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エンガチョ切った――子どもだけが受け継いだ「穢れを断つ」指の呪術

## 昼休みの校庭で、呪術が発動した
誰かが叫ぶ。「あっ、コイツ犬のフン踏んだ!」その一言で、空気の質が変わる。さっきまで同じドッジボールのコートにいた三十人が、いっせいに後ずさりする。逃げながら、全員が同じ動作をしている。胸の前で手を組む。人差し指と中指を交差させる子もいれば、両手の親指と人差し指で輪っかを作ってつなぎ合わせる子もいる。そして口々に叫ぶんだ。「エンガチョ切った」「エンガチョ切った」。踏んだ本人は、靴の裏を見て呆然としている。もう誰も近寄らない。触られたら移るからだ。移された側は、次の誰かに触るまで一人だ。あれは遊びだったのか、それとも本物の儀式だったのか。大人になってから思い返すと、あの光景はちょっと異様だったなと思う。
## ルールだけは、なぜか全国共通だった
呼び方は地域でバラバラなのに、ルールの骨格はほとんどブレない。まず「穢れたもの」に触れた人間が発生する。次に、その穢れは接触によって伝染する。そして、指で作った印を組み、それを切る所作をすることで伝染を遮断できる。この三点セットが、北から南までほぼ同じ形で存在していた。誰かが全国の小学校に通達を出したわけでもないのに、だ。しかも大人は関与していない。教師も親も教えていない。にもかかわらず、新一年生は入学して数週間で完璧にこのルールを習得する。上級生を見て覚えるからだ。日本語俗語辞書はこれを「汚れ(鬼)は触れられた者に移る」という理念で動く遊びだと説明しているが、この「移る」という一語がすべてなんだよな。
## エンガチョ、エンガ、ビビンチョ、エンピ、バリヤー
名前のバリエーションがとにかく多い。もっとも広く知られているのが「エンガチョ」で、これを縮めた「エンガ」もある。「ビビンチョ」という妙に可愛い響きのやつもあれば、「エンピ」というそっけないのもある。そして戦後になって混ざり込んできたのが「バリヤー」だ。これは明らかに特撮やSFの語彙が子どもの呪術に流入した結果で、意味としては「切る」ではなく「防ぐ」に変質している。他にも「ビビ」「エンガチョンボ」「かーぎ」「ぴっぴ」といった断片的な呼称が各地で報告されているが、共通するのは短くて、叫びやすくて、意味不明な音の連なりだということ。呪文というのは意味が分からないほうが効くもんだ。
## 「バリア」が「切る」を追い出していった
興味深いのは、世代が下るにつれて「エンガチョ」系が減り、「バリア」系が増えていくことだ。昭和の子どもは「切る」と言った。縁を切る、穢れの糸を断つ、という発想。それが平成に入ると「バリア」になる。切るんじゃなくて、張るんだ。自分の周りに膜を作って、外から来るものを跳ね返す。この変化はけっこう大きい。切るというのは、相手との間にあった何かを断ち切る行為で、つまり相手との関係を前提にしている。バリアは関係を前提にしない。ただ自分を囲うだけだ。同じ遊びに見えて、根っこにある世界観がすり替わってる。
## 指の組み方で、本気の口論になった
子どもたちは印の形にやたらこだわった。「それじゃ切れてない」「そのやり方は無効」と真顔で言い合う。研究者もこの点はきちんと拾っていて、京馬伸子は一九九〇年に「子どもとケガレを考える——エンガチョを中心に」という論文を書き、エンガチョの印について複数の形態を図で示している。つまり学問の対象になるくらいには型が分岐していた。以下、代表的な型をひとつずつ見ていく。ちなみにどれが正統かという議論に答えは出ない。出ないからこそ、当時の校庭では殴り合い寸前になったんだよな。
### 人差し指と中指を交差させる型
いちばん多いのがこれ。片手で人差し指と中指をクロスさせて、それを胸の前に突き出す。西洋の「fingers crossed」と形は同じだが、意味は正反対に近い。向こうは幸運を祈るか、嘘をつく時の免罪符。こっちは穢れを遮断する結界だ。この型の強みは片手で完結すること。逃げながらでも発動できる。ドッジボールのボールを持ったままでも片手でやれる。実戦向きの型と言っていい。ただし「片手じゃ弱い」と主張する派閥が必ずいて、両手でクロスを二重にする改良型を使う子もいた。
### 両手で輪を作ってつなぎ合わせる型
これがいちばん「儀式っぽい」やつ。両手それぞれで親指と人差し指をくっつけて輪を作り、その二つの輪を鎖のように組み合わせる。そして「エンガチョ」と唱えてから、輪を勢いよく引き離す。「切った」と叫ぶのはこの瞬間だ。鎖が断ち切られる、というイメージが視覚的にはっきり出る型で、演出としては最強。輪をつなぐという動作が「縁」の物質化になっていて、それを引きちぎるわけだから、語源として言われる「縁を切る」に一番忠実な型でもある。手が塞がるので機動性は落ちるが、儀式としての説得力は群を抜いている。
### 第三者に切ってもらう型
これがいちばん不気味だ。自分では切れない。両手の人差し指をつないで輪を作り、それを他の子に手刀で切ってもらう。切る側は「はい、切った」と言いながら、つないだ指の間を上から叩き落とす。つまり、この型では穢れからの離脱に「証人」が必要になる。一人では清められない。誰かに認めてもらって初めて、共同体に戻れる。これはもう完全に祓いの構造だ。しかも切ってくれる子がいなければ、その子は永遠に切れない。仲間外れの装置として、この型はいちばん残酷に機能した。
### 親指を挟み込んで拳を握る型
人差し指と中指の間に親指を差し込んで拳を握る、いわゆる「コックリさん」的な形。これも各地で報告されている。この形自体は、日本では古くから邪気を防ぐ印として使われてきたもので、葬列を見た時や霊柩車が通った時に親指を隠すという習俗と直結している。親指は「親」を意味するから隠すんだ、という後付けの説明が有名だが、実際にはもっと古い護身の印が子どもの遊びに流れ込んだ結果だろう。エンガチョの中でこの型を使う地域は、他の型より「呪い」の色が濃い。
## 何が「穢れ」に指定されたのか
穢れの対象リストは、大人の民俗学的な穢れ観と驚くほど一致する。犬や猫の糞。便所、特に汲み取り式の便所に落ちたとか、便所の壁に触ったとか。道端で死んでいるカエル、スズメ、ネズミ。それを棒でつついた子。そして葬列。霊柩車。墓地の土を踏んだ靴。これらはすべて、神道的な穢れの分類でいう「死穢」「不浄」に当てはまる。子どもは誰にも教わらずに、大人社会の穢れカテゴリーをそのまま復元していたわけだ。ここが本当に薄気味悪いところで、遊びの形をした穢れ観の完全なコピーが、子ども集団の中だけで独立に維持されていた。
## 便所と糞尿が最上位に来る理由
どの地域の証言でも、糞尿系が穢れランキングの一位を独走する。犬の糞を踏むというのは、エンガチョ発動の最頻出トリガーだった。これは単に汚いからという以上の意味がある。中世以来、日本の穢れ観では排泄物と死体は同じ棚に置かれていた。汲み取り便所が現役だった昭和の子どもにとって、便所は家の中にある異界の入口みたいなもので、暗くて臭くて、落ちたら死ぬかもしれない場所だった。実際「便所に落ちた子」の逸話は各地に残っていて、その子が学校でどう扱われたかという証言はかなり生々しい。清潔の問題ではなく、境界を越えてしまった者への処遇の問題なんだよな。
## 死んだ生き物に触った子
葬列や墓に比べると軽く見られがちだが、死んだ生き物系のエンガチョは頻度が高い。道路で轢かれたカエル、巣から落ちて死んだ雛、水路に浮かんだ魚。それを手で拾った子は、その日一日「切られる」対象になった。面白いのは、棒でつついただけならセーフ、素手で触ったらアウト、という細かい判定基準が存在したこと。しかも棒を持っていた子も「棒経由で移った」とみなす地域と、道具は媒介しないとする地域があって、この判定をめぐって学級会レベルの論争が起きたりする。死穢の伝染力についての神学論争を、九歳がやっていたわけだ。
## 網野善彦が言った「縁を切る」
語源として最も有名なのが、中世史家の網野善彦が示した説。「エン」は「穢」あるいは「縁」、「チョ」は擬音の「チョン」が縮まったもので、全体として「縁(穢)をチョン切る」という意味だとする。この説の強さは、中世の穢れ観と縁切りの作法という具体的な歴史的文脈に接続できる点にある。網野は中世日本の非人や職能民、そして穢れの管理という主題を長年扱ってきた人で、その視点から見ると、エンガチョは中世の穢れ処理の作法が子どもの遊びとして化石化したものに見える。言葉の分解としてもきれいで、実際いちばん広く受け入れられている。
## 「因果の性」がなまったという説
対抗馬として挙がるのが「因果の性(いんがのしょう)」の転訛説だ。因果の性、つまり前世からの業や宿命を意味する仏教語がなまってエンガチョになった、という筋書き。この説の魅力は、なぜあの子が穢れを引き受けなければならないのかという問いに、業という答えを用意している点にある。ただし音韻の変化としてはかなり無理がある。イ→エ、ノショウ→チョという飛躍を説明する中間形が見つかっていない。学術的には旗色が悪いが、この説を推す人が今も一定数いるのは、言葉の響きに宗教的な重みを感じるからだろう。
## 「縁が千代切った」の切れ味と弱点
三つめが「縁が千代切った」の略だとする説。千代、つまり千年にわたって縁が切れた、という意味で、断絶の完全性を強調している。子どもが叫ぶ「エンガチョ切った」というフレーズが、そのまま「縁が千代切った」の音を保存しているように聞こえるのが強みだ。ただし決定的な弱点があって、この説だと「切った」が二重になる。「縁が千代切った切った」になってしまうんだ。実際の用例では「エンガチョ」と「切った」は明確に分離して使われ、「エンガチョ」だけで名詞として機能している。だから語源としては後付けの民間語源である可能性が高い。ちなみに『大辞泉』は逃げていて、語源は不詳と書いている。
## 平治物語絵詞に、あの指が描かれている
ここからが本番だ。エンガチョの所作は、少なくとも十三世紀には存在していた。十三世紀ごろの『平治物語絵詞』に、信西の生首を見物する群衆の場面がある。晒された首を見上げる人々の中に、人差し指と中指をはっきり交差させている人物が描かれているんだ。八百年前の京都の路上で、誰かが今の小学生とまったく同じ指を組んでいた。死穢に触れないための印として。これを最初に指摘した研究者たちの興奮は想像できる。子どもの遊びだと思っていたものが、中世の絵巻の中から出てきたわけだから。
## 餓鬼草紙の便所と、糞尿の風景
『餓鬼草紙』は十二世紀末から十三世紀初頭に成立したとされる国宝の絵巻で、餓鬼道に堕ちた者たちの姿を克明に描いている。とりわけ有名なのが、屋外の便所とおぼしき場所で人々が用を足し、その周囲に糞を貪る食糞餓鬼が群れている場面。京都国立博物館と東京国立博物館にそれぞれ別系統の本が伝わっていて、東博本は夏になると特別公開されることがある。この絵巻がどうしても外せないのは、中世人にとって糞尿と死と餓鬼が地続きの風景だったことを、これ以上ないくらい直接に示しているからだ。エンガチョの穢れリストの最上位が糞尿である理由が、この絵の中にある。
## 中世の穢れは、実務だった
現代人は穢れを気分の問題だと思いがちだが、中世においては行政上の実務だった。死体や糞尿が発生すると、その場所は一定期間「触穢」の状態になり、そこに立ち入った者も穢れを負う。穢れを負った者は宮中への出仕を止められ、神事に参加できない。日数まで細かく決まっていた。つまり穢れは伝染する法的ステータスだったんだ。誰が穢れているかを判定し、隔離期間を管理し、清めの手続きを踏ませる。この一連の作業を担う人々がいた。エンガチョの「触られたら移る」「切れば解除」というルールは、この実務の縮小コピーそのものだ。九歳の子どもが、中世の触穢制度を運用していたことになる。
## 京馬伸子の図解と、学問になった瞬間
一九九〇年、京馬伸子が「子どもとケガレを考える——エンガチョを中心に」を発表する。この論文の価値は、消えつつあった所作の型を図として記録に残したことにある。子どもの遊びは記録されない。教科書にも載らず、郷土史にも書かれず、当事者が大人になって忘れれば、それで消える。実際、エンガチョの型は昭和の終わりから急速に単純化していった。この論文がなければ、いくつの型があってどう分岐していたのかを、僕らは復元できなかっただろう。民俗学が子どもの遊びを本気で扱った、地味だけど決定的な仕事だ。
## 昭和三十年代から五十年代、爆発期
エンガチョがもっとも猛威をふるったのは、昭和三十年代から五十年代にかけてだ。ちょうどテレビと学年別学習雑誌が全国の子どもに同じ情報を届けはじめた時期と重なる。それまでは地域ごとにバラバラだった呼称や型が、この時期に急速に混ざり合い、標準化していく。転校生が持ち込んだ「よその型」が学級に定着したり、雑誌の投稿欄で「そっちでは何て言う?」というやり取りが起きたりした。皮肉なのは、全国標準化が進んだのと同時に、遊び全体が急速に衰退していったこと。地域の固有性が失われた瞬間に、伝承の生命力も抜けていったんだよな。
## 千と千尋の神隠しで、全国区どころか世界区に
二〇〇一年公開の『千と千尋の神隠し』が、この言葉を完全に蘇らせた。物語の中盤、千尋が父親の腐りかけた食べ物やオクサレ様まわりの汚れに触れてしまう場面がある。ボイラー室で釜爺が千尋の手を取り、「えんがちょ!」と叫んで、千尋のつないだ指を自分の手刀でスパッと切る。あの型は、さっき挙げた第三者に切ってもらう型そのものだ。監督がどこでこの型を仕入れたのかは分からないが、選ばれたのがいちばん儀式性の高い型だったのは偶然じゃないだろう。この一場面で、平成生まれの子どもたちが「えんがちょ」という語を知り、海外の観客まで巻き込んで、日本のローカルな子ども呪術が世界に輸出された。
## 釜爺の手刀がやっていたこと
改めてあの場面を見ると、けっこう正確な祓いになっている。まず千尋が穢れを負う。次に千尋自身は自分で解除できない。釜爺という年長者が、切る役として介入する。切られた瞬間、穢れは消える。この構造は、共同体における清めの手続きの雛形だ。切る役は誰でもいいわけじゃない。権威を持つ者、あるいは少なくとも清浄な側にいる者でなければならない。校庭で誰かが「オレが切ってやる」と申し出るとき、その子は無意識に釜爺の位置に立っていた。そして誰も切ってくれない子は、共同体に戻る手続きを踏めないまま放置される。
## 海外にも、まったく同じものがある
アメリカとイギリスの子どもには「cooties」という概念がある。特定の子が「クーティーズ」という架空の病原体を持っていることにされ、触られると移る。防ぐために架空の予防注射の真似をしたり、指で印を作ったりする。ドイツやフランスにも似た遊びがあるし、韓国にも中国にもある。つまりこれは日本固有の風習ではなく、子ども集団が一定規模になると自然発生する構造なのかもしれない。誰か一人を「不浄」に指定して、残り全員が同じ側に立つ。この構図が集団の結束をいちばん安く作れる方法だからだ。安いというのは、コストが低いという意味であり、同時に、質が悪いという意味でもある。
## 体験談その一 転校生が持ち込んだ「無効な型」
昭和五十年代前半、北関東のある小学校に大阪から転校してきた男子がいた。彼はエンガチョを知っていたが、型が違った。地元の子は両手の輪を組んで引き離す型を使うのに、彼は片手のクロスだけで済ませた。ある日、彼が犬の糞を踏んだ子に触られてしまい、いつも通り片手のクロスを出したところ、クラス全員から「それ効いてない」と言われたという。彼は必死に「大阪ではこれでええねん」と主張したが、通らなかった。結局その日一日、彼は「切れていない子」として扱われた。三十年以上たってから同窓会でこの話が出たとき、彼はまだ少し怒っていたそうだ。呪術の正統性をめぐる争いというのは、こういう形で人の記憶に残る。
## 体験談その二 三日間、学校に来なかった子
これは笑えない話だ。九州のある小学校で、家庭の事情から服が汚れがちだった女子児童がいた。ある日、彼女が体育の時間に転んで泥まみれになったのをきっかけに、クラスの何人かが「エンガチョ」を叫びはじめた。最初は転んだことへの茶化しだったのが、その日のうちに彼女個人に固定された。翌日から、彼女が通った廊下を歩くだけで指を組む子が出るようになった。彼女は三日間学校を休み、担任が家庭訪問して事情が発覚した。学級会が開かれ、エンガチョは禁止された。ここが重要なところで、この遊びは対象が「物」から「人」に移った瞬間に、遊びであることをやめる。移った先はいじめだ。当時この線引きを言語化できた大人はほとんどいなかったし、今も難しい。
## 体験談その三 親に聞いたら、忘れていた
二〇一〇年代、ある人がふと思い立って、七十代の父親にエンガチョの型を実演してもらおうとした。父親は「ああ、エンガチョな」と言葉自体は即答したが、指をどう組むかは思い出せなかった。何度かやってみて、途中で「違うな」と首をひねる。最終的に、その人が自分の記憶にある型をやって見せると、父親は「そうそう、それだ」と言った。でも、その人が覚えている型は昭和五十年代の型で、父親が子どもだった昭和二十年代の型とは違うはずなんだ。つまり父親は、息子の記憶を借りて自分の記憶を上書きしてしまった。この呪術は、大人になった瞬間から急速に忘却される。使う場面がなくなるからだ。継承しているのは常に、今まさに子どもである者たちだけ。
## 掲示板がざわついた「あなたの地域では何て言った」
ネット上でこの話題が出ると、必ず地域対抗戦になる。「うちはビビンチョだった」「エンピって言ってた」「うちの学校は指切らないで、腕を交差させて手のひらを相手に向けるバリアだった」といった書き込みが延々と続く。おーぷんや過去のまとめサイトにも同種のスレが何度も立っていて、面白いのは、同じ県内でも市が違うと呼び方が変わるという報告がやたら多いこと。県境ではなく学区の境で切れている。つまりこの呪術の伝播単位は、行政区画ではなく子どもの徒歩圏なんだ。小学校区がひとつの文化圏として機能していた証拠として、これはけっこう価値のあるデータだと思う。
## 「エンガチョは差別の練習だ」という説と、その反証
ネットの考察界隈で強い支持を得ているのが、エンガチョ=差別の予行演習説だ。中世の穢れ観が被差別民への差別を生んだのと同じ構造を、子どもが遊びの形で反復している、という主張。確かに構造は似ているし、実際にいじめの道具になった事例は無数にある。ただしこの説には反証もあって、エンガチョの穢れは原則として一時的なんだ。切れば解除される。翌日には忘れられる。恒久的な身分として固定されない。ここが実際の差別との決定的な違いで、むしろエンガチョは「穢れは移るが、祓えば元に戻る」という可逆性を教える装置だった可能性がある。もちろん、その可逆性が働かず、特定の子に固定されてしまった時に何が起きるかは、さっきの体験談の通りだ。だから両方が正しい。装置としては可逆的で、運用次第で固定化する。
## 「元は大人の祓いだった」説をどう見るか
もうひとつよく出るのが、エンガチョはもともと大人の祓いの作法で、それが遊びに落ちてきた、という説。平治物語絵詞の指を根拠にすれば説得力はある。ただ、時系列を逆に読むこともできる。あの絵に描かれた指も、実は当時の子どもか庶民の身振りを画家が写しただけかもしれない。大人の正式な儀礼が民間に降りたのか、民間の身振りが記録されただけなのか、絵一枚では決まらない。個人的には、上から降りたというより、両方が同じ土壌から生えていたと考えるほうが自然だと思う。穢れが移るという感覚は、教わらなくても身体が知っているものだから。
## 大人が忘れ、子どもだけが持っている
この風習の本当に不気味なところは、継承の構造にある。普通、民俗行事は大人が管理する。日取りを決め、道具を作り、若者に教える。エンガチョにはそれがない。教える大人がいない。教科書もない。記録もほとんどない。それなのに、少なくとも八百年、途切れずに続いてきた。伝えているのは常に六歳から十二歳の集団で、彼らは十三歳になると急速に忘れる。つまりこの呪術は、人生のうち六年間しか宿主にいられない。にもかかわらず滅びない。毎年新しい六歳が入ってきて、上級生から吸収するからだ。宿主の平均滞在期間が六年しかない情報が、八百年生き延びている。感染症の伝播モデルみたいな話なんだよな。
## なぜこれが、今になって怖いのか
子どものころは何も思わなかった。大人になってから怖くなるタイプの記憶だ。まず、自分が誰かに向かって指を組んだ側だったという記憶。次に、それをやっている時、自分は何も考えていなかったという事実。誰かを排除しているという自覚がなかった。ただ、みんながやるからやった。そこに悪意はなく、だからこそ止まらなかった。中世の触穢制度も、たぶん同じように運用されていた。誰も悪くなくて、ただ制度が回っていて、その結果として誰かが外に置かれる。あの校庭で発動していたのは、悪意の練習ではなく、無自覚の練習だったんだ。そのほうが、ずっと怖い。
## 今の子どもは、もうやらないのか
現場の話を聞くと、完全に消えたわけではないらしい。ただ形は変わっている。「バリア」系が主流になり、指を組む代わりに手のひらを突き出すだけの簡略型が増えた。そもそも汲み取り便所がなく、道端で犬の糞を踏む機会も減り、葬列が家の前を通ることもない。穢れの供給源が社会から消えていったんだ。代わりに何が穢れになっているかというと、これがまた別の話になる。触ると移るという感覚は、物理的な接触を離れて、もっと抽象的なところへ移動した気配がある。誰かを「関わったら終わり」の側に置く。指は組まない。ただ、静かに離れるだけ。
## 三つの層が、あの校庭で同時に動いていた

改めて全体を眺めると、エンガチョという現象には三つの層が重なっている。いちばん下にあるのが、接触によって不浄が移るという身体感覚。これはおそらく人類に普遍的なもので、実際に病原体が接触で伝播する以上、生物としては合理的な反応だ。子どもがこれを教わらずに実装できるのは、そもそも学習が不要な機能だからだろう。その上に乗っているのが、日本の中世以来の穢れ制度という文化層。死穢、不浄、触穢の日数、清めの手続き。この層があるおかげで、単なる嫌悪感が「切る」という具体的な作法に翻訳された。そして最上層に、子ども集団の政治がある。誰を穢れに指定するか、誰が切る役を務めるか、どの型を正統とするか。ここでは呪術が完全に権力の道具として機能する。この三層構造は、たぶんどの民俗事象を分解しても出てくるパターンで、エンガチョはそれが小さく、速く、日常的に観察できるという点で、標本として異様に優秀なんだ。
もうひとつ考えたいのが、この呪術が「解除可能」であることの意味だ。もし穢れが一度ついたら二度と落ちないなら、あの遊びは成立しない。誰も参加しなくなる。切れば戻れるからこそ、子どもたちはリスクを取って遊べる。この可逆性は、実は共同体を維持するための知恵として読める。誰かを一時的に外に出す。しかし必ず戻す道を用意しておく。中世の触穢制度にも日数の定めがあり、期間が過ぎれば穢れは落ちた。永久追放ではないんだ。この「期限付きの排除」という発想が、共同体の運営技術としてどれだけ洗練されたものか、僕らはもう少し評価していいのかもしれない。逆に言えば、現代の排除には期限がない。ネット上で一度貼られたラベルは、切る手刀が存在しないまま残り続ける。エンガチョには釜爺がいた。今の排除に釜爺はいない。
## 誰も書き留めなかった作法は、そのまま消える

最後に、記録されないものについて。八百年続いた作法が、絵巻の隅に描かれた指と、一九九〇年の論文一本と、アニメ映画の一場面によって、かろうじて現在に繋がっている。この細さは異常だ。もし平治物語絵詞のあの群衆の中に、指を交差させた人物を描き込んだ絵師がいなかったら。もし京馬伸子が型を図解しなかったら。もしあの映画で釜爺があのセリフを言わなかったら。エンガチョは「昭和の子どもがやっていた何か」として、完全に消えていた可能性が高い。そして今この瞬間も、同じように記録されずに消えていく子どもの作法が、日本中の校庭で無数に運用されているはずなんだ。名前も型も、誰も書き留めていない。彼らが十三歳になれば、それで終わる。その静かな絶滅の連続が、たぶんこの国の民俗の実態で、エンガチョはたまたま生き延びた例外にすぎない。校庭で指を組んでいたあの子たちは、自分が八百年の何かを運んでいるとは、まったく思っていなかった。

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