の原板だ。後の湿板では原板のネガから印画紙へ複製できたため、同じ写真を残す方法にも技術による違いがあった。
写真が高価で貴重だったことを、迷信の背景に挙げる考えもある。一枚を長く残し、後から見返すため、人生の節目と結び付きやすかったという読み方だ。値段や撮影機会は時代と地域で異なるため、単純に一つの暮らしを想定しない方がよい。
写真史と迷信の由来を読む
この迷信の由来説には、『日本写真史』という書名も出てくる。写真の歴史をたどる本と、迷信の語りを集める本では、知りたいことが違う。写真術の始まりを読むときも、中央を避ける話がどのように説明されているかに目を向けたい。
東京都写真美術館の年表が根拠として紹介される場合も、同じ区別が必要だ。写真機の導入や技術の年表と、民間の迷信を記録した資料は役割が違う。美術館の名が添えられていても、迷信の起源まで裏づけたことにはならない。
「真ん中に写っても大丈夫か」という相談は、この迷信の怖さをよく表す。撮り直せない写真が残っていると、気にするなと言われても立ち位置を思い出してしまう。質問サイトの相談として紹介されるのも、怪談の続きを知りたいというより、自分の一枚を安心して見たいという不安だろう。
掲示板や交流サイトで話を見かけると、身近でも起きそうに感じられる。けれども、同じ話を何度読んでも、中央に立った人の寿命を比べた統計にはならない。体験談としての怖さと、写真に何かの力があるかという問いは分けて考えられる。
古い雑誌や新聞、民俗の採録に、三人の中央を避ける記述が見つかれば、年代の手掛かりになる。ただし、その記録より前に口頭で伝わった可能性は残る。見つけた最古の例と、話が生まれた瞬間は同じではない。
写真と死をどう分けて考えるか
三人で写る場面は、家族や友人だけに限らない。表彰台や三人組の活動を思い浮かべても、中央に立つ機会は多い。そうした例は話を考え直すきっかけにはなるが、それだけで寿命の比較をしたことにはならない。
もし中央の人に何かが起きても、両端の人や別の写真についても見る必要がある。何も起きなかった一枚を忘れ、怖い結果だけを覚えているかもしれない。どの写真を選んだのかによって、受ける印象は大きく変わる。
三年以内の不幸を予言した筋と、数年後に祖父が亡くなったという筋がある。撮影からの期間も、起きた出来事も違う。いつまでの話だったか。撮影後に期限を延ばしてしまうと、最初に聞いた予言を何によって確かめたのかが曖昧になる。
写真の歴史や紹介された筋書きから、中央にいた人の寿命を短くする働きは確かめられていない。ちょっと安心してよい。位置が原因だったと読むには、年齢や健康、撮影してからの期間まで分けて比べた資料が要るので、一枚の偶然だけで自分の寿命を決めなくていい。
家族が迷信を気にする場合は、なぜ嫌なのかを聞けば、昔の思い出に触れることもある。無理に中央へ立たせなくても、一枚の写真は残せる。相手の気持ちへの配慮と、迷信が事実だと認めることは分けて考えられる。
よくある質問
写真の真ん中の人は早死にする?
この記事で紹介した写真の歴史や怪談から、中央の人が早死にすると判断する根拠は得られない。年長者が中央にいる場合は、年齢などの条件も分けて考える必要がある。迷信の初出や、位置と死亡率を調べた具体的な資料は特定できていない。
